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2022年1月10日月曜日

安吾備忘「花火と夜長姫」


◼️花火 1947年

「オレはさつき、暗いうちに、クビをかき切つて死なうかと思つてたんだ。然し、奥さんをねせておいて、悪趣味な芝居気も気がさしたからな。まつたく、悪夢だつた」

「ぢや、もう死なないの」

「どうだか、分らん。だが、芝居気は、もうない。オレの死ぬのは自然なんだ。もう生きてもゐたくなくなつただけだから」 


私は興奮のために、みるみる冷めたく堅くなつて、ふるへた。私は起き上つて叫んだ。


私を殺してよ。そして、あなたも死んでちようだい」 

彼は目をとぢて薄笑ひをうかべた。私はむらむら逆上した。いきなり飛びかゝつて彼のポケットからカミソリをつかみだして刃をぬいた。すると彼は深い目をして、沈んだやうに、私を見てゐた。こんな表情を、たれの場合も、私は見たことがなかつた。ヤケのドン底なのだらうか。死神がのりうつつてゐたのだらうか。私は息がとまつた。私は彼が何かいつてくれなければ大変なことになると閃くやうに思つたのだ。然し、彼の目は、あまりにも美しすぎた。


あなたが私を殺さなければ、私が殺すわよ。それでいゝの。あなたが先に死んでも」 


彼は返事をしないのだ。深い目で、なんだか、そ知らぬやうに、私を見つめてゐるのだ。私は悲鳴をあげさうだつた。何か、いつて。一言。言つてくれなければ、もう、ダメぢやないか。


殺すわよ。いゝの! 殺して」 


彼の深い目が、私を、ゆつたり見つめてゐた。私の方が先に叫んだ。ギャッといふ叫びが私ののどから走つた。そして私はカミソリを彼のクビに押しあてゝ力いつぱいひいてゐた。 

彼はグラグラして私の方へ倒れた。


よし、ひいてくれ。力いつぱい」 


彼はたしかにさういつた。然し、それが、どの瞬間に叫ばれた声であつたか私はもう思ひだせない。彼のクビから一時に血がふきだした。その血は私の胸にもとびかゝつたが、まるで大きな噴水の柱にたゝかれたやうに強くて重い力がこもり、私はそれが彼の愛情のすべてのあかしであるやうな、なつかしさに激動した。 


私は彼を仰向けにした。彼はまだ苦悶してゐた。口をあけて、息をしてゐた。


「ミヅ……」 


私は見廻して水をさがした。彼の最後ののどの乾きを医さずにゐられやうか。私は然し一つの閃く考へのためにピリピリした。私は彼を見つめた。苦しげであつたが、どこか安らかな翳があつた。私の胸はみちたりてゐた。私は私のクビを切つた。私はうつぶした。私のクビのきり口が彼の口に当るやうに。私の血の噴水が彼ののどの乾きをみたす楽しさに、私はうれしかつたのだ。私の胸は燃えてゐた。そして冷めたく、冷静だつた。そして、すべてが、分らなくなつた。

(坂口安吾「花火」初出:「サンデー毎日 臨時増刊号」1947(昭和22)年5月1日発行)




◼️夜長姫と耳男 1952年

このあどけない笑顔がいつオレを殺すかも知れない顔だと考えると、その怖れがオレの仕事の心棒になった。ふと手を休めて気がつくと、その怖れが、だきしめても足りないほどなつかしく心にしみる時があった。〔・・・〕


このヒメを殺さなければ、チャチな人間世界はもたないのだとオレは思った。 


ヒメは無心に野良を見つめていた。新しいキリキリ舞いを探しているのかも知れなかった。なんて可憐なヒメだろうとオレは思った。そして、心がきまると、オレはフシギにためらわなかった。むしろ強い力がオレを押すように思われた。 


オレはヒメに歩み寄ると、オレの左手をヒメの左の肩にかけ、だきすくめて、右手のキリを胸にうちこんだ。オレの肩はハアハアと大きな波をうっていたが、ヒメは目をあけてニッコリ笑った。


サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ。私もサヨナラの挨拶をして、胸を突き刺していただいたのに」 

ヒメのツブラな瞳はオレに絶えず、笑みかけていた。 


オレはヒメの言う通りだと思った。オレも挨拶がしたかったし、せめてお詫びの一言も叫んでからヒメを刺すつもりであったが、やっぱりのぼせて、何も言うことができないうちにヒメを刺してしまったのだ。今さら何を言えよう。オレの目に不覚の涙があふれた。 


するとヒメはオレの手をとり、ニッコリとささやいた。


好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」 


ヒメの目が笑って、とじた。 

オレはヒメを抱いたまま気を失って倒れてしまった。

(坂口安吾「夜長姫と耳男」初出:「新潮 第四九巻第六号」1952(昭和27)年6月1日発行)




この二作品は、


享楽の意志簡潔版

ーーにかかわるように見える(もっとも「文学のふるさと」の象徴化のひとつでもおそらくあるのだろうが)。


あるいは、


破壊は、愛の別の顔である。破壊と愛は同じ原理をもつ。すなわち穴の原理である[Le terme de ravage,…– que c'est l'autre face de l'amour. Le ravage et l'amour ont le même principe, à savoir grand A barré](J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999)

破壊は唯一、愛の享楽の顔である[le ravage, c'est seulement la face de jouissance de l'amour](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme   18/3/98 )


死は愛である[la mort, c'est l'amour. ](Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)

死への道…それはマゾヒズムについての言説である。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[Le chemin vers la mort… c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance]. (ラカン, S17, 26 Novembre 1969)