これは彼が言い出したわけじゃないのかも。
で、こういうことかあ
これが東大の心理学のセンセかあ、
いやあとっても「正義」だなあ
タブン全然カンケイナインダケド、
「脊髄反射的に」ニーチェを思い出しちゃったなあ
「…もう沢山です! もう沢山です! もう我慢ができません。わるい空気です! わるい空気です! 理想が製造されるこの工場はーー真赤な嘘の悪臭で鼻がつまりそうに思われます。」 …genug! genug! Ich halte es nicht mehr aus. Schlechte Luft! Schlechte Luft! Diese Werkstätte, wo man Ideale fabriziert - mich dünkt, sie stinkt vor lauter Lügen.« - |
――だめだ! もう暫く! 貴君はあらゆる黒いものから白いものを、乳液やら無垢を作り出すあの魔術師たちの出世作についてまだ何も話さなかった。――貴君は奴らの《精巧な》仕上げ、奴らの最も大胆な、最も細微な、最も巧妙な、最も欺瞞に充ちている窖の獣どもーー奴らがほかならぬ復讐と憎悪から果たして何を作り出すか。貴君はかつてこんな言葉を聞いたことがあるか。貴君が奴らの言葉だけに信頼していたら、貴君は《ルサンチマン》をもつ人間どもばかりの間にいるのだということに感づくであろうか…… Nein! Noch einen Augenblick! sie sagten noch nichts von dem Meisterstücke dieser Schwarzkünstler, welche Weiß, Milch und Unschuld aus jedem schwarz herstellen - haben Sie nicht bemerkt, was ihre Vollendung im Raffinement ist, ihr kühnster, feinster, geistreichster, lügenreichster Artisten-Griff? Geben Sie acht! Diese Kellertiere voll Rache und Haß - was machen sie doch gerade aus Rache und Haß? Hörten Sie je diese Worte? Würden Sie ahnen, wenn Sie nur ihren Worten trauten, daß sie unter lauter Menschen des Ressentiment sind?... |
――「わかりました。もう一度耳を欹てましょう(ああ! これは! どうだ! 鼻をつまもう)。奴らがすでに幾たびとなく繰り返したあの言葉が今やっと聞えます。『われわれ善き者――そのわれわれこそ正しき者だ』と。奴らの欲するもの、それを奴らは報復と呼ばず、却って『正義の祝勝』と呼びます。奴らの憎むもの、それは奴らの敵ではないのです。そうです! 奴らは『不正』を憎み、『背神』を憎むのです。奴らが信じかつ望むもの、それは復讐への希望、甘美な復讐(――『蜜より甘き』とすでにホメロスが呼んだ)の陶酔ではなくして、むしろ『神を無みする者に対する、神の、義しき神の勝利』なのです。奴らにとって愛すべきものとして地上に残されているもの、それは憎悪における同胞ではなくして、むしろ『愛における同胞』であり、奴らの言うところによれば、地上におけるすべての善くかつ正しい者なのです。」 |
- »Ich verstehe, ich mache nochmals die Ohren auf (ach! ach! ach! und die Nase zu). Jetzt höre ich erst, was sie so oft schon sagten: ›Wir Guten - wir sind die Gerechten‹ - was sie verlangen, das heißen sie nicht Vergeltung, sondern ›den Triumph der Gerech-tigkeit‹; was sie hassen, das ist nicht ihr Feind, nein! sie hassen das ›Unrecht‹, die ›Gottlosigkeit‹; was sie glauben und hoffen, ist nicht die Hoffnung auf Rache, die Trunkenheit der süßen Rache (- ›süßer als Honig‹ nannte sie schon Homer), sondern der Sieg Gottes, des gerechten Gottes über die Gottlosen; was ihnen zu lieben auf Erden übrigbleibt, sind nicht ihre Brü-der im Hasse, sondern ihre ›Brüder in der Liebe‹, wie sie sagen, alle Guten und Gerechten auf der Erde.« |
――では、奴らにとってこの世のあらゆる苦しみに対する慰めとなるもの、奴らが幻に描いて当てにしている未来の至福――、それを奴らは何と呼んでいるか。 - Und wie nennen sie das, was ihnen als Trost wider alle Leiden des Lebens dient - ihre Phantasma-gorie der vorweggenommenen zukünftigen Seligkeit? ――「どうでしょうか。私の耳に間違いないでしょうか。奴らはそれを『最後の審判』、自分らの国、すなわち『神の国』の到来と言っています。――しかも奴らは、それまでの間は『信仰に』、『愛に』、『希望に』生きるのです。」 - »Wie? Höre ich recht? sie heißen das ›das jüngste Gericht‹, das Kommen ihres Reichs, des ›Reichs Gottes‹ - einstweilen aber leben sie ›im Glauben‹, in der Liebe, ›in der Hoffnung‹.« ――もう沢山だ! もう沢山だ! - Genug! Genug! (ニーチェ『道徳の系譜学』 第一論文14節、1887年) |
ーー《 復讐欲動の発展としての正義[Gerechtigkeit als Entwicklung des Rachetriebes. ]》(ニーチェ「力への意志」遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )
オレはツイッターってのはホントに向かないんだよな
だからやめたんだけどさ、三年ほど前に。
吐き気がするんだ、大量リツイートでああいうのが準備なしに唐突に目に入ると。
最後に、わたしの天性のもうひとつの特徴をここで暗示することを許していただけるだろうか? これがあるために、わたしは人との交際において少なからず難渋するのである。すなわち、わたしには、潔癖の本能がまったく不気味なほど鋭敏に備わっているのである。それゆえ、わたしは、どんな人と会っても、その人の魂の近辺――とでもいおうか?――もしくは、その人の魂の最奥のもの、「内臓」とでもいうべきものを、生理的に知覚しーーかぎわけるのである……わたしは、この鋭敏さを心理的触覚として、あらゆる秘密を探りあて、握ってしまう。その天性の底に、多くの汚れがひそんでいる人は少なくない。おそらく粗悪な血のせいだろうが、それが教育の上塗りによって隠れている。そういうものが、わたしには、ほとんど一度会っただけで、わかってしまうのだ。わたしの観察に誤りがないなら、わたしの潔癖性に不快の念を与えるように生れついた者たちの方でも、わたしが嘔吐感を催しそうになってがまんしていることを感づくらしい。だからとって、その連中の香りがよくなってくるわけではないのだが……(ニーチェ『この人を見よ』1888年) |
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