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2022年1月13日木曜日

安吾備忘「柄谷行人」

 


僕にとって、真に無頼派の名にふさわしいのは安吾ですね。この本の冒頭に書きましたが、 「無頼」という言葉は、一般に考えられているようなものではなく、「頼るべきところのないこと」 (『広辞苑』)です。つまり、それは他人に頼らないことです。その意味では、いわゆるヤクザは無頼とはほど遠い。組織に依存し親分に従い、他人にたかるのだから。その意味で、安吾はヤクザではなく、まさに「無頼」だった。太宰はそうではない。「無頼」であれば、そもそも共産党に入党しないし、転向もしない。彼は頼りっぱなしの人だった。自殺するときまで、他人に頼っている。そういうものを「無頼」とはいいません。言語の本来の意味では、「無頼派」 は安吾だけだったと思います。最初に読んだときから、自分には安吾が性に合っていた。(柄谷行人氏ロングインタビュー <すべては坂口安吾から学んだ>、2017年10月26日)




彼がいう「ふるさと」は、普通の意味でのふるさとではない。たとえば、小林秀雄が「故郷喪失」という場合の「故郷」ではない。それは、われわれをあたたかく包み込む同一性ではなく、われわれを突き放す「他なるもの」である。それは意味でもなく無意味でもなくて、非意味である。(柄谷行人「死語をめぐって」初出1990年『終焉をめぐって』所収)


逆説的だが、「根を下ろす」ということは、「根」から突き放されることであり、いいかえればそのようにして「根」を感知することである。芥川に生活がないというならば、安吾にはさらに生活がなかった。安吾は、自分が下層社会を放浪し、「淪落の底」にいたからという理由で、芥川は「根を下ろしていない」といったのではない。安吾における「淪落」なるものは、実際は作品が作り出した誇張された伝説にすぎない。(柄谷行人『坂口安吾と中上健次』1996年)




今度の『坂口安吾全集』は、近年発掘された未発表原稿などの新資料から書簡・ノート・対話・翻訳の類まで視野にいれて、「全著作」を年次発表順に編集した。安吾は、いくつかの作品で代表されてしまうような作家ではない。

彼の小説はさまざまなジャンルに及んでいて、そのどれかを優位におくことは出来ない。のみならず、彼は、批評が小説の補でしかないようなタイプの小説家ではない。安吾にとっては批評が小説であり、小説が批評である。これらをどうして分類できるだろうか。安吾はつねにアクチュアルな歴史的な状況の中で考えており、すべての著作が彼自身の生と分かちがたい。この稀有な作家を読むために最もふさわしいのは、一切の整理を排して、書かれた順に読むことである。

《ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようするものである。凡そ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである》(「FARCEに就て」)。

初期に書かれた、この文学的マニフェストは、安吾の生涯を貫徹するものとなったといってよい。むろん、安吾の「否定」の力はこの「肯定」の力から来る。安吾の前におけば、ほとんどの著作は中途半端な否定や肯定としてしか見えない。「戦争と革命の世紀」といわれる二〇世紀はまもなく終わる。だが、その中にあって「一つ残さず肯定しよう」とした安吾の「戦争と革命」が終わることはあり得ない。それは安吾の「否定」のカが消えることはあり得ないということである。新全集は、それを「一つ残さず」読者に伝える。(決定版『坂口安吾全集』筑摩書房、編集柄谷行人・関井光男、1998年)





安吾が、少年期以来、単調で反復的な無機質の風景にどうしようもなく惹かれていたということは、フロイトが最初に与えた「無機物への回帰」という意味での死の欲動を思わせる。しかし、私はむしろフロイトが例にとった孫娘のケースを考えたい。この子どもは、母親に置き去りにされた苦痛を能動的に越えようとしたのである。それは少年期の安吾についてもいえるだろう。おそらく安吾にとって、海と空と砂を見て過ごすことは、母の不在を克服する「遊び」であったといってよい。そうした風景は彼に快を与える。しかし、それは母の不在という不快さを再喚起することにおいてなされているのである。(略)安吾が好む風景は、美ではなくサブライム、つまり、不快を通して得られる快なのである。(柄谷行人「坂口安吾とフロイト」1999年ーー文庫版『堕落論』(新潮文庫)解説)


安吾は最初に鬱病を脱したあと、「ファルスの文学」を唱えた。以後、彼は狭義のファルスを書き続けたわけではない。しかし、ある意味で、彼のすべての仕事がファルスであったといえる。ファルスとはいわば、自らを穴吊しにかけることによって、生を肯定することだ。安吾は「生きよ」という言葉をくりかえす。しかし、いつも死のそばにいた。たとえば、東京に空襲が始まって人々が疎開し始めたとしても、彼はそこに残った。それは別にヒロイックな行為ではない。一方で逃げ回り生き延びることを考えていたからだ。戦争を見届けようという意志があったのでもない。彼は自らを「穴吊し」の刑に処したのだ、といってもよい。もちろん、生きるために、である。(柄谷行人『坂口安吾論』2017年)



………………


《自らを「穴吊し」の刑に処した》のではなく、どうしようもなく穴の引力に引かれたのだよ、安吾は。そこに文学のふるさとがある、崇高なふるさとだ。



崇高による動揺は、衝撃に比較しうる。たとえば斥力と引力の目まぐるしい変貌に。この、構想力(想像力)にとって法外のものは、あたかも深淵であり、その深淵により構成力は自らを失うことを恐れる。 mit einer Erschütterung verglichen werden, d. i. mit einem schnellwechselnden Abstoßen und Anziehen […]. Das überschwengliche für die Einbildungskraft[…] ist gleichsam ein Abgrund, worin sie sich selbst zu verlieren fürchtet; (カント『判断力批判』27章)


崇高の深淵は引力と斥力の交差である。


愛と憎悪との対立は、引力と斥力という両極との関係がおそらくある。Gegensatzes von Lieben und Hassen, der vielleicht zu der Polaritat von Anziehung und AbstoBung (フロイト、人はなぜ戦争するのか Warum Krieg? 1933年)


愛の引力と憎悪の斥力。ここでの愛は通常の愛ではない、リビドーという愛の欲動である。


リビドーは愛の欲動である[Libido ist …Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要)

究極的には死とリビドーは繋がっている[finalement la mort et la libido ont partie liée]. (J.-A. MILLER,   L'expérience du réel dans la cure analytique - 19/05/99)

享楽の名、それはリビドーというフロイト用語と等価である[le nom de jouissance…le terme freudien de libido auquel, par endroit, on peut le faire équivaloir.](J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 30/01/2008)


つまり愛の穴の引力とはーー、


死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance. (ラカン, S17, 26 Novembre 1969)

死は愛である [la mort, c'est l'amour]. (Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)


さらに別の言い方をすればーー、


破壊は、愛の別の顔である。破壊と愛は同じ原理をもつ。すなわち穴の原理である[Le terme de ravage,…– que c'est l'autre face de l'amour. Le ravage et l'amour ont le même principe, à savoir grand A barré](J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999)

破壊は唯一、愛の享楽の顔である[le ravage, c'est seulement la face de jouissance de l'amour](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme   18/3/98 )


柄谷は現代日本で、最もすぐれた思想家であり批評家であるだろうが、あまりにもフロイトの死の欲動の読み方が甘い。穴の原理、愛の享楽とは、《死の欲動とエロス欲動との合金化(融合) [Legierung von Todestrieb und Eros]》(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)である[参照]。


柄谷はフロイトのマゾヒズム論をしきりに引用しているのに、なぜ最も肝心な箇所から目を逸らしたままなのか。


で、穴とは究極的には母の穴だ[参照]、安吾の作品にはそれがいたるところに現れている。もっともこれは柄谷も十全にわかっている、「母の不在という不快さ」という表現で。ーー《不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ]》(Lacan, S17, 11 Février 1970)。


この不快が穴であるーー《享楽は、抹消として、穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou]》(Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)


だがそこからの展開があまりに甘い。穴は埋まらないのに。穴埋めとは欲動の昇華だ。昇華は不可能という点にフロイトの死の欲動の核心がある。


そもそも柄谷は外部に向けられた攻撃欲動が内部に向きを変えたものが死の欲動だと、1990年代からしきりに言っているが、これは根本的誤謬である。それは1919年までのフロイトに過ぎない。1920年以降のフロイトにとって先に自己破壊という死の欲動がある。




この誤謬が2010年代に入ってさえいまだもって修正されていない。つまり柄谷の死の欲動の捉え方はどうしようもない。

超自我(憲法超自我論)についてもそうだった、フロイトの自我理想と超自我の区別がついていない。


だれかまともな若いもんがヤッツケないとダメじゃないかね、41歳の安吾がやったように。


あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。(坂口安吾「教祖の文学――小林秀雄論――」初出:「新潮 第四四巻第六号」1947(昭和22)年6月1日発行)

編輯者諸君は僕が怒りんぼで、ヤッツケられると大憤慨、何を書くか知れないと考へてゐるやうだけれども、大間違ひです。僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです。僕は小林を尊敬してゐる。尊敬するとは、争ふことです。(坂口安吾「花田清輝論」初出:「新小説 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日発行)


不幸にも現代日本にはその人材がまったくいないようだが。



誰もやらないから、インテリ木瓜の花がいまだ咲き迷う。


けれども、ぼくがよりおそろしいと感じ、考えをめぐらせたいのは、超自我のない悪についてなのである。悪の愚かさについて、それはすなわち、悪における超自我の欠如の意味についてということなのだ (東浩紀「悪の愚かさについて」)


私は病気だ。なぜなら、皆と同じように、超自我をもっているから。j'en suis malade, parce que j'ai un surmoi, comme tout le monde(Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく仮定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)




超自我は原大他者としての母なる大他者に起源がある。自我理想という父ではけっしてなく、母なる超自我である。母なる大他者が自我にとりいれられ超自我となる。人が母をもっていれば、必ず超自我がある。この超自我の欲動が死の欲動である。自我理想あるいは父の名とはその防衛、つまり穴埋めの審級にしかない。ーー《父の名という穴埋め[bouchon qu'est un Nom du Père]》  (Lacan, S17, 18 Mars 1970)


超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)

我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。Erkennen wir in diesem Trieb die Selbs tdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines    erfas yysen(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebl  eben」1933年)



もっとも柄谷の憲法超自我論に首を傾げるそのあたりの「評論家」よりは、柄谷は格段に優れている。九条の底に「母権的な」象徴天皇制を指摘しているから。要するに(ここでは大雑把に言わせてもらうが)日本の戦後構造において、超自我という天皇の穴ーーより具体的には太平洋戦争における擬似一神教的天皇制のトラウマーーを穴埋めしてきたのが自我理想という九条である。この自我理想はどんなシニフィアンでもよい、単なる穴埋めなのだから。自我理想を超自我と混同してしまうという誤りを柄谷は犯した。