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2021年11月28日日曜日

男性の同性愛はどうなの?


ああ、男性の同性愛はどうなの? という疑問が生まれるのはわかるよ、ランク経由のフロイトラカンの「女性器への固着」が男女両性にとって核心だとするとね。

当然二人はこの問いの答えを彼らなりに出している。



同性愛において見られる数多くの痕跡がある。何よりもまず、母への深く永遠な関係である[Il y a un certain nombre de traits qu'on peut voir chez l'homosexuel.   On l'a dit d'abord :  un rapport profond et perpétuel à la mère. ](Lacan, S5, 29 Janvier 1958)



男性の同性愛が最も忠誠なんじゃないかね、母なるオメコに対して。



われわれが調査したすべての同性愛者には、当人が後でまったく忘れてしまったごく早い幼年期に、女性にたいする、概して母にたいする非常に激しいエロス的結びつき[erotische Bindung]があった、ーー母親自身の過剰な優しさ[Überzärtlichkeit] によって呼び醒まされたり、あるいは助長させられたりして、さらにはまた幼児の生活中に父親があまり出てこないということによって。〔・・・〕


さて、この予備段階の後に一つの変化が起こる。この変化の機制はわれわれにはわかっているが、その原因となった力はまだわかっていない。母への愛は子供のそれ以後の意識的な発展と歩みをともにしない。それは抑圧の手中に陥る[Die Liebe zur Mutter kann die weitere bewußte Entwicklung nicht mitmachen, sie verfällt der Verdrängung. ]


子供は母への愛を抑圧する。それは、子供が自分自身を母の位置に置き、母と同一化 し、彼自身をモデルにして、そのモデルに似た者から新しい愛の対象を選ぶことによってである。[Der Knabe verdrängt die Liebe zur Mutter, indem er sich selbst an deren Stelle setzt, sich mit der Mutter identifiziert und seine eigene Person zum Vorbild nimmt, in dessen Ähnlichkeit er seine neuen Liebesobjekte auswählt. ]


このようにして彼は同性愛者になる[Er ist so homosexuell geworden]。いや実際には、彼はふたたび自体性愛[Autoerotismus]に落ちこんだというべきであろう。というのは、いまや成長した彼が愛している少年たちとは結局、幼年期の彼自身ーー彼の母が愛したあの少年ーーの代理であり更新に他ならないのだから[die der Heranwachsende jetzt liebt, doch nur Ersatzpersonen und Erneuerungen seiner eigenen kindlichen Person sind, die er so liebt, wie die Mutter ihn als Kind geliebt hat. ]。

言わば少年は、愛の対象[Liebesobjekte]をナルシシズムの道[Wege des Narzißmus]の途上で見出したのである。ギリシア神話は、鏡に写る自分自身の姿以外の何物も気に入らなかった若者、そして同じ名の美しい花に姿を変えられてしまった若者をナルキッソス[Narzissus]と呼んでいる。


心理学的にさらに究明してゆくと、このようにして同性愛者となった者は、無意識裡に自分の母の記憶映像に固着[Erinnerungsbild seiner Mutter fixiert]したままである、という主張が正当化される。母への愛を抑圧することによって彼はこの愛を無意識裡に保存し、こうしてそれ以後つねに母に忠誠な者となる[Durch die Verdrängung der Liebe zur Mutter konserviert er dieselbe in seinem Unbewußten und bleibt von nun an der Mutter treu. ]


彼が恋人としては少年のあとを追い廻しているように見えても、じつは彼はそうすることによって、彼を不忠誠にしうる他の女たちから逃げ廻っているのである[Wenn er als Liebhaber Knaben nachzulaufen scheint, so läuft er in Wirklichkeit vor den anderen Frauen davon, die ihn untreu machen könnten. ]。


われわれはまた直接個々の場合を観察した結果、一見男の魅力しか感じない者も本当は標準的な男性と同様、女の魅力のとりこになること[daß der scheinbar nur für männlichen Reiz Empfängliche in Wahrheit der Anziehung, die vom Weibe ausgeht, unterliegt wie ein Normaler]を証明しえた。


しかし彼はそのつど急いで、女から受けた興奮を男の対象に置き換え、絶えず彼がかつて同性愛を獲得したあの機制を繰り返すのである[aber er beeilt sich jedesmal, die vom Weibe empfangene Erregung auf ein männliches Objekt zu überschreiben, und wiederholt auf solche Weise immer wieder den Mechanismus, durch den er seine Homosexualität erworben hat. ](フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』第3章、1910年)




もしこうじゃなかったらーー母なるモノをS(Ⱥ)と記すんだがーー、男性の同性愛者は最も強くブラックホール不安を抱いてるタイプの可能性もあるな。


あなたを呑み込むヴァギナデンタータ、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ)の効果[an effect of S(Ⱥ) as a sucking vagina dentata, eventually as an astronomical black hole absorbing all energy ](ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?、1997)

性交が中断されたとき引き起こされる性的機能の障害との遭遇は、母の性器の不安(危険なヴァギナデンタータ)に相当する。Störungen der Sexual funktion hinüberleitet, indem der sie auslösende Koitus interruptus der Angst vor dem mütterlichen Genitale entspricht (gefährliche vagina dentata). (オットー・ランク『出産外傷』1924年)

ジイドを不安で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である。[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir ](Lacan, JEUNESSE DE GIDE, E750, 1958)



ま、もちろんほかにも遺伝とかの話はあるんだろうが、フロイトラカン的精神分析では、男性の同性愛者は、母なるモノに最も忠誠な者か最もブラックホール不安者かどっちかじゃないね。



母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger] (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)



これを受け入れるなら、ボクなんかギリギリで同性愛にならなかったタイプだよ[参照]。


なにはともあれラカン的な主体の原像とは、喪われた子宮なんだよ。



主体はどこにあるのか? われわれは唯一、喪われた対象としての主体を見出しうる。より厳密に言えば、喪われた対象は主体の支柱である[Où est le sujet ? On ne peut trouver le sujet que comme objet perdu. Plus précisément cet objet perdu est le support du sujet] (ラカン, De la structure en tant qu'immixtion d'un Autre préalable à tout sujet possible, ーーintervention à l'Université Johns Hopkins, Baltimore, 1966)

例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](ラカン、S11、20 Mai 1964)

喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)