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2022年1月13日木曜日

主体は異者[$= Fremdkörper]

 


ラカンの主体(斜線を引かれた主体)は、穴=対象a=享楽(享楽の穴)、トラウマである。


現実界のなかの穴は主体である[Un trou dans le réel, voilà le sujet]. (Lacan, S13, 15 Décembre 1965)

対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou](Lacan , S16, 27 Novembre 1968)

享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)



したがってジャック=アラン・ミレールは次のように言っている。


穴は斜線を引かれた主体と等価である[Ⱥ ≡ $]

A barré est équivalent à sujet barré. [Ⱥ ≡ $](J.-A. MILLER, -désenchantement- 20/03/2002)

対象aは主体自体である[a ≡ $]

le petit a est le sujet lui-même( J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005)

私は斜線を引かれた享楽を斜線を引かれた主体と等価とする[(- J) ≡ $]

le « J » majuscule du mot « Jouissance », le prélever pour l'inscrire et le barrer …- équivalente à celle du sujet :(- J) ≡ $  (J.-A. MILLER, Tout le monde est fou, 04/06/2008)



マテームだけ抜き出せば、次の通り。







ところで、対象aはフロイトの異者[Fremdkörper]のことである。


異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

この対象aは、主体にとって本質的なものであり、異者性によって徴付けられている[ ce (a), comme essentiel au sujet et comme marqué de cette étrangeté] (Lacan, S16, 14  Mai  1969)

現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne , 6  -16/06/2004)



つまり主体は異者[$= Fremdkörper]ということになる。






ここでフロイト自身の異者をめぐる記述をいくら見てみよう。



◼️異者はトラウマであり、レミニサンスする

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。この異者は体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ。〔・・・〕この異者は、たとえば後の時間に目覚めた意識のなかに心的な痛みを呼び起こす誘因となる。ほとんどのヒステリー症者はレミニサンスに苦しむのである。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muß..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  der Hysterische leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)



◼️異者理論は中世からある

ところであなたはどう思うだろうか、私のすべての新しいヒステリー 前史理論はすでに知られており、数世紀前だが何百回も出版されているという見解について。あなたは覚えているだろうか、私がいつも言っていたことを。中世の理論、強迫観念の霊的法廷は、私たちの異者理論[Fremdkörpertheorie]と意識の分裂と同一だと。

Was sagst Du übrigens zu der Bemerkung, daß meine ganze neue Hysterie-Ur-geschichte bereits bekannt und hundertfach publiziert ist, allerdings vor mehreren Jahrhunderten? Erinnerst Du Dich, daß ich immer gesagt, die Theorie des Mittelalters und der geistlichen Gerichte von der Besessenheit sei identisch mit unserer Fremdkörpertheorie und Spaltung des Bewußtseins?  (フロイト、フリース宛書簡、Freud: Brief an Wilhelm Fließ vom 17. Januar 1897)



◼️異者はエスの欲動蠢動であり、自我の異郷部分である

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。〔・・・〕この異者は内界にある自我の異郷部分である[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen …das ichfremde Stück der Innenwelt ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)



◼️現実の断片か、自己自身が異者のように現れる

疎外(異者分離 Entfremdungen)は注目すべき現象である。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察される。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかである[Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, …Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland] ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)




要するに、自我の異郷にいるエスの異者(異者身体)を言っており、これがラカンの主体$である。





そしてフロイトは、ブロイアーとともに異者概念を精神分析に導入したが、フリース宛書簡で、この概念は昔からあり珍しくないと言っているのである。


実際、異者としての身体[Fremdkörper]は、仏語ではラカンが示しているように "corps étranger" であり、これは古くからのラテン語の "corpus alienum" に相当する。直訳すれば「エイリアンの身体」である。


その意味で、何度かその一致に驚きをもって掲げてきたが、プルーストとニーチェの次の文は、少なくとも用語遣いにおいては、まったく普通なのかもしれない。



◼️かつての少年の異者[l'étranger c'était l'enfant que j'étais alors]の回帰

私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。〔・・・〕最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。


je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, (プルースト「見出された時」)



◼️異郷にあったおのれの回帰[zurück mein eigen Selbst in der Fremde]

偶然の事柄がわたしに起こるという時は過ぎた。いまなおわたしに起こりうることは、すでにわたし自身の所有でなくて何であろう。

Die Zeit ist abgeflossen, wo mir noch Zufälle begegnen durften; und was _könnte_ jetzt noch zu mir fallen, was nicht schon mein Eigen wäre!  


つまりは、ただ回帰するだけなのだ、ついに家にもどってくるだけなのだ、ーーわたし自身の「おのれ」が。ながらく異郷にあって、あらゆる偶然事のなかにまぎれこみ、散乱していたわたし自身の「おのれ」が、家にもどってくるだけなのだ。

Es kehrt nur zurück, es kommt mir endlich heim - mein eigen Selbst, und was von ihm lange in der Fremde war und zerstreut unter alle Dinge und Zufälle.  (ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第3部「さすらいびと Der Wanderer」1884年)



プルースト、ニーチェとも、彷徨っていたエイリアンの私は回帰すると言っているわけだ。異者はレミニサンスするのである。



彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンスにふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。


j'étais froid devant des beautés qu'ils me signalaient et m'exaltais de réminiscences confuses ; …je m'arrêtai avec extase à renifler l'odeur d'un vent coulis qui passait par la porte. « Je vois que vous aimez les courants d'air », me dirent-ils. (プルースト「ソドムとゴモラ」)

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる。

Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… mais de façon tout à fait illusoire …ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration (ラカン、S.23, 13 Avril 1976、摘要)




フロイト・ラカンにおけるトラウマは、一般的な事故的トラウマも含まれないではないが、その主要な意味は、幼児期の身体の出来事である。


初期幼児期のトラウマ[Traumen gehören der frühen Kindheit ]・・・このトラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。〔・・・〕


これは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)

同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug ]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)


フロイトにおいて「レミニサンス=反復強迫=永遠回帰」である。自我の異郷にあるエスの異者は永遠回帰する。



いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる。ああ、ああ、なんと吐息をもらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。

ーーおまえには聞こえぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかけるのが? あの古い、深い、深い真夜中が語りかけるのが?

- nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen: ach! ach! wie sie seufzt! wie sie im Traume lacht!

- hörst du's nicht, wie sie heimlich, schrecklich, herzlich zu _dir_ redet, die alte tiefe tiefe Mitternacht? Oh Mensch, gieb Acht! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」1885年)