マゾヒズムってのはバカにしたらだめだよ。人はみなその根にはマゾヒズムがある。 |
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マゾヒズムはその根において、女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年) |
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母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年) |
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幼児はみなマゾヒストだよ、男も女もマゾヒストから出発している。 この受動性は「主体性=能動性」観点では不快であるには相違ない。 |
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原初の不快の経験は受動性である[primäres Unlusterlebnis …passiver Natur] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ, Dezember 1895) |
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でもこの受動性という不快が享楽だ。 |
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不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
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不快とは快原理の彼岸にある欲動=享楽だ。不快は快原理の彼岸にある真の快(悦)だ。 |
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我々は、フロイトが Lust と呼んだものを享楽と翻訳する。ce que Freud appelle le Lust, que nous traduisons par jouissance. (J.-A. Miller, LA FUITE DU SENS, 19 juin 1996) |
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この「不快=悦」を取り戻そうとするのが欲動だ。 |
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以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年) |
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人の根にあるのはマゾヒズムなのであり、成長とともにそれを覆い隠しているだけだ。 |
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享楽はその基盤においてマゾヒズム的である[La jouissance est masochiste dans son fond」(Lacan, S16, 15 Janvier 1969) |
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享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
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享楽とはリアルな愛のことであり、リアルな愛とはマゾヒズムだ。 |
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フロイトの愛=リーベ[Liebe]は、(ラカンの)愛、欲望、享楽をひとつの語で示していることを理解しなければならない。il faut entendre le Liebe freudien, c’est-à-dire amour, désir et jouissance en un seul mot. (J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999ーー「愛の三相」) |
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マゾヒズムをしらなかったらリアルな愛を知らないってことだ。男にはそのタイプが多いがね、不幸な人生だね。
サド、ニーチェ、フロイトにぞっこんでラカンをバカにした「真のフェミニスト」カミール・パーリア ーー《ラカンなんか読んだら、あんたたちを脳軟化症にするわ! if you read Lacan…Your brain turns to pudding! 》(Camille Paglia、Crisis In The American Universities, 1992)ーーは実にラカン的なことを言っている。 |
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どの男も、母に支配された内部の女性的領域に隠れ場をもっている。男は母から完全には決して自由になれない。(カミール・パーリア 『性のペルソナ』1990年) |
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原支配者としての母なる女は、幼児に享楽=マゾヒズムを与えるのである。 |
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(原母子関係には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女というものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。…une dominance de la femme en tant que mère, et : - mère qui dit, - mère à qui l'on demande, - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme. La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition. (ラカン, S17, 11 Février 1970) |
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享楽=マゾヒズムは固着でもある。 |
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享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)] |
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マゾヒズムの病理的ヴァージョンは、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着である[le masochisme, …une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère,. (Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001) |
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おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
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母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への拘束として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
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ま、みんなこれがあるんだよ、少なくとも原無意識レベルでは。男にも女にも女拘束がある。これが、ラカン曰くの《定義上、異性愛とは、おのれの性が何であろうと、女たちを愛することである。それは最も明瞭なことである。Disons hétérosexuel par définition, ce qui aime les femmes, quel que soit son sexe propre. Ce sera plus clair》. (Lacan, L'étourdit, AE.467, le 14 juillet 72)の隠された意味だ。 こういった話とは別に、より受け入れやすいマゾヒズムの健康的ヴァージョンとして言えば、誰でも多かれ少なかれ次のようなことはある筈だよ。 |
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マゾヒストは、小さな、寄る辺ない、依存した子供、しかしとくにやんちゃな子供として取り扱われることを欲している。der Masochist wie ein kleines, hilfloses und abhängiges Kind behandelt werden will, besonders aber wie ein schlimmes Kind.(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
あるいはさらにーー、 |
女性的マゾヒズムの秘密は、被愛妄想である[Le secret du masochisme féminin est l'érotomanie](J.-A. Miller, L'os d'une cure, Navarin, 2018) |
ここでの「女性的」とはミレールは解剖学的女性について言っているのだが、これは男女両性ともにある「受動的マゾヒズムの秘密は被愛妄想」と言ったってよい。つまり愛されたいという要求だ。 |
(症状発生条件の重要なひとつに生物学的要因があり)、その生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける寄る辺なさと依存性[Hilflosigkeit und Abhängigkeit]ある。人間の子宮内生活 [Die Intrauterinexistenz des Menschen] は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスから自我の分化 [die Differenzierung des Ichs vom Es]が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben] をつぐなってくれる唯一の対象は、きわめて高い価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない愛されたいという要求 [Bedürfnis, geliebt zu werden]を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
承認欲求、ーー《承認されたい欲望 désir de faire reconnaître son désir》(ラカン、E151)ーーとはこの成人版に過ぎないよ。だからマゾヒズムの穏やか版であり、たとえばツイッターでみなやってる。 |