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2021年10月7日木曜日

おい、ネトウヨ諸君、なんとかしろよ

相対的貧困率[relative poverty rate]という概念がある。


「相対貧困率」というコンセプトがあります。この「相対貧困率」とは、所得を稼いでいる人を1位からビリまでずっと順番に並べて、ちょうど真ん中の人――日本では年間所得が400万ぐらいですかね。ちょうど真ん中の人の所得の半分以下しか稼げない人を「相対的貧困者」と 呼んでいるのです。相対的というのは、絶対額で200万も稼げれば大金持ちだという国だってあるわけですよね。だから、あくまでこれは絶対値として言っているのではなくて、それぞれの社会の中で相対的に貧困な所得層、 日本で言うとだいたい200万円ぐらいですが、その年間 200万も稼げない人たちが全体の何%いますかという数値です。この数値をOECDが毎年発表しています。

 

この「相対貧困率」には、2つのデータがあり、再分配前と再配分後です。再分配前とは、税金や社会福祉等に 政府が介入する前の生の数字です。再分配後というのは、 再分配政策を政府が実施した後の割合です。〔・・・〕


これが2005年になりますと、日本の「相対貧困率」は結構上がりました。再分配前の相対貧困者が27%近いのです。再配分後でも14.9%もいました。OECD諸国の中では2番目に悪い数値と言っていたのですが、これが最近、全体的にとれる最新の数字をつけ足してみると、派遣だとかパート等、低所得の人が多くなってきたせいだと思いますが、再配分前が32%となっています。再分配した後でも16%の相対貧困者がいるということです。 つまり、年収200万円以下の人たちが、所得を稼いでいる人全体の16%もいるということです。ヨーロッパ諸国は軒並み10%を切っています。実は、非常に不平等度が高くて貧困者が多いのではないかと言われているアメリカですら日本とほとんど同じ17.1%なのです。 「相対貧困率」というコンセプトで見ると、日本はアメリカと並んで最貧困国となるわけですね。(「ピケティ著『21世紀の資本』を斬る」三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷巌、2016年、pdf



「日本はアメリカと並んで最貧困国となる」とあるがそうなのかね、ボクはそこまでは行ってないと思っていたけれど。あの南米からの移民がたくさんいる国と並んでいるだって? テキトウに言うが、日本は食い物が安いとかあるんじゃないか。



この相対的貧困率はざっとネット上を当たる限りでは、直近のものには行き当たらないのだが、2017年にOECDから発表されたものは次のものだ。





ははあ、韓国にも勝ってる(?)んだな、こっちのほうは負けたらしいが。



日本の実質賃金が2000年頃からほとんど横ばいだったのに対して、韓国の実質賃金は2020年までに1.4倍になった。このため、2000年には日本の7割でしかなかった韓国の賃金が、2020年には日本より9%ほど高い水準になった。さまざまな国際ランキングでも、いまや韓国は日本より上位に位置している。(野口悠紀雄「韓国が日本を抜いていく――これがアベノミクス時代、最大の「事件」だ」2021.10.03)


おい、ネトウヨ諸君、なんとかしろよ、いつまでも現実を見ないままカライバリばかりしてると、韓国だけじゃなく世界中のモノワライの種になっちまうぜ。いやいやもうなってるよ、きみらが気づいてないだけで。


韓国人にも悪いところはあるよ。連中はすぐアツクなるからな。


「わが民族の欠点は妥協を知らないことだ」と何度も言われた。(中井久夫「Y夫人のこと」初出1993年4月「みすず」『家族の深淵』所収)


要するに日本と韓国とは「根回しの民と非妥協的民」の相違だな。でも日本は根回ししすぎて究極のポピュリズム政治になってしまって今のザマさ。


おい、小羊の真似だけはやめとけよな。


ルサンチマン。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする[Le ressentiment : c'est ta faute, c'est ta faute... Accusation et récrimination projectives. C'est ta faute si je suis faible et malheureux. ]


反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「ルサンチマン」となる。ひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その〈力〉から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」[L'agneau dit : je pourrais faire tout ce que fait l'aigle, j'ai du mérite à m'en empêcher, que l'aigle fasse comme moi... ](ドゥルーズ『ニーチェ』1965年)