詩は意味の効果だけでなく、穴の効果である[la poésie qui est effet de sens, mais aussi bien effet de trou.] (Lacan, S24, 17 Mai 1977) |
詩だけではなく、芸術自体、穴の効果の相(アスペクト)がある筈である。とくに音楽は詩以上に穴の効果をもつだろう。 穴の効果とは、身体の効果ということだ。 |
身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice) |
もっとも「身体」というとき注意しなければならないのは、ラカンには大きく分けて二つの身体があることだ。 |
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イマジネールな身体は意味の審級にあり、リアルな身体は非意味の審級にある。穴の身体は欲動の身体(享楽の身体)である。 |
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou.(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
欲動は、心的なものと身体的なものとの「境界概念」である。der »Trieb« als ein Grenzbegriff zwischen Seelischem und Somatischem(フロイト『欲動および欲動の運命』1915年) |
享楽に固有の空胞、穴の配置は、欲動における境界構造と私が呼ぶものにある。configuration de vacuole, de trou propre à la jouissance…à ce que j'appelle dans la pulsion une structure de bord. (Lacan, S16, 12 Mars 1969) |
穴の別名はトラウマである。 |
現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である。ce réel de Lacan …, c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours. (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011) |
フロイトラカンのトラウマとは、われわれが日常的に使うトラウマとは異なる。自我あるいはシニフィアンの主体の治外法権にあって、勝手気ままに蠢く何ものかをトラウマと呼ぶ。 穴の身体=トラウマの身体の別名は異者としての身体である。 |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 Fremdkörper)の症状と呼んでいる。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する。[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
例えばラカンはフロイトの『症例ハンス』の事例を持ち出して、オチンチンは異者だと言っている。 |
享楽はおちんちんから来る。それはハンス少年にとって異者だった[La jouissance qui est résultée de ce Wiwimacher lui (petit Hans )est étrangère ](LACAN CONFÉRENCE À GENÈVE SUR LE SYMPTÔME, 1975) |
オチンチンは穴=トラウマなのである。 |
勃起は身体の出来事である[L'érection de l'organe est un événement de corps, ](Lina Velez, Le symptôme comme événement de corps, le 12 novembre 2020) |
ペニスは自我に関知せずに自ずと勃然とする。これがトラウマの身体である。ヴァギナが勝手に濡れるのもトラウマである。 |
トラウマは自己身体の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
享楽は身体の出来事であり、トラウマの審級にある[la jouissance est un événement de corps …elle est de l'ordre du traumatisme ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
ちなみにニーチェはこう言っている。 |
芸術や美へのあこがれは、性欲動の歓喜の間接的なあこがれである。Das Verlangen nach Kunst und Schönheit ist ein indirektes Verlangen nach den Entzückungen des Geschlechtstriebes (ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887 ) |
すべての美は生殖を刺激する、ーーこれこそが、最も官能的なものから最も精神的なものにいたるまで、美の作用の特質である。daß alle Schönheit zur Zeugung reize - daß dies gerade das proprium ihrer Wirkung sei, vom Sinnlichsten bis hinauf ins Geistigste... (ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」22節『偶像の黄昏』1888年) |
熱心なニーチェ読みだったフロイトもこう言っている。 |
「美」という概念が性的興奮 という土地に根をおろしているものであり、本来性的に刺激するもの sexuell Reizende(「魅力」die Reize)を意味していることは、私には疑いないと思われる。Es scheint mir unzweifelhaft, daß der Begriff des »Schönen« auf dem Boden der Sexualerregung wurzelt und ursprünglich das sexuell Reizende (»die Reize«) bedeutet. (フロイト『性欲論三篇』1905年) |
「美」や「魅力」は、もともと、性的対象が持つ性質である。Die »Schönheit« und der »Reiz« sind ursprünglich Eigenschaften des Sexualobjekts.(フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』1930年) |
ところでカントは、芸術のなかで音楽を最低=最高のポジションに置いている。 |
感覚的刺戟と感動[Reiz und Bewegung des Gemüts]とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである〔・・・〕 これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる[so hat Musik unter den schönen Künsten sofern den untersten (so wie unter denen, die zugleich nach ihrer Annehmlichkeit geschätzt werden, vielleicht den obersten) Platz](カント『判断力批判』第53節、篠田英雄訳) |