「 括弧付きの「陰謀論者」と巷の「羊脳」との間の「闘争のエチカ」」の続き
平塚正幸 masayuki hiratsuka@22_427 Jul 10 |
動画・安倍晋三銃撃事件は、複数犯。 https://odysee.com/@%E5%B9%B3%E5%A1%9A%E6%AD%A3%E5%B9%B8:f/20220710:8?r=9TfCcGN1hguJ3Y6jBGQjuze5EaBJ8wwp… #Odysee より |
|
平塚正幸 masayuki hiratsuka @22_427 Jul 11 アメリカ大統領らの警護に経験のあるCEOは、複数犯であることを前提に映像を分析。#安倍晋三銃撃 >米民間警備会社・ボムベースCEO「容疑者はすでに取り押さえられている。この部分だけを見ると、さらに起きるかもしれない攻撃を警戒していない。これは最大のミスだろう」 https://news.yahoo.co.jp/articles/5b45263b6ad5e2f0a73b25c705ecacde90b2531a… |
平塚正幸 masayuki hiratsuka @22_427 Jul 11 山上容疑者の手製の銃は、1回で6発の玉が出る構造。2回打って安倍晋三の頸部に2発命中。他の被害者無しで、20m先の選挙カーにも命中。。んなはずない。もし本当なら安倍晋三を狙わず、上空を狙い、自分がヤったとおとりになる役目。ならありえる。#安倍晋三銃撃 #複数犯 |
平塚正幸 masayuki hiratsuka @22_427 Jul 12 複数犯の可能性に一切言及しない奴隷国家に於ける警察のトップ。#安倍晋三銃撃 「警察の責任果たせず慚愧に堪えない」 警察庁長官、異例の会見 https://youtu.be/aCjxWot_evs @YouTube より |
平塚正幸 masayuki hiratsuka @22_427. Jul 13 一番重要な争点は、教会側の言い分の矛盾点ではなく、「#安倍晋三銃撃事件 を単独犯と決めつけて疑わない社会」の方である。 “統一教会”会見は「事実に反する」 弁護士らが批判(日テレNEWS) https://news.yahoo.co.jp/articles/27e4710627362323edf80b45b20e1387b2fb97ec |
《安倍晋三銃撃事件を単独犯と決めつけて疑わない社会》とあるが、ここにあるのも羊脳批判である。
Trilliana 華@Trilliana_z May 20 グローバリズムや政府やワクチンの不都合な事実を書くと「陰謀論者」と言われるのは何故かと思ったら答えは簡単。それらが皆陰謀に満ちているから。推理小説でも現実でも第一通報者や「犯人はコイツだ」と指差す人間が犯人。「陰謀論者」は犯罪から目を逸らす為の策なのだ。羊脳を認めない自己防御でもある。 |
問題は、絆をこよなく重視する日本的環境においては、羊脳はなかなか食べ頃にならないことである。 |
猛禽は幾らか憐憫の眼を向けながら、おそらく独り言を言うだろう、《俺たち |
人は猛禽を羊脳の攻撃から守らねばならない。 |
人は強者を弱者たちの攻撃から常に守らなければならない[man hat die Starken immer zu bewaffnen gegen die Schwachen](ニーチェ『力への意志』草稿、Anfang 1888 - Anfang Januar 1889) |
より弱い者はより強い者に対して群れる[Das Schwächere drängt sich zum Stärkeren](ニーチェ『力への意志』草稿、 1882 - Frühjahr 1887) |
強者の独立に対する群れの本能[der Instinkt der Heerde gegen die Starken Unabhängigen]…例外に対する凡庸の本能[der Instinkt der Mittelmäßigen gegen die Ausnahmen](ニーチェ『力への意志』草稿、 Herbst 1887 - Anfang 1888 ) |
最も強い者は、最もしっかりと縛られ、監督され、鎖につながれ、監視されなければならない。これが群れの本能である[Die Stärksten müssen am festesten gebunden, beaufsichtigt, in Ketten gelegt und überwacht werden: so will es der Instinkt der Heerde.](ニーチェ『力への意志』草稿、 Herbst 1887 - Anfang 1888) |
羊脳ってのは社会的には(もちろん自己評価としても)、「善人」ということになっているから手強いんだ、ーー《私は善人は嫌ひだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである》(坂口安吾「蟹の泡」1946年)