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2021年10月30日土曜日

「財政的幼児虐待」、あるいは「未来の他者への虐待」

 

「財政的幼児虐待 Fiscal Child Abuse」とは、ボストン大学経済学教授ローレンス・コトリコフ Laurence Kotlikoff の造りだした表現であり(“Both Parties Are Engaged in Fiscal Child Abuse,” Huffington Post, April 5, 2012)、日本でも経済学者たちを中心にしばしば使われ、現在では一般の辞典にもその定義がある。


財政的幼児虐待:現在の世代が社会保障収支の不均衡などを解消せず、多額の公的債務を累積させて将来の世代に重い経済的負担を強いること。(大辞泉)


より具体的に言えば、「財政的幼児虐待」は次のような意味もっている。


公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである。(ジャック・アタリ『国家債務危機』2011年 )

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(池尾和人「経済再生 の鍵は不確実性の解消」2011年)


私はこの「財政的幼児虐待」を「未来の他者への虐待」、その主要なひとつと呼ぶのを好む。


世界市民的社会に向かって理性を使用するとは、個々人がいわば未来の他者に向かって、現在の公共的合意に反してもそうすることである。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)

ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)


柄谷はここで環境的廃棄物の事例を挙げているが、財政赤字の廃棄物も同様である。財政赤字政策は現在の公共的合意は成立する。だがそれは、上に見たように、文句も言えない将来世代に相続放棄不能の借金を押しつけることである。


そして未来の他者への虐待とは、実際は今ここに生きる、とくに若い世代である「あなた自身への虐待」でもある。例えば現在30歳の人であれば、(20年後を例にとれば)50歳のあなた自身への虐待に他ならない。


政治家とは、財政均衡の規制がないままであれば、選挙で勝つためにほとんど必然的に未来の他者に負担を押しつける傾向をもつ。


現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 Democracy in Deficit』摘要)


結局、民主主義とは本質的にポピュリズムである。


民主主義(デモクラシー)とは、大衆の支配ということです。これは現実の政体とは関係ありません。たとえば、マキャヴェリは、どのような権力も大衆の支持なしに成立しえないといっています。これはすでに民主主義的な考え方です。(柄谷行人 『〈戦前〉の思考』1994年) 


そしてポピュリズムが、今ここにいない未来の他者を視界に入れるなどということはほとんど起こり得ない。


ポピュリズムが起こるのは、特定の「民主主義的」諸要求(より良い社会保障、健康サービス、減税、反戦等々)が人々のあいだで結びついた時である。〔・・・〕


ポピュリストにとって、困難の原因は、究極的には決してシステム自体ではない。そうではなく、システムを腐敗させる邪魔者である(たとえば資本主義自体ではなく財政的不正操作)。ポピュリストは構造自体に刻印されている致命的亀裂ではなく、構造内部でその役割を正しく演じていない要素に反応する。(ジジェク「ポピュリズムの誘惑に対抗してAgainst the Populist Temptation」2006年)


ここで石弘光一橋大学元学長、政府税調元会長だった最晩年のインタヴュー記事からも抜粋しておこう。


「…国民に痛みを強いる、あるいは負担を強要するような政策は、ことごとくはねのけられてきましたね。それはポピュリズムですよ。口当たりのいい政策ばかりを挙げたてて、人気取りと財政のばらまきでここまできた。それが、国と地方合わせてGDPの2倍以上の1000兆円超えに上る借金となったのです。つまり、増税を先延ばししているだけですよ。政治家の性(さが)といえば性だけど、外国の政治家はもっとしっかりとしていますよ。だからこそ、日本のように巨額な借金を抱えない。そこが大きな違いじゃないかと思います」


「今の1000兆円超の借金は、全額返すなんてもはや不可能ですね。〔・・・〕嫌なことは全部先に延ばして、議論をしないですませようという腹積もりの政治家が多いですね。自分のときはやりたくないので、あとの人にやってもらえという考えです。まさにモラルハザードですね」


「今後、どうなるか、私は暗澹たる思いがしますね〔・・・〕日本の政治家は、歳出カットでは選挙に立ち向かえないけど、ドイツはできるんですよ。くだらない歳出は、財政赤字が増えてインフレになると思うからね。外国に行って調査すると、その辺りがすごく違うと思うね。自分の税金がなにに使われているか非常に気にする」(石弘光一橋大学元学長、政府税調元会長「如水会会報」2018年新年号)



今の日本政治の最大の問題は、与党以上に野党がポピュリズムの罠に嵌まり込んでしまっていることだ。選挙で票が欲しさの、貧困ビジネス、弱者ビジネス、高齢者ビジネス等、これが事実上の野党の政策の実態であり、その帰結は「未来の他者に対する大いなる虐待」に収斂するほかない。


簡潔にまとめられている朝日新聞編集委員原真人の記事から掲げておこう。


減税策も、野党側から、「(時限的な)消費税率5%への引き下げ」(立憲民主、共産、維新、国民)、「3年間、消費税ゼロ」(社民)、「消費税廃止」(れいわ)、「年収1000万円程度まで所得税を1年間ゼロ」(立憲民主)などがあがっている。

まさに財政の大安売りを競い合っている構図である。しかも各党に共通するのは、数十兆円規模にものぼろうという給付や減税などの財源について、責任ある調達シナリオを示していないことだ。もし消費税率(現行10%)を5%幅引き下げるなら、少なくとも年間10兆円以上の税収が減る。その穴埋めをどうするのか。


正攻法でそれだけの財源をまかなおうとするなら、東日本大震災の復興財源を調達する際に決めた、所得税や法人税での長期的な増税、つまり「復興増税方式」しかない。


しかし、この不人気政策をやろうと言える政治家が実はいま、国会には数えるほどしかいない。昨年来、国会の場でそれを具体的に提案したのは、私が知る限りでは野田佳彦・元首相(立憲)や財務官僚出身の岸本周平氏(国民)らごくわずかだ。


公示前の記者会見で政策財源について聞かれた立憲民主党の枝野幸男代表は「国債に決まっているじゃないですか」と答えていたし、玉木雄一郎・国民民主党代表は「教育国債、永久国債の発行を」と言っていた。れいわ新選組やNHK党のように国債を「金のなる木」のごとく語る党もある。(「矢野論文」があぶり出した与野党オール「バラマキ合戦」の無責任 国債は打ち出の小槌ではない――「たたかれ台」となった健全財政への直言、原真人 朝日新聞 編集委員、20211025日)



最も重要なことは、人は次の問いを自ら問うてみることだ。


①なぜ日本は世界一の少子高齢化社会なのに、欧米諸国よりも低い税率あるいは国民負担率のままなのか。


②なぜ日本は1990年以降の30年間で国の借金を雪だるまのように増やして6倍超になったのか。


③なぜ日本の経済成長が今後もありうるという政治家たちがいるのか。生産年齢人口が年率1パーセント弱減ってゆく国でーー総人口減の始まり2008年ではなく、生産年齢人口減は1995年から始まっているーー、経済成長の事例は今までの世界史にあったのか。


④なぜ政治家たちは、世界的に突出した日本の財政赤字なのに、とくに選挙前になると軒並み、「バラマキ政策」ーー事実上の「財政ファイナンス政策」ーーを提示し続けるのか。コロナ危機で世界先進諸国においても赤字国債の大量発行があったが、ヨーロッパ主要国では既にその赤字を埋め合わせる増税案を提出しつつある。なぜ日本ではいまだこれが議論にさえも出てこないのか。


⑤なぜ日本の公衆の多くは「バラマキ政策」を支持する政治家や経済評論家たちの言葉を鵜呑みにするだけで、他諸国の事例とわずかでも比較してみることをしないのか。


ほかにも種々ある。だがここでは最も基本的なーー必要不可欠なーー問いを5つ掲げた。


最後に、財政総論(財務省 2021年10月5日、PDF)からひとつだけ図表を掲げておこう。