たとえば初期ラカンーー初期と言っても50歳代だがーーこう書いている。 |
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想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique : page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige. Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953) |
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抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation](Lacan, S1, 07 Avril 1954) |
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この「忘れられたものは行為として呼び戻される」はフロイトのパクリだが巧い言い方だね、 |
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抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である。[Verdrängung…Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )1911年) |
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人は、忘れられたものや抑圧されたもの[Vergessenen und Verdrängten]を「思い出す erinnern」わけではなく、むしろそれを「行為にあらわす agieren」。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年) |
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で、ラカンはこうも言っている。 |
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母の乳房の、いわゆる原イマーゴの周りに最初の固着が形成される[sur l'imago dite primordiale du sein maternel, par rapport à quoi vont se former … ses premières fixations, ](Lacan, S4, 12 Décembre 1956) |
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この母の乳房への固着が最初の固着か否かは、フロイトやラカンの後年の議論からすると、いくらか別のヴァリエーションがあるんだがーー《口唇的離乳と出産の分離とのあいだには類似性がある[il у а analogie entre le sevrage oral et le sevrage de la naissance]》 (Lacan, S10, 15 Mai, 1963)ーー、ま、乳房が最初の固着のひとつには間違いない。 |
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フロイトはダイレクトには乳房への固着を言っていないが。 |
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女への固着(おおむね母への固着)[Fixierung an das Weib (meist an die Mutter)](フロイト『性理論三篇』1905年、1910年注) |
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おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
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母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への拘束として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
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で、母の乳房でいいさ。この母の乳房への固着が、かりに忘れられていても「行為として呼び戻される」んだよ、これは男も女もそうだ。これが固着の基本だね。 ラカンの友人ダリは若いときブルネイとともに次の映像作ってるけどさ(Luis Buñuel & Salvador Dalí, Un Chien Andalou, 1929)
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女性の場合は、後年の生で父への固着がある人がそれなりにいるのだろうけど、こっちの方は二次的だね。 |
強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung, ](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年) |
男性に比べて女性に自傷行為が格段に多いのは、母の身体の代理物を抱えているせいが大きんじゃないかね |
ラカンはマゾヒズム において、達成された愛の関係を享楽する健康的ヴァージョンと病理的ヴァージョンを区別した。病理的ヴァージョンの一部は、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着[un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet]を示している。それは母への固着[fixation sur la mère]であり、自己身体への固着[fixation sur le corps propre]でさえある。自傷行為は自己自身に向けたマゾヒズムである[L'automutilation est un masochisme appliqué sur soi-même] (Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001) |
主体の自傷行為は、イマジネールな身体ではなくリビドーの身体による[l'auto mutilation du sujet […] le corps qui n'est pas le corps imaginaire mais le corps libidinal]( J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 - 16/06/2004) |
ファウスト(娘と踊りつゝ。) いつか己ゃ見た、好い夢を。 一本林檎の木があった。 むっちり光った実が二つ。 ほしさに登って行って見た。 |
美人 そりゃ天国の昔からこなさん方の好な物。 女子に生れて来た甲斐に わたしの庭にもなっている。 |
メフィストフェレス(老婆と。) いつだかこわい夢を見た。 そこには割れた木があった。 その木に□□□□□□があった。 □□□□けれども気に入った。 |
老婆 足に蹄のある方と 踊るは冥加になりまする。 □□がおいやでないならば □□の用意をなさりませ。 ーーゲーテ「ファウスト」 森鴎外訳 |
MEPHISTOPHELES (mit der Alten): Einst hatt ich einen wüsten Traum Da sah ich einen gespaltnen Baum, Der hatt ein ungeheures Loch; So groß es war, gefiel mir's doch. |
DIE ALTE: Ich biete meinen besten Gruß Dem Ritter mit dem Pferdefuß! Halt Er einen rechten Pfropf bereit, Wenn Er das große Loch nicht scheut. |