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2022年6月29日水曜日

なんでも固着

 

無視してるわけじゃないんだがな、ちょっと他のことで忙しくてね。宇露戦争だけだったらまだしも、庭木を、20メートルから30メートルぐらい伸びたやつを5本ばかり5メートルから10メートルぐらいの高さにカットしてんだ、この数日植木屋呼んでさ。電気ノコギリだから2日で済むと思ってたのだが甘かった、4日たってもまだ済まない。ボクの枝の刈り方の注文が多すぎるせいもあるけど。


で、フロイトラカンってのはいろんな用語があるんだけどひとつだけ絞れば「固着」なんだよ

簡単版なら「現実界の享楽は固着の反復

もう少し詳しいのなら「固着文献Z


この二つに示していない享楽=自体性愛(自己身体の享楽)については、「自体性愛文献」。

最後のほうに、自体性愛は「自己身体への固着」と示してある。


なんでも固着だよ、この固着が原点。もちろん愛だってそう。


初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)

忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを。N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour  (Lacan, S9, 21  Mars 1962)

愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである。L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. (David Halfon, Les labyrinthes de l'amour ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)


これらを全的に信じるか否かは〈あなた〉しだい。現在のラカン派の結論はこうだということだけだ。