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2022年3月24日木曜日

四つの嘘

 


他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)


何度も示しているがーー最近でも例えば「橋下徹の言説と政治学者の言説」ーー、フロイトラカン的な精神分析の教えは、すべての言説は、何ものかを隠蔽しているということだ。


大学人の言説=知の言説なら、主人S1(支配欲あるいはドグマ)を抑圧している。大半のおバカな学者はこれに気づいていない。中立を装った学者は、知的に飼い馴らされていない子羊向けの上っ面の言説に終始し、自らのドクマに気づいておらず隠蔽したままだ。だが精神分析をいくらか首を突っ込んだ者なら、すべての語りにおいて何を隠しているのかを探るべきだ。それは冒頭のマルクス・アウレーリウスの言う通り、自他ともにだ。


大学人の言説ーーこの言説は教育機関としての大学人に限らず、知の言説、専門家の言説のことーーを例に図で示せば次の通り。





このところ日本の中堅どころのリベラル国際政治学者たちをいくらか観察したが、その専門的知には敬意を表するとはいえ、彼らは根のところでとってもチョロい。隠蔽された自らのドクマをまったく疑っておらず、自らの知が正義だと思っている。


連中は啓蒙され過ぎてるんだろうよ、


私は相対的には阿呆にすぎないよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様に相対的には阿呆だ。というのは、たぶん私は、いささか啓蒙されているからな。

[Comme je ne suis débile mental que relativement… je veux dire que je le suis comme tout le monde …comme je ne suis débile mental que relativement, c'est peut-être qu'une petite lumière me serait arrivée. ](Lacan, S24, 17 Mai 1977)


別の言い方なら、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」(小林秀雄「菊池寛」)になっちまってるんだ。


…………………


四つの言説の底部にある基礎構造は次の通り。




ラカンの言説とは「社会的結びつき=見せかけ」ということだ。


言説とは何か? それは、言語の存在を通して起こりうる秩序において、社会的結びつきの機能を作り上げるものである。[Le discours c’est quoi ? C’est ce qui, dans l’ordre… dans l’ordonnance de ce qui peut se produire par l’existence du langage, fait fonction de lien social. ](Lacan à l’Université de Milan le 12 mai 1972)

言説はそれ自体、常に見せかけの言説である[le discours, comme tel, est toujours discours du semblant ](Lacan, S19, 21 Juin 1972)


見せかけとは症状あるいは嘘ということであり、ラカンの「四つの言説」(Les Quatre Discours)とは「四つの症状」(Les Quatre Symptômes)、「四つの嘘」(Les Quatre Mensonges)のことだよ。






社会的結びつきは症状である[le lien social, c’est le symptôme] (J.-A. Miller, Los inclasificables de la clínica psicoanalítica, 1999)

症状は現実界についての嘘である[Le symptôme  est un mensonge sur le réel] (J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas  et ses Comités d'éthique, 18/12/96)



究極的には、人は話すたびに常に何の嘘をついているのかを自ら問わねばならない。


人がうそをついていることに気づかなくなるのは、他人にうそばかりついているからだけでなく、また自分自身にもうそをついているからである。ce n'est pas qu'à force de mentir aux autres, mais aussi de se mentir à soi-même, qu'on cesse de s'apercevoir qu'on ment, (プルースト「ソドムとゴモラ」1922年)

最もよく見られる嘘は、自分自身を欺く嘘であり、他人を欺くのは比較的に例外の場合である。Die gewöhnlichste Lüge ist die, mit der man sich selbst belügt; das Belügen andrer ist relativ der Ausnahmefall. (ニーチェ『反キリスト』第55番、1888年)


ーー《言語とは本来的に虚構である[le langage est, par nature, fictionnel]》(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)



とはいえ発話するたびに何の嘘かと問うのは疲れるからな、だからボクは四年ぐらい前までツイッターやってたときは常に「役者」として発話してたよ。


この世界はすべてこれひとつの舞台、人間は男女を問わず すべてこれ役者にすぎぬ[All the world's a stage, And all the men and women merely players.](シェイクスピア「お気に召すまま」1603年)

ここにあるいっさいは、小説の登場人物によって語られているものと見なされるべきである[Tout ceci doit être considéré comme dit par un personnage de roman] (『彼自身によるロラン・バルト』1975年)


ブログ自体、日記だよ、ーー《日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます。》(円地文子ーー江藤淳による『女坂』解説より)