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2021年8月23日月曜日

小説はマドレーヌのことを書くもんさ

 

ある人へのもっとも排他的な愛は、常になにか他のものへの愛である[L’amour le plus exclusif pour une personne est toujours l'amour d’autre chose ](プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)


で、「なにか他のもの」ってのはマドレーヌだろうな。


溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる〈プチット・マドレーヌ〉と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだあのお菓子の一つ[un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d'une coquille de Saint-Jacques ](プルースト 「スワン家のほうへ」)

厳格で敬度な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身[petit coquillage de pâtisserie, si grassement sensuel sous son plissage sévère et dévot ](プルースト「スワン家のほうへ」)

ショーソン(パイ)は内側から夢想するかぎりでの母胎を、マドレーヌは外側から夢想する母胎を表現している[le chausson représente le ventre maternel, tel qu'on le rêve dans son intérieur ; la madeleine, dans son extérieur](フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」Philippe Lejeune, L'Ecriture et Sexualité, 1970



別の言い方すれば、「自我でありながら自我以上のもの」、あるいは「あなたの中にある何かあなた以上のもの」さ。


自我でありながら自我以上のもの[moi et plus que moi ](内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器[le contenant qui est plus que le contenu et me l'apportait])(プルースト『ソドムとゴモラ』「心の間歇 intermittence du cœur1921年)

私はあなたを愛する。だが私は奇妙にも、あなたの中にある何かあなた以上のもの、すなわち対象aを愛する。Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a), je te mutile.(ラカン, 11, 24 Juin 1964

対象aの起源、喪われた対象aの機能の形態、〔・・・〕それは永遠に喪われている対象の周りを循環すること以外の何ものでもない。[l'origine …la forme de la fonction de l'objet perdu (a), […]à contourner cet objet éternellement manquant. ](ラカン, S11, 13 Mai 1964

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  (ラカン, S1120 Mai 1964



小説ってのプルーストだけでなく、だいたいはマドレーヌのこと書いてるんじゃないかね。もっとも疑問符を深く打ち込んだ小説に限るが。ーー《いつもそうなのだが、わたしたちは土台を問題にすることを忘れてしまう。疑問符をじゅうぶん深いところに打ち込まないからだ。》(ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』)



マダム・エドワルタの声は、きゃしゃな肉体同様、淫らだった。「あたしのぼろぎれが見たい?[Tu veux voir mes guenilles ? ]」両手でテーブルにすがりついたまま、おれは彼女ほうに向き直った。腰かけたまま、彼女は方脚を高々と持ち上げていた。それをいっそう拡げるために、両手で皮膚を思いきり引っぱり。こんなふうにエドワルダの《ぼろきれ》はおれを見つめていた。生命であふれた、桃色の、毛むくじゃらの、いやらしい蛸 velues et roses, pleines de vie comme une pieuvre répugnante]。おれは神妙につぶやいた。「いったいなんのつもりかね。」「ほらね。あたしは神よTu vois, dit-elle, je suis DIEU...]」「おれは気でも狂ったのか……」「いいえ、正気よ。見なくちゃ駄目。見て!」(ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダMadame Edwarda1937年)


愛するという感情は、どのように訪れるのかとあなたは尋ねる。彼女は答える、「おそらく宇宙のロジックの突然の裂け目から」。彼女は言う、「たとえばひとつの間違いから」。 彼女は言う、「けっして欲することからではないわ」。あなたは尋ねる、「愛するという感情はまだほかのものからも訪れるのだろうか」と。あなたは彼女に言ってくれるように懇願する。彼女は言う、「すべてから、夜の鳥が飛ぶことから、眠りから、眠りの夢から、死の接近から、ひとつの言葉から、ひとつの犯罪から、自己から、自分自身から、突然に、どうしてだかわからずに」。彼女は言う、「見て」。彼女は脚を開き、そして大きく開かれた彼女の脚のあいだの窪みにあなたはとうとう黒い夜を見る[Elle dit : Regardez. Elle ouvre ses jambes et dans le creux de ses jambes écartées vous voyez enfin la nuit noire]。あなたは言う、「そこだった、黒い夜[la nuit noire]、それはそこだ」(マルグリット・デュラス『死の病 La maladie de la mort1981年)