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2022年7月24日日曜日

米国のゲームプラン(ゴンザーロ・リラ 2022/07/23)

 ゴンザーロ・リラ Gonzalo Liraの映像があちこちで出回っているね。


Zelensky Is About To Be Assassinated By The Americans 

youtube.com. 2022 07 23 

Alzhacker @Alzhacker  2022/07/24

2022年07月23日 ゼレンスキーはアメリカによって暗殺される -Gonzalo Lira


つまり、ゼレンスキーはアメリカ人に暗殺されようとしているようです。こんなことを言うと正気でないように聞こえるかもしれませんが、本当なんです。(笑)


ゼレンスキーを倒せば、ウクライナという国全体が崩壊してカオスになるからです。そして実際、アメリカにとっては、ゼレンスキーが軍の幹部と会議をしている間に暗殺するのが賢いやり方です。


そうすれば一撃でウクライナ全土の首が飛ぶわけです。そして国全体、ウクライナ軍、すべてが崩壊し、完全にカオスになります。そしてロシアは、市民的無政府状態に陥っているこの巨大な国から抜け出せなくなります。


ロシア側はゼレンスキーを生かす必要があります。そうすれば彼は停戦に署名できるそうすれば停戦の正当性が得られるからです。


もしロシア側がゼレンスキーを殺したいなら、彼はすでに死んでいます。数ヶ月前に死んでいたでしょう。侵攻した最初の日に死んでいたかもしれません。ロシア人はいつでも彼を殺すことができました。なぜなら、彼らはスパイとミサイルを持っているからです。


ジェイク・サリバンは 国家安全保障会議のトップで バイデン大統領が抱える最も重要な国家安全保障補佐官で もちろんゼレンスキー政権を支える指南役の1人なんですけどね。彼はアスペン会議という、スパイや諜報関係者が集まる会議で、それが答えだ、彼の身の安全を非常に恐れるべきだ、と言ったんです


彼はジェイク、ソロモンはゼレンスキーが殺されると言っているのです。

なぜサリヴァンはこのような形で 彼らの意図を伝えるのでしょうか?というのも、アメリカの政権は、自分たちがやろうと思っていることを相手、つまり敵対者に投影し、明示するという奇妙な癖があるからです。


憶測はいくらでもできますが、最近SBUのトップが 解雇されましたね。

どんな陰謀があります?誰にもわかりません。しかし、明らかに、この種の宮中陰謀は、状況が悪化し始め、参加者にとって、自分たちが負け組であることが明らかになったときに起こり始めるのです。


また、アメリカとヨーロッパが、資金供給と武器供給を停止していることにもお気づきでしょうか。ヨーロッパはゼレンスキー政権に90億ユーロを承認していましたが、今は10億ユーロに戻し、おそらく10億ユーロを見ることもないでしょう。


ジェイク・ソロモンのこの発言で、西側諸国はウクライナと手を切りました。そして今、彼らがしたいことは、ウクライナにできるだけ多くの混乱と悲惨さを引き起こし、すべての問題をロシアの膝の上に置き、すべての責任をロシアに押し付けることです。それが彼らのゲームプランです。



さもありなん、と言っておくよ。そして、こういう発言自体が「ありうべき」おバカな計画を止める役割を果たしてくれることを祈るね。



※付記


ゴンザロ・リラは《 アメリカの政権は、自分たちがやろうと思っていることを相手、つまり敵対者に投影し、明示するという奇妙な癖がある》と言っているが、これは米政権に限らず、古典的な人間の特徴だろうよ


他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。Eine Reihe von Vorwürfen gegen andere Personen läßt eine Reihe von Selbstvorwürfen des gleichen Inhalts vermuten. Man braucht nur jeden einzelnen Vorwurf auf die eigene Person des Redners zurückzuwenden. Diese Art, sich gegen einen Selbstvorwurf zu verteidigen, indem man den gleichen Vorwurf gegen eine andere Person erhebt, hat etwas unleugbar Automatisches.(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905年)


自己を語る遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねに他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。

c'est toujours de ces défauts-là qu'on parle, comme si c'était une manière de parler de soi détournée, et qui joint au plaisir de s'absoudre celui d'avouer. D'ailleurs il semble que notre attention toujours attirée sur ce qui nous caractérise le remarque plus que toute autre chose chez les autres.(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)