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2021年12月5日日曜日

「現代思想」――または、店晒しにされた「厚顔無恥」

 

ま、ほとんどこういうことだよ、あのボウヤってのは。


菊池さんの言葉で言えば、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」の原稿を有難がるという弱点(小林秀雄「菊池寛」)

浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(小林秀雄「林房雄」)



蓮實は30年ほど前にこう言ってるがね、


蓮實)知識も基礎学力もない人たちが、こうまで簡単に批評家になれるとはどういうことですかね。最近の文芸雑誌をパラパラと見ていると、何だか多摩川の二軍選手たちが一軍の試合で主役を張っているような恥ずかしさがあるでしょう。ごく単純に十年早いぞって人が平気で後楽園のマウンドに立っている。要するに芸がなくてもやっていけるわけで、こういう人たちが変な自信をまでもっちゃった。(柄谷行人-蓮實重彦対談『闘争のエチカ』1988年)



他の分野はいざ知らず、精神分析の領野であの「浅薄な誤解」を流通させてもらっちまったらな、いっそう知の退行が起こるね。


若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞2017年1月1日号)


蓮實はあの相対的には優れているに違いない多摩川の二軍のボウヤと10年ぐらい前だったかに対談して、たぶん未来に期待してだろう、持ち上げてるんだが、いまだもってトッテモ二軍のままかあるいは悪化してるのか、少なくとも精神分析は大学野球レベルだよ。


現在、「現代思想」――または、店晒しにされた「厚顔無恥」――の本を書いているらしく上梓したら売れるんだろうがね。繰り返せば、他の領野はいざ知らず精神分析においてアノママで伝染しちまったら、日本の言論界の精神分析的知はますます悲惨だね、《浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解》だからな


…いずれにせよ、そうしたことが、わたくしに、四半世紀にもおよぶ短くはない沈黙を選ばせたのかもしれない。「はしたなさ」ばかりが跳梁跋扈する世紀末から二一世紀にかけての「文学理論」や「批評」がもたらす苛立ちも、沈黙を破らせることにはならなかった。


いま、その無言状態からふとぬけだそうとすることに、深い理由があるわけではない。あたりにはりつめていた禁止の力学が、ようやくときほぐれ始めたというのでもない。バルトをめぐってたち騒ぐあたりの饒舌を、雄弁な沈黙によっておきかえようと思いたったのでもない。そもそも、雑駁きわまりない呼び方で「現代思想」――または、店晒しにされた「厚顔無恥」――などと分類されたりもするフランスの他の作家たちにくらべてみれば、バルトに対して、人は、あまりにも少なく饒舌だったというべきだろう。(蓮實重彦「バルトとフィクション」初出2006年『表象の奈落』所収)


一般論を言えば、現在、小林秀雄や蓮實のようなまともな批評家がいなくなったことが最大の問題なんだな、あのボウヤに限らず、かつてよりもはるかに輪をかけて「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」が跳梁跋扈するようになっちまった。