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2022年5月19日木曜日

ロシアに対するヨーロッパのこの憎悪はそもそも何によるのだろうか

 ワシントンネオコンという蛮族集団はこの際無視しても、ヨーロッパの首脳ってのはどうしてあんな具合なんだろ?

しかし我々に対するヨーロッパのこの憎悪はそもそも何によるのだろうか?  ヨーロッパがなんとしても永遠に我々を信頼することが出来ないのはなぜだろうか? 我々が無害であること、我々が彼らの友人であり従僕、しかも良き従僕であって、ヨーロッパにおける我々の使命はひたすらヨーロッパ及びその安寧に奉仕するものであるということを、彼らは何故信頼できないのだろうか? 〔・・・〕いや彼らは我々を信じることはできない。その主たる理由は、 彼らが決して我々を自分の身内と認めることが出来ないからなのである。(ドストエフスキー『作家の日記』1881, 1, 2-3. XXVII)


あのロシア人という連中はそもそも何者なのだ。アジア人か、 タタールか?  もしそうならば少なくとも問題は明瞭になるのだがそれがそうではないのだ。 そうでないと認めざるを得ないから始末が悪いのだ。 それにしても我々と彼らはなんとかけ離れていることか。 それにあのスラブ民族の団結とは何のことだろう? その目的は、 意図は?  この危険な統一は我々に何を、 どんな新しいことを物語るのだろう?(ドストエフスキー『作家の日記』1876, 9, 1-1.XXIII)


ヨーロッパ自体に自らの内側の政治的・民族的問題を解決する能力はない。しかし彼らは問題が表面化するたびに、一時的にせよそれをもみ消そうとして、問題の原因をこの得体の知れないロシアに転嫁しようとするのである。(ドストエフスキー『作家の日記』1876, 9, 1-1.XXIII)



やっぱり極右とムスリムを中心とした移民なんだろうよ、現代ヨーロッパの「自らの内側の政治的・民族的問題」の核は。たいていの欧州政治家のホンネは極右で、移民・ムスリムヘイトだろうからなあ。


国自体は移民でもっているようなものなのにーー労働力・社会保障等ーー、仏のように郊外のゲットーに押し込めたり、独英だって事実上同じようなもんだろうからな


ロシア憎悪ってのは結局、自国憎悪じゃないかねえ


他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである[Eine Reihe von Vorwürfen gegen andere Personen läßt eine Reihe von Selbstvorwürfen des gleichen Inhalts vermuten. ] (フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905年)



告白してんだよ、たぶん。一致団結してロシア非難してるアイツらは。


自己を語る遠まわしの方法[une manière de parler de soi détournée]であるかのように、人が語るのはつねに他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ[qui joint au plaisir de s'absoudre celui d'avouer.]。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)



日本は移民人口少なくてよかったな、そのかわり財政戦争の奈落の底へと真っ逆さまの道を歩んでるわけだけど、おかげで九条改憲やら核軍備どころじゃなくなる「近未来のコウフク」がきっと待ってるよ。