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2022年8月22日月曜日

抑圧されたナチの外傷性記憶の回帰


まずラカンの比較的早い段階ーーといっても52歳から53歳にかけてだがーーの三文を掲げよう。

想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)

抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation.  ](Lacan, S1, 07 Avril 1954)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


ここでラカンは「抑圧されたものの回帰」を言っている。ジャック=アラン・ミレールの注釈なら次の通り。

ラカンは欲動の対象との関係[le rapport à l'objet pulsionnel ]において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]». これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係するということである[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]。(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)


要するに冒頭のラカン文は次のフロイトの言い換えである。

人は、忘れられたものや抑圧されたものを思い出すわけではなく、むしろそれを行為にあらわす。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[der Analysierte erinnere überhaupt nichts von dem Vergessenen und Verdrängten, sondern er agiere es. Er reproduziert es nicht als Erinnerung, sondern als Tat, er wiederholt es, ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt. ]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年)


とはいえ、もういくら詳しくは『症例シュレーバー』の次の文を参照する必要がある。

「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕


この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに③の抑圧の相を生み出す決定因となる。[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]〔・・・〕


②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕

主に①の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ]〔・・・〕


③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]

この侵入とは固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」1911年、摘要)


見ての通り、固着は原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe]と等置されており、ここでの抑圧されたものの回帰とは、より厳密に言えば、原抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr des primär verdrängten Triebe]、あるいは固着点への回帰[Wiederkehr an die Stelle der Fixierung]である。


そして最後のフロイトにおいて固着はトラウマへの固着と反復強迫である。

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕

このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. 

この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


これは現代ラカン派では簡潔に「固着の反復」、あるいは「トラウマの反復」と表現されることが多い。

例えば晩年のラカンは次のように言っている。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。穴は原抑圧と関係がある[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel RitterStrasbourg le 26 janvier 1975


この穴とはトラウマのことである、《現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».]》(Lacan, S21, 19 Février 1974

そしてトラウマと原抑圧との関係とは、フロイトの定義上、固着との関係である。


……………

ここでもう一度、冒頭のラカン文に戻ろう。


想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)


この歴史のスティグマは、基本的には個人史における固着の刻印を言っているのだが、場合によっては、家族の歴史、共同体の歴史、国家の歴史のスティグマも行為として呼び戻される。つまりトラウマ的固着点への回帰がある。


この(原)抑圧されたものの回帰は、日本では柄谷行人が繰り返し言ってきたことである。今は二文だけ掲げておこう。


フロイトは、世界宗教を「抑圧されたものの回帰」とみなす。私はそれに同意する。(柄谷行人『探求Ⅱ』第三部「世界宗教をめぐって」1989年)

マルクスは、『ルイ・ポナパルドのブリュメールの十八日』にて、フランス革命によって実現された共和制から生れた皇帝制の出現のなかに反復を見出している。1789年の革命において、王は処刑されて、それに引き続く共和制から、人びとの支持をともなって「皇帝」が出現した。これは、フロイトが「抑圧されたものの回帰」と呼ぶものである。(Kojin Karatani,Revolution and Repetition, 2008, 私訳)


・・・というわけだが、ここで言いたいのは、少なくともこの6ヶ月、欧米で「抑圧されたものの回帰」が赤裸々に起こっているのではないか、ということだ。第二次世界大戦の、とくにナチの外傷的記憶の回帰が。どうもそうとしか思えないのである。


このトラウマ的記憶の回帰は、フロイトの臨床的観察の下では、まず自己破壊欲動として作用するのだが、人はそこから逃れようとして他者破壊へと投射する。


我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! 

(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)



欧州諸国だけではない。例えば米国政治中枢のブリンケンやヌーランドはナチから逃れて米国に渡った家族の子孫である。ブリンケンの父はユダヤ系ウクライナ人、ヌーランドの父方の祖父もこれまたウクライナ系のユダヤ人である。この二人だけではない。官産複合体(とくに「軍産複合体」として特徴づけられる)の米国高級官僚には伝統的に似たような経歴をもつ者が多い、名高いブレジンスキーやマデレーン・オルブライトを初めとして(ポーランド貴族のブレジンスキー家はウクライナに大きな領土を持っていた。ユダヤ系チェコ人出のオルブライトは祖父母3人を含む親戚多数がホロコーストで殺されている)。


現在、直接関係があるのはいま挙げた名のなかではブリンケンとヌーランドというバイデンの知恵袋だが、こういった米政権中枢の人物あるいはその家族の抑圧された外傷性記憶がなんらかのの形で「行為として呼び戻されている」のでなければ、こんな異常事態が起こるわけがない、続くわけがないーーそう思わざるを得ないのだ・・・


…………………


※付記


晩年のフロイトは次のように書いている。

抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)


ここでの抑圧自体、原抑圧である。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


さらに先の文で「神経症の本質的特徴」とされているが、フロイトにおいて神経症は二種類ある。

おそらく最初期の抑圧(原抑圧=固着)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕

精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)


例えばフロイトが「神経症はトラウマの病い」とするとき、この神経症は基本的には「原抑圧されたものの回帰」の審級にある現勢神経症である。


神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる[Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1917年)



そしてトラウマの回帰としての現勢神経症に対する防衛あるいは隠喩として回帰するのが精神神経症である。通常、ラカン派文脈あるいは一般的な精神医学で「神経症」と言われるのはこの後期抑圧の審級にある精神神経症であり、象徴界(欲望の言語)の症状である。他方、現実界(欲動の身体)の症状ーーラカンはサントームと呼んだーーが、事実上、現勢神経症である(参照)。





なおトラウマ的記憶の回帰に伴う自己破壊欲動の投射としての他者破壊欲動は、その外傷性記憶とはまったく関係のない対象に向かう場合がある。


ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為[neurotische Racheaktionen] が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である[daß einer der drei Dorfschneider gehängt werden soll, weil der einzige Dorfschmied ein todwürdiges Verbrechen begangen hat]。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』第4章、1923年)



ナチの強烈なトラウマをもったロシアという国ーー第二次世界大戦で旧ソ連は少なくとも見積もっても2000万人以上死んでいる(最近は2700万人という話もある)ーーに対して、これまたナチの外傷性記憶をもった国や共同体や政治主体が破壊欲動の対象にロシアを選択するのは何も不思議ではないのである。

(今わたしは、マイダンクーデター後、米ネオコン主導のNATOがウクライナのネオナチを支援・訓練してロシアを罠に嵌め代理戦争をおっ始めたという、日本言論界のコモンセンスとは異なる前提で記している)。




ここでは第二次世界大戦の外傷性記憶に焦点を絞ったが、もちろん各国家各共同体には種々のトラウマの記憶があるだろう。ロシアにとってはソ連邦崩壊、アメリカにはベトナム戦争に代表されるトラウマ、さらには先住民大虐殺を経て国が成立したという抑圧された外傷記憶も根には残存しているのかも知れない。日本や中国などの話には触れないでおくが、国民国家としては最低限100年前程度のトラウマの記憶はなんらかのの形で作用しうる。


大昔の話になるが、例えば白村江トラウマの影響は100年どころじゃない、あの天智天皇~天武天皇の時代の7 世紀後半の日本ーー白村江の惨敗と朝鮮半島からの全面撤退、さらには新羅・唐の日本への侵攻の脅威が続いたあの外傷的出来事の後の世紀へのその影の大きさは。