フロイトは1917年、「トラウマへの固着」と名付けられた講義で、神経症はトラウマの病いだと言っている。 |
神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる[Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年) |
フロイトにおける神経症には二種類ある。 |
現勢神経症の症状は、しばしば、精神神経症の症状の核であり、先駆けである[das Symptom der Aktualneurose ist nämlich häufig der Kern und die Vorstufe des psychoneurotischen Symptoms. ](フロイト『精神分析入門』第24章、1917年) |
この二つの神経症がフロイトにとっての全症状である。フロイトは別に精神神経症に相当するものを心的外被[psychische Umkleidung]と呼んでおり、その代表的なものはヒステリー 、強迫神経症、恐怖症である。 この意味で、現勢神経症[Aktualneurose]と精神神経症[Psychoneurose]は、ラカン語彙なら、現実界の症状と象徴界(プラス想像界)の症状であり、象徴界の症状とはトラウマ的な内的欲動蠢動を大他者に帰して防衛する病いである。 |
ラカンにとって主体は現実界の穴である。 |
現実界のなかの穴は主体である[Un trou dans le réel, voilà le sujet. ](Lacan, S13, 15 Décembre 1965) |
これは、「主体はトラウマ」、ーー現実界のトラウマ、享楽のトラウマーーということである。 |
人はみな現実界のなかの穴を穴埋めするために何かを発明する。現実界は、穴=トラウマを為す。[…tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. …ça fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
フロイトの語彙を混淆させて言えば、現勢神経症という《主体の穴 le trou du sujet》 (Lacan, S13, 08 Décembre 1965)を穴埋めするのが精神神経症という心的外被である。 この穴埋めとしての心的外被を、ラカン派では幻想もしくは妄想とも呼ぶ。 |
ジャック=アラン・ミレールのほぼ30年隔てた次の二文は同じことを言っている。 |
幻想が主体にとって根源的な場をとるなら、その理由は主体の穴を穴埋めするためである[Si le fantasme prend une place fondamentale pour le sujet, c'est qu'il est appelé à combler le trou du sujet] (J.-A. Miller, DU SYMPTÔME AU FANTASME, ET RETOUR, 8 décembre 1982) |
「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。…この意味はすべての人にとって穴があるということである[au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. ](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
最晩年のラカンにおいて幻想=妄想になっただけである。 |
ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する[tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant]」と。〔・・・〕あなた方自身の世界は妄想的である。我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的のことである[votre monde, est délirant – fantasmatique peut-on-dire - mais, justement, fantasmatique veut dire délirant.](J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009) |
なおフロイトにおける妄想の最も簡潔な定義は次のものである。 |
病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion. (フロイト 『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察(症例シュレーバー)』)1911年) |
ところでフロイトラカンにおけるトラウマは、われわれが通常使うトラウマとは異なった意味をもっていることに注意しなければならない。通常の事故によるトラウマという意味もないではないが、両者がいうトラウマの基盤は、成人言語の世界に入場する以前の幼児期の身体の出来事ーー例えば身体の世話に伴う刻印ーーであり、これはほとんど常に母にかかわる。 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding. ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
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ここで最初期のフロイトと最晩年のフロイトを並べてみよう。 |
我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste, die sich der Beurteilung entziehen](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895年) |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への拘束として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
残滓とは、心的装置あるいは自我に《同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)]》(フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)である。 エロス的固着の残滓における「エロス」はリビドーと等価である。ーー《すべての利用しうるエロスエネルギーを、われわれはリビドーと名付ける[die gesamte verfügbare Energie des Eros, die wir von nun ab Libido heissen werden]》(フロイト『精神分析概説』第2章, 1939年) |
したがって、母へのエロス的固着の残滓[Rest der erotischen Fixierung an die Mutter]とは母へのリビドー固着の残滓[Rest der Libidofixierung an die Mutter]となる。 |
常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
ラカンはこの「モノ=リビドー固着の残滓」を対象aとも呼んだ。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, 21 Novembre 1962) |
享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou] (Lacan, S16, 27 Novembre 1968) |
穴は先に示した通り、トラウマのことであり、リビドー固着の残滓としての母なるモノはトラウマだということになる。ーー《母は構造的に対象aの水準にて機能する。C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).》 (Lacan, S10, 15 Mai 1963 ) |
フロイトにとってトラウマへの固着とは、リビドーの固着(欲動の固着)と等価であり、これがラカン派の享楽の固着である[参照]。 |
フロイトラカンにおけるトラウマとは、人はみな固着点に回帰するという意味なのである。 |
現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place » ](Lacan, S16, 05 Mars 1969 ) |
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
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結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
上に示したようにラカンの現実界はトラウマであり、《享楽は現実界にある [la jouissance c'est du Réel]》(ラカン、S23, 10 Février 1976) |
享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にあり、固着の対象である[la jouissance est un événement de corps. … la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, …elle est l'objet d'une fixation.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009) |
つまり人はみなトラウマへの固着に回帰する。これが冒頭に示した「神経症はトラウマの病い」の内実である。
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
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ジャック=アラン・ミレールは《分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, …précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)と言っているが、この固着の原点にあるのが、母へのトラウマ的固着[Der traumatischen Fixierung an die Mutter]である。
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※付記
1937年のフロイトは、冒頭に示した1917年のフロイトよりも一層明瞭に、神経症の原因はトラウマあるいはトラウマへの固着であることを示している。 |
すべての神経症的障害の原因[Die Ätiologie aller neurotischen Störungen]は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動[widerspenstige Triebe]が自我による飼い馴らし[Bändigung]に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期のトラウマ体験[frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumen]を、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。 概してそれは二つの契機、素因的なものと偶然的なもの[des konstitutionellen und des akzidentellen]との結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかにトラウマは固着を生じやすく[Trauma zur Fixierung führen]、精神発達の障害を後に残すものであるし、トラウマ的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態においてもその障害が現われる可能性は増大する[je stärker das Trauma, desto sicherer wird es seine Schädigung auch unter normalen Triebverhältnissen äußern.](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章, 1937年) |