この3つのツイートは、上にもあるように、與那覇潤の「「言い逃げ」的なネット文化を脱するために:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える② 」(2021.11.04)へのコメントで、他にも、さっと探るだけでも、若い学者たちを中心にこのたぐいの意見がふんだんにある。
ところで、集団リンチ批判が集団リンチにならない可能性ってあるのかね。冒頭の「集団リンチ…そういう陰湿な印象を連名者の1300人の人達はこれから背負うだろう」なんて少なくともそこに半歩は踏み込んでるんじゃないか。ヤレヤレ! なんて言わないけどさ。なかなかおもむきのあるツイートで「惹きつけられ」ちゃったよ。たまってんだろうな、若い学者たちってのは。
今あまり人気のない歴史家トインビーであるが、彼が指摘するとおり、文化の「リエゾン・オフィサー」(連絡将校)としてのインテリゲンチアへの社会的評価と報酬とは近代化の進行とともに次第に低下し、その欲求不満がついにはその文化への所属感を持たない「内なるプロレタリアート」にならしめると私は思う。 (中井久夫「学園紛争は何であったのか」1995年『家族の深淵』所収)
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さて引き続き、「いじめ専門家」中井久夫ーー中井は小学校時代にひどいいじめに遭っているーーのいじめ論を掲げておくよ。ここでは、名高い「いじめの政治学」(1997年)ではなく、その10年ほど前に書かれた論から。
いじめの問題には、いくつかの層を区別する必要があると私は思う。
第一に、ある発達段階において意地悪あるいはいじめの現象には、人間あるいはそれ以前の動物において広くみられる永遠の問題だという部分がある。一九二二年にシュデルップ=ヘッペがニワトリのつつき順位を報告して以来、動物の集団には順位があり、それを確認する行為がいろいろな形でみられることが知られている。〔・・・〕
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動物園の動物はじめ飼育動物が一種の神経症状態になっていることがわかっているが、いささか気になることは、人間は自分で自分を動物園にとじこめて飼育している奇妙な動物である、というモリスの指摘である。人間は、攻撃性の処理を社会的にどう行うかが、そもそものはじめから大問題であった動物のようだ。数百万年前の原人の頭蓋骨に石の斧が食いこんだ跡があると聞かされると、まことにうんざりするが、事実は正視せざるをえまい。〔・・・〕
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第二の側面、すなわち時代の流れの中での問題にはいろう。一体何が問題を即座に破綻させるようになったのか。多くの指摘があって、いずれも一面をとらえていると思う。学園紛争の中にも、校内暴力の中にも、不登校の中にも、家庭内暴力の中にも、いじめ的要素はあった。いずれも「無理難題」を吹きかけて相手を追いつめるという戦略が主流だった。ただ、思春期の新しい問題が上を表土のようにおおっていた。ただそれだけだったのか。それが、思春期をとおらないで即座に出現したので何の粉飾もない「殺風景」な「いじめ」というものになったのか。
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学園紛争が、全世界同時的に、一九六八年を中心に起こったのには、多くの者が説明にくるしんだ。私は、結局、第二次大戦からの時間的距離しかアメリカから日本、フランス、さらに中国に至るまでの共通項はなかろうと考えた。戦時中から戦後にかけての兵役、捕虜などによる父親不在があり、さらに日本では敗戦による成人の価値変換をまのあたりに見てそだった世代の子どもたちである。親が戦後の社会改革の中でもまれて中心的価値をみうしなったことが問題なのか。両親の家族中心主義。大量出産が示す家庭志向(ベビー・ブームはどの国の戦後にも起こった)への反発か。あるいは親の挫折感(戦後には「世直し」期待が戦勝国でも敗戦国でも発生したが失望におわった)を継承しているのか。とにかく、青年として戦争をすごした親から生れた子が紛争世代であった。
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では、今の小・中学生は? ちょうど高度成長時代に小・中学生時代を送った親の子ではないか。高度成長時代は生活の基盤そのものが移動した時代であった。将来こうもあろうかと予想していなかったものが次々にあらわれた。ヨーロッパの一国――ギリシャだったかボルトガルだったかーーをついに追いこしたと、通産省が誇らしげに発表したのは一九六〇年ごろだったと思う。その直前まで日本は確実に第三世界に分類されており、その指導者たちの集まるバンドン会議に代表を送ることを不思議に思う者はいなかった。
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生活が急速に向上した家庭の子どもは、特殊な自己規定困難を背負いこむ。幼児期は民間アパートで、小児期は団地で、思春期はマンションで、青年期になって豪邸で過した人は、その都度なじんだ環境に別れ、友人を失うだけでなく、自分にたいする周囲の目も、呼び方も、しかるべき服装も言葉も振舞いも換えねばならない。こういうことに耐えて成長する子があることも確かだが、混乱と混沌に陥る者の比率も増大する。病気にはならなくても、弱点をしょいこむ者はずっと多いだろう。高度成長時代の日本人の大部分がそうだったと言えるかもしれない。いわゆるニュー・ファミリー世代である。海外旅行は一九六〇年代半ばまでは上流階級のものであった。外国に旅行することは少年時代の人生計画の予定外だった。
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高度成長は終わったが、生活の変化はつづいた。普遍的職業としての「サラリーマン」は消えた。文系の高等教育を受けて帳簿をつけて会議にでて一生を送るという、江戸時代の武士の延長のような存在は決定的になくなった。平均的な人間が生きにくい時代になった。「こつこつやっていれば報いられる」という教えを説くことが、家庭でも学校でもむつかしくなった。さらに、単身赴任者が三分の一に及ぶという時代になった。都会人でも田舎の人でもない、住宅地人、団地人、つまり「あなたの故郷は?」ときかれて答えられない人が大量に発生した。これが単身赴任を心理的にやさしくしたのであろう。一方、持ち家政策で一戸建の家に住む日本人は有史以来の率にたっした。単身赴任は、労働の能率化・流動化と持ち家政策との矛盾に発生したともいえる。ニュー・ファミリーを待っていた試練である。
こういう時代の人の子が、今小学生から中学生になっているのである。
しかし、今問題になっている「いじめ」の内容には新しさがあるのだろうか? 新しさとしてあげられているものは、そのしつこさ、限度の知らなさである。昔はそうでなかったという。しかし、それは戦前の陸軍の新兵いじめ、戦時中の疎開学童いじめを知らないものである。〔・・・〕
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第三の側面がほの見える。つまり、日本文化に内在するいじめのパターンがあるのではないか。戦時中のいじめーー新兵いじめをさらに遡れば、御殿女中いじめがある。現在でも新人いじめがあり、小役人の市民いじめがあり、孤立した個人にたいする庶民大衆のいじめがある。医師の社会にもあり、教師の社会にもあるだろう。ねちねちと意地悪く、しつこく、些細なことをとらえ、それを拡大して本質的に悪い(ダメな)者ときめつけ、徒党をくんでいっそうの孤立を図る。完全に無力化すれば、限度のないなぶり、いたぶりに至る。連合赤軍の物語で私を最もうんざりさせたのは、戦時中の新兵いじめ、疎開学童いじめと全く同じパターンだったことである。そういえば、シベリアの捕虜の間でも「暁に祈る」という、死に至らしめるいじめがあった。忠臣蔵という芝居が江戸時代を通じて上演記録の一、二を(佐倉宗五郎とともに)争い、今日もくり返しテレビに登場して高い視聴率を挙げているのは、いじめに対して反撃して挫折した者の感情がこめられているのではないか。
幕府は冷酷だった。しかし(実際の被害者は通常もてないところの)家来たちがかたきをとってくれる。幻想の中の解放感である。〔・・・〕
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この第三の側面は、私には日本人のいちばんいやな面である。戦時中の日本兵の残虐行為も、このパターンであったろう。
こういうものは何によって生まれるのか。私には急に答えられないが、思い合わせるのは、実験神経症である。些細な差にたいする反応のいかんによって賞か罰かが決まるような状況におけば、無差別的な攻撃行為や自分を傷つける行為が起こる。新兵いじめでは些細な規律違反が問題になった。御殿女中では些細な行動が礼儀作法にかなっているかどうかが問題になった。連合赤軍では些細な服装や言葉づかいが、かくれた「ブルジョア性」のあらわれではないかと問題になった。いずれも、閉鎖社会であり、その掲げる目的を誰もほんとうには信じていない状況であった。
戦時中の教師はよく殴ったが、それで日本精神を注入して戦争に勝てるとはほんとうに思っていなかったにちがいない。人間は、自分が信じていないということを自覚しないで、信じているぞと自他に示そうとするとかなり危険な動物になる。
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もちろん、信じていないことをしなければならないことはしばしば起こる。誰もが英雄ではないし、英雄には英雄の問題がある。最低、必要なのは、自分の影をみつめることのできるユーモア精神だと私は思う。
誰にも攻撃性はある。自分の攻撃性を自覚しない時、特に、自分は攻撃性の毒をもっていないと錯覚して、自分の行為は大義名分によるものだと自分に言い聞かせる時が危ない。医師や教師のような、人間をちょっと人間より高いところから扱うような職業には特にその危険がある。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」初出1986年『記憶の肖像』所収)
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これ以外にも、根のところでは鳥語装置批判をしないとな、ツイッターやってる限り、よほど注意しないと人は集団リンチの罠から逃れ難いよ。
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私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。〔・・・〕私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)
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フロイト的には、自己破壊と他者破壊の関係は次のようになっている。
マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に居残ったままでありうる。
Masochismus […] für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. […] daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; 〔・・・〕
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我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!
es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
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そしてこの原欲動としての「原マゾヒズム=自己破壊欲動」がラカンの享楽である。
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享楽という原マゾヒズム[le masochisme primordial de la jouissance](Lacan, S13, June 8, 1966)
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享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムを含んでいる。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである。[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert, ](Lacan, S23, 10 Février 1976)
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