ヴェルディの「ナブッコ」の「ヘブライ人奴隷の合唱」(Va pensiero)はひどく好きな曲で、結婚式に呼ばれたりするとこの歌を長年鍛えた「美声?」で歌うことにしてるんだが、このところコロナでその機会がないのが残念至極だ。
15年前ほど前にパヴァロッティ & ズッケロをきいてからだな、歌うようになったのは。自慢じゃないがこの齢になってもやたらに響くデカイ声だけはまだ出て、人はビックリする。
という話がしたいわけではない。YouTubeでこのpensieroのとても魅力的な映像に出会った。➡︎Covent Garden flashmob - 'Va, pensiero' by Giuseppe Verdi
この曲はオペラの舞台でカタグルシクやるより、ずっとこのほうが似合っている。遠くからあの抵抗できない魅惑的な旋律が聞こえてきて、人はみな歩み寄って歌い出す。これが音楽の本来の姿、少なくともその重要なひとつではないかね。
ほかのもっと重要な姿は祈りだろうが。
オメコをもとめる祈りもなく
オメコを呪う哲学もなく
さながら無のようにかすかに
そこにはただオメコ自身の歌ばかりがあった
ないかね、こういう祈りの歌。
私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年) |
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