哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのは世界を変えることである。Die Philosophen haben die Welt nur verschieden interpretirt; es kommt aber darauf an, sie zu verändern.(マルクス『フォイエルバッハにかんするテーゼ』第十一) |
…………… きみ、革命ってのは向こうからやってくるんだよ。別にそれが嫌いだってさ。18世紀の終わりにフランス革命があり、20世紀の初めにロシア革命があり、1980年前後にイスラム革命があった。そろそろ日本発の世界革命があったっていいじゃないか。そんなことを感知しないのは、既存システムのなかを泳ぐだけのボケ政治家や企業人、学者のたぐいだけさ。 まず柄谷行人、古井由吉、ジジェクを並べよう。彼らはごく当たり前のことを言っている。 |
最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。( 柄谷行人「反原発デモが日本を変える」、2011年) |
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近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。 その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。同時にそのとき、文学がよみがえるかもしれません。僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉「すばる」2015年9月号) |
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一つのことが明らかになっている。それは、福祉国家を数十年にわたって享受した後の現在、〔・・・〕我々はある種の経済的非常事態が半永久的なものとなり、我々の生活様式にとって常態になった時代に突入した、という事実である。こうした事態は、給付の削減、医療や教育といったサービスの逓減、そしてこれまで以上に不安定な雇用といった、より残酷な緊縮策の脅威とともに、到来している。〔・・・〕 現下の危機は早晩解消され、ヨーロッパ資本主義がより多くの人びとに比較的高い生活水準を保証し続けるだろうといった希望を持ち続けることは馬鹿げている。いまだ現在のシステムが維持可能だと考えている者たちはユートピアン(夢見る人)にすぎない。(ZIZEK, A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY、2010年) |
だいたい今のシステムがこのまま続くと思い込んでいる連中のほうがヒドク奇妙だね、社会保障制度に限って言っても、ヨーロッパの福祉は、移民があるからなんとかもっているようなもんだ。移民を拒否し続けてきた日本なんてのは財政崩壊の世界に冠たる先進国だ。ま、それはそれでいいさ、まず日本革命が自然に起こる「幸運」をもっているわけだから。 |
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ジェクの言っていることは、日本なら武藤敏郎が言い続けている。 |
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武藤敏郎ーー10年にひとりの財務次官と言われ何度も日銀総裁候補に上がったが、小沢一郎などに嫌われて粛々と「万事塞翁が馬」と言い残してシンクタンクの理事長という「閑職」につき、なんとオリンピック事務総長という「とっても不幸な」地位についてしまった彼がね。 |
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社会保障制度の持続可能性が著しく低下していると考えざるを得ない理由は、働き方の多様化や家族形態の変化など多数あるが、最大の要因は、超少子化に起因する超高齢化である。年金、医療、介護の社会保障財政は、基本的に賦課方式といわれる仕組みで運営されているからである。賦課方式とは、その時点の国民の負担(社会保険料と税金)を財源にして、その時点の国民に給付を行う方式である。負担は主に現役世代が負い、給付は主に引退世代になされている。いわば、引退世代の生活を現役世代の負担で支えているわけである。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修) |
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日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。(財政と社会保障 ~私たちはどのような国家像を目指すのか~ 大和総研理事長武藤敏郎、 2017年1月18日) |
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少子高齢化というのは未来の問題ではない。この今だ。既存のシステムを支えるには中福祉高負担どころか事実上、低福祉高負担しかない。ツイッターなんかたまに眺めるとこの認識がないヤツばかりだから驚くよ、いわゆる知識人も含めてさ。負担を減らして福祉を上げろだと? とてつもないユートピアンばかりだよ。MMTのたぐいの財政ファイナンスを信じ込んでさ、みな安倍キャベツ頭だね。
要するにこういった表があっても、なんのことかわからないらしいヤツが知識人の顔して喋っているんだからさ。 いまの政治家は国民を騙して選挙で投票してもらうのが職業になっちまったからやむえないにしろさ。知識人までスカスカ頭なんだからさ。 つまり《通俗哲学者や道学者、その他のからっぽ頭、キャベツ頭…[Allerwelts-Philosophen, den Moralisten und andren Hohltöpfen, Kohlköpfen…]…完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫っかぶりども[Die vollkommen lasterhaften ”Geister”, die ”schönen Seelen”, die in Grund und Boden Verlognen ]》(ニーチェ『この人を見よ』)ってわけだ。 |
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ピケティなんかは既に10年前からこう言ってんだがね。 |
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われわれは日本の政府債務をGDP比や絶対額で毎日のように目にして驚いているのだが、これらは日本人にとって何の意味も持たないのか、それとも数字が発表されるたびに、みな大急ぎで目を逸らしてしまうのだろうか。 Tous ces chiffres exprimés en pourcentages de PIB ou en milliers de milliards - dont on nous abreuve quotidiennement - ont-ils un sens, ou bien doit-on tourner la page dès qu’ils réapparaissent ? (トム・ピケティ『新・資本論』2011年ーーJapon : richesse privée, dettes publiques Par Thomas Piketty avril 2011) |
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いま思考することは、間もなく必ず起こる「日本革命」なんだから、それが世界に波及する戦略、そして元の制度に戻ってしまわないようにする戦術を練っておくことさ、それしかないね。 |