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2021年11月10日水曜日

芸術は穴の効果

 


詩は意味の効果だけでなく、穴の効果である[la poésie qui est effet de sens, mais aussi bien effet de trou.]  (Lacan, S24, 17 Mai 1977)


詩だけではなく、芸術自体、穴の効果の相(アスペクト)がある筈である。とくに音楽は詩以上に穴の効果をもつだろう。


穴の効果とは、身体の効果ということだ。


身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


もっとも「身体」というとき注意しなければならないのは、ラカンには大きく分けて二つの身体があることだ。




イマジネールな身体は意味の審級にあり、リアルな身体は非意味の審級にある。穴の身体は欲動の身体(享楽の身体)である。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou.(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

欲動は、心的なものと身体的なものとの「境界概念」である。der »Trieb« als ein Grenzbegriff zwischen Seelischem und Somatischem(フロイト『欲動および欲動の運命』1915年)

享楽に固有の空胞、穴の配置は、欲動における境界構造と私が呼ぶものにある。configuration de vacuole, de trou propre à la jouissance…à ce que j'appelle dans la pulsion une structure de bord.   (Lacan, S16, 12 Mars 1969)


穴の別名はトラウマである。


現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である。ce réel de Lacan …, c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours.  (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)


フロイトラカンのトラウマとは、われわれが日常的に使うトラウマとは異なる。自我あるいはシニフィアンの主体の治外法権にあって、勝手気ままに蠢く何ものかをトラウマと呼ぶ。


穴の身体=トラウマの身体の別名は異者としての身体である。


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 Fremdkörper)の症状と呼んでいる。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する。[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)




例えばラカンはフロイトの『症例ハンス』の事例を持ち出して、オチンチンは異者だと言っている。


享楽はおちんちんから来る。それはハンス少年にとって異者だった[La jouissance qui est résultée de ce Wiwimacher lui (petit Hans )est étrangère ](LACAN CONFÉRENCE À GENÈVE SUR LE SYMPTÔME, 1975)


オチンチンは穴=トラウマなのである。


勃起は身体の出来事である[L'érection de l'organe est un événement de corps, ](Lina Velez, Le symptôme comme événement de corps,  le 12 novembre 2020)


ペニスは自我に関知せずに自ずと勃然とする。これがトラウマの身体である。ヴァギナが勝手に濡れるのもトラウマである。


トラウマは自己身体の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)

享楽は身体の出来事であり、トラウマの審級にある[la jouissance est un événement de corps …elle est de l'ordre du traumatisme ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)




ちなみにニーチェはこう言っている。


芸術や美へのあこがれは、性欲動の歓喜の間接的なあこがれである。Das Verlangen nach Kunst und Schönheit ist ein indirektes Verlangen nach den Entzückungen des Geschlechtstriebes   (ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )

すべての美は生殖を刺激する、ーーこれこそが、最も官能的なものから最も精神的なものにいたるまで、美の作用の特質である。daß alle Schönheit zur Zeugung reize - daß dies gerade das proprium ihrer Wirkung sei, vom Sinnlichsten bis hinauf ins Geistigste... (ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」22節『偶像の黄昏』1888年)


熱心なニーチェ読みだったフロイトもこう言っている。


「美」という概念が性的興奮 という土地に根をおろしているものであり、本来性的に刺激するもの sexuell Reizende(「魅力」die Reize)を意味していることは、私には疑いないと思われる。Es scheint mir unzweifelhaft, daß der Begriff des »Schönen« auf dem Boden der Sexualerregung wurzelt und ursprünglich das sexuell Reizende (»die Reize«) bedeutet. (フロイト『性欲論三篇』1905年)

「美」や「魅力」は、もともと、性的対象が持つ性質である。Die »Schönheit« und der »Reiz« sind ursprünglich Eigenschaften des Sexualobjekts.(フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』1930年)



ところでカントは、芸術のなかで音楽を最低=最高のポジションに置いている。


感覚的刺戟と感動[Reiz und Bewegung des Gemüts]とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである〔・・・〕


これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、べての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる[so hat Musik unter den schönen Künsten sofern den untersten (so wie unter denen, die zugleich nach ihrer Annehmlichkeit geschätzt werden, vielleicht den obersten) Platz](カント『判断力批判』第53節、篠田英雄訳)