これは事実上、批評家から商売人に職業鞍替えしたと言っているわけだけど・・・
東浩紀というのはもともと次のような評価だったんだよ、一昔前の批評家にとっては。
◼️子犬たちへの応答/柄谷行人 2002/04/18 |
東浩紀、鎌田哲哉、大杉重男、千葉一幹らが私を批判しているから、それに対して応答したらどうかといわれた。しかし、こんな連中の低レベルな批判にまともに応答する理由はない。 この連中は、批評空間や群像新人賞から出てきた。世の中では、私が評価したと思っているかもしれない。もちろん、相対的に評価したのは事実である。しかし、その後の仕事については、また別である。私の評価はそのつど変わる。ただし、それをいちいち言うべきではないと思い、長い目で見ようとしてきた。しかし、彼らが錯覚し思い上がって騒々しく噛みついてくるとなったら、一言いっておかねばならない。 |
こういう連中は、全面的に私の言説の中で育ってきて、一人前になるために、そこから出ようとして、まず私にからみ攻撃する。しかし、それでは私に対する従属をますます認めることにしかならない。(何にしろ私はこんなストーカーどもにつきまとわれたくない。)そもそも、このような心理はあまりに単純であって、それを自覚できないということだけからみても、この連中には見込みがない。彼らには『トランスクリティーク』を論評することなどできない。端的にいって、理論的能力が欠けている。それでも、勉強しようとする知的な関心や倫理的な衝迫があればいいが、それもない。たんに、何か派手に有名になりたいという根性があるだけだ。 さらに、この連中には文学的能力がない。もともと「批評の批評」しかやったことがないから、小説が読めない。教養がない。語学力もない。これらは致命的な欠陥で、彼らがまともな批評家になれるわけがない。(その点で、何はともあれ、私は福田和也を文芸批評家として認める。) |
『批評空間』やウェブサイトに載っているものについて、私がすべて支持していると思う人がいるが、それはまちがっている。私は事前に読まず、刊行されてから読んで、あれこれ意見をいう。その多くは痛烈に否定的である。しかし、めったに批判を公言したりはしない。そのため、書き手が錯覚し、世間が錯覚することがある。今後は、少しだけ本音を公開することにする。(柄谷行人「子犬たちへの応答」2002年) |
◼️「対談「空白の時代」以後の二〇年」蓮實重彦+浅田彰、 2010年 |
蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。 |
浅田彰)…僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。 蓮實)下らない。それは批評の死を意味します。 (「対談「空白の時代」以後の二〇年」蓮實重彦+浅田彰、中央公論 2010年1 月号) |
とはいえ現在の問題は、少なくとも大半の学者よりも東浩紀の方が「まともなこと」を言っているように見えるということだな。だから浅田彰あたりは東浩紀を批判するのはまずいと思い出したんじゃないかね。
ま、次のようなことは言わなくなったね、浅田彰はもうオリテイルのかも知れないけど。
◼️「90年代の論壇・文壇状況の検証!!"身の程を知らない文化人"を斬る!」 ーー浅田彰、田中康夫、中森明夫の鼎談『噂の真相』二〇〇〇年四月号 |
浅田彰)柄谷行人と僕とでやっている『批評空間』でデビューした東浩紀も優秀だと思う。 でも、『群像』2月号で対談しているのを読んだりすると、 過大評価だったのかなっていう気もしてきた。 ともかく、あの程度の能力のあるやつがこんな幼稚な自意識過剰の子供のままかってところに、 ある種の世代的ギャップを感じる。 田中康夫)どういうこと? 浅田彰)つねに「僕を見て、僕を褒めて」っていうヒステリーなの。 それで、阿部が野間新人賞、東がサントリー学芸賞をもらったら、 それまでの不和も忘れて、喜びあってるわけ。お互い、ついに無冠を脱し、めでたい、と。 しかしそんなくだらない賞なんて欲しいと思う? 万一そう思ったって、普通そんな恥ずかしいことは隠すでしょ。 それを人前で喜んじゃうほど他人の評価に飢えているみたい。 阿部はいい意味で、優等生じゃない一匹狼的なところがあるからまだしも、 東はそれが見え見え。見ていて恥ずかしいよ。 |
中森 東は浅田さんが編集委員を務める『批評空間』が売り出した批評家なんだから、もうちょっと教育したら。それとも、個人的に迫ったけど、ふられたとか(笑)。 浅田 いや、あれはおニャン子のおっかけで自宅まで行ったような本物のおたくだよ。それに、僕としては過保護に近いくらい面倒を見たつもり。柄谷は「父」だから、「面白いから書け」と言うだけで、書いたものは読まない。それは「父」としてはいい態度じゃない? |
で、僕はいわば「兄」として意見を言って、デリダはラカン-ジジェクの線に近いとか言うからそれは逆なんじゃないかって言ったら、逆であるという本ができたわけよ。それをあれだけ褒めたんだから、本が出た後、批判する権利はあるよね。ところが、ちょっとでも批判的なことを言うと、ヒステリーの発作が起こるわけ。「こんなに頑張ってるボクをなぜ褒めてくれないの」って。「エヴァ」に出てくるひ弱なガキと同じ。 中森 付き合いきれなくなったんだ。 |
浅田 彼の方がぼくらを敬遠しだしたわけ。で、今まで年上に褒められようと思って書いてた(って言っちゃうのがすごいけど)のは間違いだった、これからは年下に向けて書く、と。しかし、その後で年上に褒められだすと……。 中森 筒井康隆とか。 浅田 筒井に褒められたら文庫の解説を書き、山崎正和に褒められたら感謝してサントリー学芸賞をもらい……。褒めたら喜ぶバカだってわかったから、蓮實重彦も褒めるし加藤典洋も褒めるし。 |
………………
※付記
蓮實が「批評の死」と言っているのは、マクシム・デュ・カン論における次のような文脈だな
◼️蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年 |
もちろん、詩や、小説や、旅行記を書き綴ることがその主要な関心からそれていったりはしなかったが、それにもまして彼が心を傾けていたのは、作品をいかに世間に流通させるかという点にあった。つまりマクシムは、新しく刊行される文芸雑誌の責任者の一人として、当時の文学的環境にとってはまだ未知のものであった幾つかの名前を、集中的に売りだそうとしていたのである。つまりマクシムは、雑誌編集者に仮装することで文学との関わりを持とうとしており、それが成功するか否かが、彼にとって最大の関心事だったのだ。P 157 |
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もはや文学だ文学だと熱に浮かされたようにつぶやいてみても始まらず、世の中には文学いがいのもろもろの価値が存在するのだから、いまこそその脆弱な殻を破って世界へと向けて身を投じなければならぬと、相対的な聡明さは胸をはって宣言する。だが、その宣言が有効なのは、聡明さが相対的におとっている連中に対してだけである。相対的な聡明さを才能と錯覚しえたものたちが支えあう文学という名の環境は、愚鈍の残酷さに対してはどこまでも無防備であることしかできない。そしてマクシムは、その無防備な環境で最初に傷ついた記念すべき悲劇の人物である。P 183 |
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正直なところ、こうした事態にいかにして対処すべきか、マクシムはその方法を知らない。諸君の好むのは本当の芸術家ではないのだとつぶやいてみても、その言葉に耳を傾けるだろう者たちの数はたかが知れていよう。彼が直面しているのは、芸術における質と量との問題である。多くの予約購読者を獲得しているが故に、ポンソン・デュ・デラーユは通俗作家なのであり、それ故に軽蔑さるべきだというのがマクシムの引き出すごく自然な結論なのである。数量に対して、ほとんど神経症的な拒絶反応が示されるのだ。おそらく、この警戒心は、今日まである種の「知識人」たちに受け継がれる基本的な反応パターンということになるだろう。 |
ところで、問題ははたして量なのだろうか。〔・・・〕だが、いわゆる文化の大衆化現象は、たんなる量的な変化をいうのではなく、芸術的な記号の流通形態の変化なのである。少数の特権者によって発信された記号が多数の匿名者によって受信されている限り、大衆化現象は現実のものとはならない。特権的な知は、きまって堅固な階層秩序によって文化を保証しているからである。それは、欠落を埋めるかたちで改めて秩序維持に貢献するだろう。大衆化現象は、まさに、そうした階層的な秩序から文化を解放したのである。そしてそのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。〔・・・〕読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。したがって、まだ発表されてさえいない作品の作者たる人物が、そこで交換されているものの特権的な発信者とは呼べないだろう。〔・・・〕 |
聴衆が競いあってオッフェンバックの喜歌劇の切符を買い求め、読者が先を争ってポンソン・デュ・デラーユの連載小説の載る『ラ・プチット・プレス』紙の予約購読を申し込むのは、ぜひともその作品に接したいという欲望とはまったく別の理由からである。それは、みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。 この意志は、隣人の模倣に端を発する群集心理といったことで説明しうるものではない。そこに、流行という現象が介在していることはいうまでもないが、実は流行現象そのものでもない。問題は、欠落を埋める記号を受けとめ、その中継点となることなのではなく、もはや特定の個人が起源であるとは断定しがたい知を共有しつつあることが求められているのである。新たな何かを知るのではなく、知られている何かのイメージと戯れること、それが大衆化現象を支えている意志にほかならない。それは、知っていることの確認がもたらまがりなす安心感の連帯と呼ぶべきものだが、マクシムが苛立っているのも、まさにそれなのだ。そこにおいて、まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。P686 |
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大衆化現象が数の増大と無縁でないのは当然の話だが、それに対する批判者が多数者に対する少数者という視点に固執した場合、事態はとめどもなく虚構化するのみである。すでに何度も繰り返したように、特権的な少数者と匿名の大衆という構図は、いわゆる近代以前の啓蒙的な知の階層構造を何とか維持しようとする保守的な姿勢を量産することにしかつながらないからである。いまや、人がある記号を口にするのは、それを他人に先がけて知ったという特権意識からではない。発信と受信とが知の欠落を埋めるというかたちでは進行せず、すでに充当されている知をめぐって、それが内容を欠いているが故にすでに流通している交換の体系に一体化しようとする欲望を共有するための資格として、それが口にされているにすぎない。これは倫理的な価値判断の介入する余地のない新たなコミュニケーションの一形態であり、それに共感を覚えると否とにかかわらず、人はそれととともに暮らさざるをえない時代に生きている。少数の特権に逃れてそれに顔をそむけることこそは、倫理的な堕落だとさえいえるだろう。P689 |
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『凡庸な芸術家の肖像』は蓮實の事実上の主著だろうね。最も気合いが入っていた時期の批評で、蓮實自身、とくに東大総長という「職業」やった以降は、批評がひどくユルくなった感がするな。文体も変わってしまった。