まずラカンの比較的早い段階ーーといっても52歳から53歳にかけてだがーーの三文を掲げよう。 |
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想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique : page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige. Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953) |
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抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation. ](Lacan, S1, 07 Avril 1954) |
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固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
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ここでラカンは「抑圧されたものの回帰」を言っている。ジャック=アラン・ミレールの注釈なら次の通り。 |
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ラカンは欲動の対象との関係[le rapport à l'objet pulsionnel ]において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]». これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係するということである[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]。(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99) |
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要するに冒頭のラカン文は次のフロイトの言い換えである。 |
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人は、忘れられたものや抑圧されたものを思い出すわけではなく、むしろそれを行為にあらわす。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[der Analysierte erinnere überhaupt nichts von dem Vergessenen und Verdrängten, sondern er agiere es. Er reproduziert es nicht als Erinnerung, sondern als Tat, er wiederholt es, ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt. ]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年) |
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とはいえ、もういくら詳しくは『症例シュレーバー』の次の文を参照する必要がある。 |
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「抑圧」は三つの段階に分けられる。 ①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕 この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに③の抑圧の相を生み出す決定因となる。[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]〔・・・〕 ②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕 主に①の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ]〔・・・〕 |
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③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ] この侵入とは固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」1911年、摘要) |
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見ての通り、固着は原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe]と等置されており、ここでの抑圧されたものの回帰とは、より厳密に言えば、原抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr des primär verdrängten Triebe]、あるいは固着点への回帰[Wiederkehr an die Stelle der Fixierung]である。 |
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そして最後のフロイトにおいて固着はトラウマへの固着と反復強迫である。 |
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トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ] この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
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これは現代ラカン派では簡潔に「固着の反復」、あるいは「トラウマの反復」と表現されることが多い。 |
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例えば晩年のラカンは次のように言っている。 |
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
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この穴とはトラウマのことである、《現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».]》(Lacan, S21, 19 Février 1974) |
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そしてトラウマと原抑圧との関係とは、フロイトの定義上、固着との関係である。 ……………
そしてトラウマの回帰としての現勢神経症に対する防衛あるいは隠喩として回帰するのが精神神経症である。通常、ラカン派文脈あるいは一般的な精神医学で「神経症」と言われるのはこの後期抑圧の審級にある精神神経症であり、象徴界(欲望の言語)の症状である。他方、現実界(欲動の身体)の症状ーーラカンはサントームと呼んだーーが、事実上、現勢神経症である(参照)。
ナチの強烈なトラウマをもったロシアという国ーー第二次世界大戦で旧ソ連は少なくとも見積もっても2000万人以上死んでいる(最近は2700万人という話もある)ーーに対して、これまたナチの外傷性記憶をもった国や共同体や政治主体が破壊欲動の対象にロシアを選択するのは何も不思議ではないのである。 (今わたしは、マイダンクーデター後、米ネオコン主導のNATOがウクライナのネオナチを支援・訓練してロシアを罠に嵌め代理戦争をおっ始めたという、日本言論界のコモンセンスとは異なる前提で記している)。 ここでは第二次世界大戦の外傷性記憶に焦点を絞ったが、もちろん各国家各共同体には種々のトラウマの記憶があるだろう。ロシアにとってはソ連邦崩壊、アメリカにはベトナム戦争に代表されるトラウマ、さらには先住民大虐殺を経て国が成立したという抑圧された外傷記憶も根には残存しているのかも知れない。日本や中国などの話には触れないでおくが、国民国家としては最低限100年前程度のトラウマの記憶はなんらかのの形で作用しうる。 大昔の話になるが、例えば白村江トラウマの影響は100年どころじゃない、あの天智天皇~天武天皇の時代の7 世紀後半の日本ーー白村江の惨敗と朝鮮半島からの全面撤退、さらには新羅・唐の日本への侵攻の脅威が続いたあの外傷的出来事の後の世紀へのその影の大きさは。 |