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2022年2月4日金曜日

法的男女同権は女による男の支配に帰結する


 共和政ローマ中期の、執政官(コンスル)、監察官(ケンソル)などを務めた「清廉な」政治家カトー[Cato]は、既に2200年ほど前に、法的に男女同権にしたら女が男を支配するようになると言っている。


◼️マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス Marcus Porcius Cato Censoriu (紀元前234年 - 紀元前149年)の予言

諸君、我々一人一人が各家庭で夫の権威と権利を守り抜いていたら、こんなことにはならなかったはずですぞ。今や事態はここまで来た。女がのさばり、家庭でのわれわれの行動の自由を粉砕しただけではあきたらず、広場におけるわれわれの自由をさえ粉砕にかかっているのではないか。法が男性の権利を保証している間でさえ、女たちをおとなしくさせ、勝手なことをさせないために、どんなに苦労してきたか、よくお分りと思う。もし女どもが法的にも男と同等の立場に立つならいったいどうなることか、よくよくお考えあれ。女というものをよく御存知の諸君、かりに連中がわれわれと同等の地位に立つとすれば、きっとわれわれを支配するようになりましょうぞ。どこの世界でも男たちが女を支配しておる。ところが世界の男たちを支配する男たち、つまりわれわれローマ人がだ、女たちに支配されることになるのですぞ。(大カトーの演説――ティトゥス・リウィウス「ローマ建国史」)




この女による男の支配が、少なくとも先進国諸国ではほぼ実現しつつあるんじゃないかね。もともとリアル(冥界)レベルでは女の力は圧倒的なのだから。



女に対する歴史的嫌悪感には正当な根拠がある。男性による女性嫌悪は生殖力ある自然の図太さに対する理性の正しい反応なのだ。理性や論理は、天空の最高神であるアポロンの領域であり、不安から生まれたものである。〔・・・〕


 西欧文明が達してきたものは、よきにしろわるきにせよ、アポロン的である。アポロンの強敵たるディオニュソスは冥界の支配者であり、その掟は生殖力ある女性性である[Apollo's great opponent Dionysus is ruler of the chthonian whose law is procreative femaleness]。ディオニュソス的なものは流動的自然、不吉な沼沢地あり、その原型は沈黙した子宮の海である。(カミール・パーリア camille paglia「性のペルソナ Sexual Personae」1990年)




ラカンの現実界とは母のことだ。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)


究極的にはこの母なるモノは女性器である。


モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches.](フロイト『不気味なもの 』1919年)



歴史的に見れば、言説によって母なるモノに対する防衛がなされてきた。


我々の言説はすべて、現実界に対する防衛である[tous nos discours sont une défense contre le réel] (Anna Aromí, Xavier Esqué, XI Congreso, Barcelona 2-6 abril 2018)


言説とは事実上、父の名の法、簡単に言えば父の言語である。


父の名のなかに、我々は象徴的機能の支えを認めねばならない。歴史の夜明け以来、父という人物と法の形象とを等価としてきたのだから。C’est dans le nom du père qu’il nous faut reconnaître le support de la fonction symbolique qui, depuis l’orée des temps historiques, identifie sa personne à la figure de la loi. (ラカン, ローマ講演, E278, 27 SEPTEMBRE 1953 )

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)



他方、母なるモノとは母の身体である。


モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)


父の言語による母の身体に対する防衛。とはいえ防衛などもともと十分にはなされない。


言うまでもなく、母の身体の影はすべての女の上に落ちている。


母の影は女の上に落ちている[l'ombre de la mère tombe là sur la femme.]〔・・・〕全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある[La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère,](J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)

全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である[la structure de l'omnipotence, …est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif…  c'est l'Autre qui est tout-puissant](Lacan, S4, 06 Février 1957)


象徴界(言語)レベルで男女同権にしてしまったら、現実界(身体)レベルでは女は全能の母の後継者で圧倒的な力をもっているのだから、女が男を支配するようになるのは当たり前だ。



ラカンの若い友人だったソレルスは1983年にこう書いている。


世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …

Le monde appartient aux femmes, il n'y a que des femmes, et depuis toujours elles le savent et elles ne le savent pas, elles ne peuvent pas le savoir vraiment, elles le sentent, elles le pressentent, ça s'organise comme ça. Les hommes? Écume, faux dirigeants, faux prêtres, penseurs approximatifs, insectes... Gestionnaires abusés... Muscles trompeurs, énergie substituée, déléguée...(ソレルス『女たち』1983年、鈴木創士訳)


21世紀の女たちはこれを知らないどころか、もう十分に知っているんじゃないかね。もういまさら遅いから、これからの男は先史時代のように、下働き要員に徹することだよ(?)ーー《父(夫)は専属の下働き、外働き要員》(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」2000年)。


別の言い方をすれば、いったん文化・社会まで含めて女たちに支配を任せ、女の支配ではまったくラチが明かないことを女たち自らが知ることだよ。ーー《文明が女の手に残されたままだったなら、われわれはまだ掘っ立て小屋に住んでいただろう》(カーミル・パーリア 『性のペルソナ 』1990年)