よく知られているように、シューマンは愛されていない。愛されているとしたら間違った理由で愛されている。シューマンへの愛とは、痛みへの愛、遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくることへの愛である。痛みはレミニサンスする。時の裂け目からすきま風がやってくる。何ものかが唐突に身体に突き刺さるのである。そしていつまでも消えないあざをつける。
たとえば昨年11月初めにベルナルダ・フィンクが歌う『雪割草』をはじめて聴いて以来、まだそのあざは消えない。『細雪』の雪子の顔に現れるあざのように消えたと思ったらまた浮かびあがる。どうしたものか。痛みが疼き日々の生活にいくらか支障がある。散歩してても突然に雪割草が介入してくる。他の歌手でもきいてみよう、逆療法であざが薄くなるかもしれない。そう思ってこのところ何人かの歌唱をきいてみた。
Lieder-Album für die Jugend, Op. 79: No. 26, Schneeglöckchen |
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Bernarda Fink & Anthony Spiri |
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Michaela Schuster & Marksu Schlemmer |
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Rita Streich & Günther Weissenborn |
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Anne Sofie von Otter & Bengt Forsberg |
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Fischer-Dieskau & Günther Weissenborn |
どれもいけない。ただしベルナルダの声のあざはいくらか薄くなってきた感はある。とくにまったく知らない名だったMichaela Schusterの声がベルナルダの声をいくらか覆うようになった。それと往年の名歌手Rita Streich のも被膜効果を持ちはじめた。
なぜシューマン、ときにシューベルト、この二人の作曲家の作品のみにこういうことが起こるのか。数年前にも『詩人の恋』の第10曲「あの歌が聞こえてくると」でこの痣が刻み込まれた。
Hör ich das liedchen klingen, (Dichterliebe), Op. 48/10 - Schumann |
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Panzera & Cortot |
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Thomas Quasthoff & Hélène Grimaud |
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Ian Bostridge & Julius Drake |
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Nina Dorliak & Sviatoslav Richter |
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Kincses Veronika & Szabó Anikó |