こういう「大きな出来事」があると人のカラーが覿面に出るね。私はこの数ヶ月、情報収集のために比較的熱心にツイッターを眺めたのだが、ああこの人はこんな風に考えていた人なのか、と。
例えば反ネオコン情報を流していた人が《首相在任中に、日本を美しい国として、世界で尊敬される国として復活させた偉大なリーダーでした》なんて言うのを見てビックリしてしまったのだが、ビックリする私のほうがむしろ変なのかもしれない。
これは柄谷ボロメオのヴァリエーションだが、国家を「対外政治」、国民を「対内政治」と捉えれば、安倍晋三は対外的には「親米親露反中」、対内的には「愛国」だったとしてよいだろう。経済はもちろんアベノミクスあるいはリフレだ。
私はふつうの人よりは経済に偏った見方をするタイプなので、首相を降りた後も次のような発言をした人物として印象深い。
「子どもたちの世代にツケを回すなという批判がずっと安倍政権にあったが、その批判は正しくないんです。なぜかというとコロナ対策においては政府・日本銀行連合軍でやっていますが、政府が発行する国債は日銀がほぼ全部買い取ってくれています」 「みなさん、どうやって日銀は政府が出す巨大な国債を買うと思います? どこかのお金を借りてくると思ってますか。それは違います。紙とインクでお札を刷るんです。20円で1万円札が出来るんです」(安倍晋三新潟県三条市での講演ーー2021年7月10日) |
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今でも僅かに残存するリフレ派は別にして、現在の円安はアベノミクスに主因があるという見方がおそらく主流になっている筈である。
もっともこの今の事件直後にこの観点から元総理に触れる人物はほとんどいない。とはいえ日本経済新聞に「アベノミクスを金融政策から後押しした黒田総裁は23年4月に任期満了を迎えることから、7月10日の参院選終了後に後任選びに向けた調整が本格的に始まる」という記事が既に出ている。日銀・黒田体制にとって今回の出来事は衝撃だったには相違ないのである。安倍晋三はリフレ路線の主導役だったのだから。
ボロメオの環において、想像界の環(赤)は現実界の環(緑)を覆っている(支配している)。象徴界の環(青)は想像界の環(赤)を覆っている。だが象徴界自体(青)は現実界の環(緑)に覆われている。これがラカンのトポロジー図の一つであり、多くの臨床的現象を形式的観点から理解させてくれる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST? 1999) |
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おそらくネット上の若い愛国主義者たちは、アベノミクスによって最も痛い目に遭っているカテゴリーの人が多いのではないか。だが赤い環は緑の環を支配しているせいなのか、安倍と同じ新自由主義者のサッチャーの死に際して起こった、似たような出来事が発生する気配は微塵もない(もちろん死因が異なるせいもあろうが)。
元総理念願の「ウツクシイ日本」が少なくとも若い層では既に実現しているのかもしれない。
もっとも元来からの日本的特徴、《わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である》(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年)、あるいは「共同体の共同体」の特徴がこの大きな出来事に遭遇してあからさまに現れているということのほうが大きいのだろう。
ここに現出するのは典型的な「共感の共同体」の姿である。この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したりその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。そのような「事を荒立てる」ことは国民共同体が、和の精神によって維持されているどころか、じつは、抗争と対立の場であるという「本当のこと」を、図らずも示してしまうからである。…(この)共感の共同体では人々は「仲よし同士」の慰安感を維持することが全てに優先しているかのように見えるのである。(酒井直樹「「無責任の体系」三たび」2011年『現代思想 東日本大震災』所収) |
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