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2021年9月7日火曜日

柄谷における二種類の「抑圧されたものの回帰」


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。

die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


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まず第一の抑圧されたものの回帰。


マルクスは、『ルイ・ポナパルドのブリュメールの十八日』にて、フランス革命によって実現された共和制から生れた皇帝制の出現のなかに反復を見出している。1789年の革命において、王は処刑されて、それに引き続く共和制から、人びとの支持をともなって「皇帝」が出現した。これは、フロイトが「抑圧されたものの回帰」と呼ぶものである。(Kojin Karatani,Revolution and Repetition, 2008, 私訳)



第二の抑圧されたものの回帰。


フロイトは、世界宗教を「抑圧されたものの回帰」とみなす。私はそれに同意する。しかし、抑圧されたものは「原父」のようなものではなく、いわば「社会的なもの」である。物象化とは、このことを意味する。それは、「人間と人間の関係が物と物と物の関係としてあらわれる」とか、関係が実体化されることを意味するのではない。(柄谷行人『探求』第三部「世界宗教をめぐって」1989年)

マルクスが、社会的関係が貨幣形態によって隠蔽されるというのは、社会的な、すなわち無根拠であり非対称的な交換関係が、対称的であり且つ合理的な根拠をもつかのようにみなされることを意味している。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』第1章、1978年)


柄谷はこの二種類の「抑圧されたものの回帰」を区別していないが、フロイトラカン的には厳密な区別がある。


第二のほうは《無根拠であり非対称的交換関係》に依拠するなら、「原抑圧されたものの回帰」として捉えうる。


穴、それは非関係によって構成されている[un trou, celui constitué par le non-rapport,](Lacan, S22, 17 Décembre 1974)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](ラカン、S2119 Février 1974


トラウマの回帰[le retour du traumatisme]と言ってもいいし、排除されたものの回帰[Le retour du forclos]と言ってもいい。


原抑圧は排除である。refoulement originaire…la forclusion. (J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 3 JUIN 1987)


他方、柄谷が『ブリュメール』から導き出した一番目に掲げた回帰は、「後期抑圧されたものの回帰」だろうな。言語に関わるのだから。



ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。

Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce. 


ダントンの代わりにコシディエール、ロベスピエールの代わりにルイ・ブラン、17931795年のモンターニュ派の代わりに18481851年のモンターニュ派、小男の伍長と彼の元帥の円卓の騎士団の代わりに、借金を抱えた中尉を手当たり次第かき集めて引き連れたロンドンの警官!天才のブリュメール18日の代わりに白痴のブリュメール18日!


人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分が選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。すべての死せる世代の伝統が悪夢のように生きているものの思考にのしかかっている。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事を携わっているように見えるちょうどそのときでさえ、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊を呼び出して自分のたちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとしているのである。

Die Menschen machen ihre eigene Geschichte, aber sie machen sie nicht aus freien Stücken, nicht unter selbstgewählten, sondern unter unmittelbar vorgefundenen, gegebenen und überlieferten Umständen. Die Tradition aller toten Geschlechter lastet wie ein Alp auf dem Gehirne der Lebenden. Und wenn sie eben damit beschäftigt scheinen, sich und die Dinge umzuwälzen, noch nicht Dagewesenes zu schaffen, gerade in solchen Epochen revolutionärer Krise beschwören sie ängstlich die Geister der Vergangenheit zu ihrem Dienste herauf, entlehnen ihnen Namen, Schlachtparole, Kostüm, um in dieser altehrwürdigen Verkleidung und mit dieser erborgten Sprache die neuen Weltgeschichtsszene aufzuführen. (マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte1852年)






で、『世界史の構造』以降の「抑圧されたものの回帰」はどっちなんだろうな。


私の観点では、「抑圧されたものの回帰」として戻ってくるものは遊動性(自由)である[in my view, what came back in this “return of the repressed” was the nomadism (freedom) (柄谷行人『世界史の構造』第2章、2010年ーー英訳から私訳)

コミュニズムは、生産手段の共有された所有に依存するというよりも遊動性の回帰である[communism depends less on shared ownership of the means of production than on the return of nomadism. (THE STRUCTURE OF WORLD HISTORY, AUTHOR'S PREFACE TO THE ENGLISH TRANSLATION, Kojin Karatani April 20, 2012)

資本=ネーション=国家を越える手がかりは、やはり、遊動性にある。ただし、それは遊牧民的な遊動性ではなく、狩猟採集民的な遊動性である。定住以後に生じた遊動性、つまり、遊牧民、山地人あるいは漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を真に回復するものではない。かえって、それは国家と資本の支配を拡張するものである。〔・・・〕交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる。(柄谷行人『柳田国男と山人 2014年)



ちょっとまだはっきりしないね、原抑圧されたものの回帰(排除されたものの回帰)としたいところだが、混淆があるようにも見える。



交換様式Dは、原初的な交換様式A(互酬性)の高次元における回復である。それは、たんに人々の願望や観念によるのではなく、フロイトがいう「抑圧されたものの回帰」として「必然的」である。(柄谷行人『世界史の構造』p 14

社会主義とは互酬的交換を高次元で回復することにある。それは、分配的正義、つまり、再分配によって富の格差を解消することではなく、そもそも富の格差が生じないような交換的正義を実現することである。カントがそれを「義務」とみなしたとき、互酬的交換の回復が、人々の恣意的な願望ではなく、「抑圧されたものの回帰」として、一種の強迫的な理念として到来することを把握していたのである。(柄谷行人『世界史の構造』p347348


もちろん精神分析をやっているわけではないのだから、混淆があっていいのだが。フロイト自身の記述にも『モーセ』などでははっきりしないところがある。



抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)


ーーとあるのは「トラウマの回帰」でいいだろう。だがこうあるのはどうか。


宗教現象は人類が構成する家族の太古時代に起こり遥か昔に忘却されてしまった重大な出来事の回帰としてのみ理解されうる、そして、宗教現象はその強迫的特性をまさにこのような根源から得ているのであり、それゆえ、歴史的真実に則した宗教現象の内実の力が人間にかくも強く働きかけてくる[als Wiederkehren von längst vergessenen, bedeutsamen Vorgängen in der Urgeschichte der menschlichen Familie, daß sie ihren zwanghaften Charakter eben diesem Ursprung verdanken und also kraft ihres Gehalts an historischer Wahrheit auf die Menschen wirken. ](フロイト『モーセと一神教』3.1b  Vorbemerkung II (im Juni 1938)

モーセの宗教の回帰[die Wiederkehr der Mosesreligion3.1.2  

神奉献の(再臨による)恍惚は、偉大なる父の回帰への最初の反応だった[Rausch der Gottesergebenheit die nächste Reaktion auf die Wiederkehr des großen Vaters.3.2.8



何はともあれ(些細な傷は別にして)魅了されるのは確かだね、柄谷の心意気に。






…………


以下、いくらかの補足。




抑圧は想起にかかわり、排除はレミニサンスにかかわる。



私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制 forçage」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる。

Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… mais de façon tout à fait illusoire …ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration (ラカン、S.23, 13 Avril 1976、摘要)


トラウマないしはトラウマの記憶は、異物(異者としての身体 Fremdkörper )のように作用する。この異物は体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ。〔・・・〕この異物は引き金を引く動因として、たとえば後の時間に目覚めた意識のなかに心的な痛みを呼び起こし、レミニサンスに苦しむ。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muß..[…] als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz […]  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)


現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004



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原抑圧(排除)されたものは、固着して反復強迫を生む。



サントームは固着である[Le sinthome est la fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011

原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung… Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, ](フロイト『抑圧』1915年、摘要)


ーー《サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition.》 (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)


「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕


この欲動の固着[Fixierungen der Triebe は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに③の抑圧の相を生み出す決定因となる。[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung.


②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期[Nachdrängen]の抑圧ある。〔・・・〕①の原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe がこの二段階目の抑圧に貢献する。


③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗[Mißlingens der Verdrängung]、侵入[Durchbruchs]、抑圧されたものの回帰Wiederkehr des Verdrängten]である。この侵入[Durchbruch]とは固着点[Stelle der Fixierung]から始まる。そしてその点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー)1911年、摘要)



このシュレーバー症例の記述を受け入れるなら、抑圧されたものの回帰の原点は「原抑圧されたものの回帰」(排除されたものの回帰)となる(父の名の排除とは異なるので注意)。