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2021年10月7日木曜日

とってもとっても簡潔版

ああ、それは「とっても簡潔版」以前の問いだな、ま、ボクもあまりエラそうなこと言うつもりはなくて、ようやく数年前わかったことだけど。

たとえばジャック=アラン・ミレールによる次の三つの図がある。


これは右図の(a)を除いて全部同じ意味。

欲望は大他者に由来する、そして享楽はモノの側にある[le désir vient de l'Autre, et la jouissance est du côté de la Chose](ラカン, E853, 1964年)


モノは母である[das Ding, qui est la mère ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)

大他者とは父の名の効果としての言語自体である [grand A…c'est que le langage comme tel a l'effet du Nom-du-père.](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 14/1/98)


で、右側の図の対象aについては➡︎とっても簡潔版:固着の残滓(a)=異者=サントーム」ということになる。

真ん中の図のPは父(父の名)。母[M]、あるいは享楽[J]が斜線を引かれているのは、喪われた対象だから。


楽の対象としてのモノは喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


人はみな大他者Aとしての父の名=言語で喪われた対象に対して防衛=穴埋めをする。だが穴埋めは十分には出来ず、残滓がある。この残滓が享楽=欲動の核心。


以上でいいかな、当面。