そうだな、前回引用したこの「享楽=マゾヒズム」。
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムを含んでいる。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである。[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert, ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
そしてジャック=アラン・ミレール曰くの「享楽=自体性愛」。 |
ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる。より正確に言えばーー私は今年、強調したいがーー、享楽とは、フロイディズムにおいて自体性愛と伝統的に呼ばれるもののことである。〔・・・〕ラカンはこの自体性愛的性質を、全き厳密さにおいて、欲動概念自体に拡張した。ラカンの定義においては、欲動は自体性愛的である。 Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance, et plus précisément, comme je l'ai accentué cette année, par sa jouissance, qu'on appelle traditionnellement dans le freudisme l'auto-érotisme. […] Lacan a étendu ce caractère auto-érotique en tout rigueur à la pulsion elle-même. Dans sa définition lacanienne, la pulsion est auto-érotique. (J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011) |
この二つはひどく矛盾があるように「一見」みえるよ。ボクも3年ほど前問われて答えられなかったね。 でも上のミレールはセミネールⅩⅠのラカンに準拠している。 |
自体性愛の対象は喪われた対象aの形態をとる[autoérotisme…Cet objet …la forme de la fonction de l'objet perdu (a)](Lacan, S11, 13 Mai 1964、摘要) |
で、セミネールⅩⅢのラカンは次のように言っている。
享楽という原マゾヒズム[le masochisme primordial de la jouissance](Lacan, S13, June 8, 1966) |
マゾヒストは決して次のことによって定義されるものではない、すなわち苦痛や苦痛のなかの快、快のための苦痛ではない。le masochiste ne peut aucunement être défini : ni souffrir, à avoir du plaisir dans la souffrance, ni souffrir pour le plaisir. マゾヒストを唯一明示しうるのは、対象aの機能を持ち出す以外ない。それがまったき本質である。私は信じている、重要なのはかつて原ナルシシズムのため確保されていた場処に目星をつけなければならないと。On ne peut articuler le masochiste qu'à faire entrer…que la fonction de l'objet(a) en particulier y est absolument essentielle. Je crois que l'important de ce que…peut être repéré à la place anciennement réservée au narcissisme primaire. (Lacan, S13, 22 juin 1966) |
自体性愛も原マゾヒズムもどっちも対象aなんだな。
ラカンは享楽は穴だとか喪失だとか去勢と言っている。
穴としての享楽[la jouissance …comme trou](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
享楽の喪失[déperdition de jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
享楽は去勢[la jouissance est la castration.] (Lacan parle à Bruxelles, 26 Février 1977) |
穴喪失去勢ってのは同じことで、全部対象aだ。
対象a |
喪失 |
喪われた対象aの形態…永遠に喪われている対象の周りを循環すること自体が対象aの起源である[la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …l'origine…il est à contourner cet objet éternellement manquant. ](Lacan, S11, 13 Mai 1964) |
去勢 |
私は常に、一義的な仕方で、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している[cet objet(a)...ce que j'ai pointé toujours, d'une façon univoque, par l'algorithme (-φ).] (Lacan, S11, 11 mars 1964) |
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穴 |
対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel] (Lacan, S16, 27 Novembre 1968) |
だから享楽ってのは対象aだよ。もっとも対象aってのは穴埋めの対象a=剰余享楽もあるが。
で、先ほどのセミネールⅩⅢには「原マゾヒズム=原ナルシシズム」ともあった。
原ナルシシズムってのは自体性愛のことだ。
後期フロイト(おおよそ1920年代半ば以降)において、「自体性愛-ナルシシズム」は、「原ナルシシズム-二次ナルシシズム」におおむね代替されている。 Im späteren Werk Freuds (etwa ab Mitte der 20er Jahre) wird die Unter-scheidung »Autoerotismus – Narzissmus« weitgehend durch die Unterscheidung »primärer – sekundärer Narzissmus« ersetzt. (Leseprobe aus: Kriz, Grundkonzepte der Psychotherapie, 2014) |
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これでキマリ。自体性愛=原ナルシシズム=原マゾヒズム。
自体性愛の別名は自己身体の享楽だが、先ほど示したセミネールⅩⅠにあったように実際は「喪われた自己身体の享楽」だ。
フロイトだったら「自体性愛=自己身体の享楽」の対象が「去勢された自己身体=喪われた自己身体」であることは、次の文に最も鮮明に現れている。 |
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration」つまり、自己身体の重要な一部の喪失[Verlust eines bedeutsamen, zu seinem Besitz gerechneten Körperteils] と感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為[Geburtsakt ]がそれまで一体であった母からの分離[Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war]として、あらゆる去勢の原像[Urbild jeder Kastration]であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
というわけでこうなる。
で、喪われた自己身体ってのは「モノ=異者としての身体=対象a」のこと。
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger ](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
享楽の対象としてのモノは喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要) |
より具体的にはモノ=対象aは母の身体。 |
モノは母である[das Ding, qui est la mère ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20 Janvier 1960) |
母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а). ](Lacan, S10, 15 Mai 1963) |
で、究極の喪われた母の身体とはオメコだ。
例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](Lacan, S11, 20 Mai 1964) |
喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
ラカンの享楽はフロイトの欲動であり、欲動の対象とは喪われたオメコであり、これが死の欲動。 |
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, ](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年) |
人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. 」(フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
生の目標は死である。Das Ziel alles Lebens ist der Tod 〔・・・〕有機体はそれぞれの流儀に従って死を望む。生命を守る番兵も元をただせば、死に仕える衛兵であった。der Organismus nur auf seine Weise sterben will; auch diese Lebenswächter sind ursprünglich Trabanten des Todes gewesen. (フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年) |
以上、よろしいでしょうか。誰にとってもオメコが最も重要です。
谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章「玄牝之門」) |
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谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ。(老子「玄牝之門」福永光司訳) |
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孔徳之容、唯道是従。道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。(老子『道徳経』第二十一章) |
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女性的な「徳(はたらき)」の深い孔のようなゆとりにそって「道」はただ進むだけだ。この道が物を作るのは、ただ恍惚の中でのことだ。恍惚の中で象(かたち)がみえる。その恍惚の中に物があるのだ。そしてその奥深くほの暗い中に精が孕まれる。この精こそ真に充実した存在であって、その中に信が存在する。(老子「孔徳之容」保立道久訳) |
男女両性の主体にとっての根源的パートナーは玄牝之門である。
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主体の根源的パートナーは、享楽の喪失自体・喪われた対象から成っている[le partenaire fondamental du sujet est fait de sa propre perte de jouissance, son objet perdu.](ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, Encore : belvédère sur la jouissance, 2013) |
主体はどこにあるのか? われわれは唯一、喪われた対象としての主体を見出しうる。より厳密に言えば、喪われた対象は主体の支柱である。Où est le sujet ? On ne peut trouver le sujet que comme objet perdu. Plus précisément cet objet perdu est le support du sujet (ラカン, De la structure en tant qu'immixtion d'un Autre préalable à tout sujet possible, ーーintervention à l'Université Johns Hopkins, Baltimore, 1966) |
こんなことは実はまともな連中は昔からわかってたことだけどさ。 |
かくの如く私は聞いた。ある時、ブッダは一切如来の身語心の心髄である金剛妃たちの女陰に住しておられた[evaṃ mayā śrutam / ekasmin samaye bhagavān sarvatathāgatakāyavākcittahṛdayavajrayoṣidbhageṣu vijahāra ](『秘密集会タントラ』Guhyasamāja tantra) |
主体の根源的パートナーは蓮華である。