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2022年7月16日土曜日

木瓜の花を「最低限」馬鹿にしないとなあ

 


かの東大教授の鈴木一人かあ、彼だけでの問題ではなく、こういう発言をしてしまう御用国際政治学者がうようよいるんだが、J Satoさんのように折に触れて「最低限」チクチク馬鹿にしないとなあ、とんでもないところに向かっちゃうよ、このままだと。


知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日)



昔から東大のセンセのたぐいは木瓜の花が多かったようだとはいえ、仕方がないとして無視するのはやめとかないとなあ。きみたちもいくらかでも頑張れよ、晒して嘲笑するだけでもいいさ、例えば学生たちが少しでも気づいてくれるようにさ、でも最近の学生が授業のボイコット運動に至ってくれるなんて期待するのは甘いんだろうかね・・・



文学部のなかで、長い戦争に対して疑問をもつ、あるいは反対だということをはっきりとした姿勢で考えていた人は教員80人近くいたと思いますが、ふたりだけ。渡辺一夫先生と、それから言語学科の神田先生。そのふたりは、はっきりと戦争全体に反対。ぼくも、そうですけれどね。


あとは、いわゆる日支事変段階ではね「この戦争は一体どこまで泥沼に入ってしまうのか」と懸念をもっている人はいくらかいた。しかし日米戦争で空気はがらっと変わります。ハワイ真珠湾攻撃の日に、たまたま大学へ行ったんです。ある研究室のドアからね、教授、助教授の興奮した声が聞こえました。戦争の性格が変わった、この戦争はアジアの植民地解放戦争なんだ、これで戦争目的ははっきりしたと。そういう声が聞こえてきた。なるほど、これがこれからの日本政府の宣伝のポイントになるだろうという感じを受けました。


僕はアジアの植民地解放のためというスローガンを出すならば、なぜ朝鮮と台湾の問題に触れないのか。朝鮮の自主独立を許す、台湾を中国へ返すということを、日米戦争が始まったときにすぐに宣言していたら、アジアの解放もいいですよ。しかし、自分の植民地はそのままにしておいて、これはアジア解放戦争だと言っても通用しませんよ。(日高六郎『映画日本国憲法読本』2004年)



小泉悠やら東野篤子やらの御用学者は吹っ飛んでて馬耳東風だとはいえ、学生のなかには御用の木瓜加減に気づいていない連中がゼロというわけではないだろ? でもなんでまだボイコット運動起こらないんだろ・・・