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2022年8月24日水曜日

私はもう文学に何も期待していません

 柄谷の『近代文学の終り』は、ネット上の引用の断片を掠め読みした程度で手元にはなく通して読んだこともないのだが、ここにもう少しその引用を拾ってみた。順不同であり、つながり具合もはっきりしていないが、以下に備忘として列挙する。


今日は「近代文学の終り」について話します。それは近代文学の後に、たとえばポストモダン文学があるということではないし、また、文学が一切なくなってしまうということでもありません。私が話したいのは、近代において文学が特殊な意味を与えられていて、だからこそ特殊な重要性、特殊な価値があったということ、そして、それがもう無くなってしまったということなのです。これは、私が声高くいってまわるような事柄ではありません。文学が重要だと思っている人はすでに少ない。


だから、わざわざ私がいってまわる必要などありません。むしろ文学がかつて大変大きな意味をもった時代があったという事実をいってまわる必要があるほどです。〔・・・〕

近代国家では、どこでも、それぞれ漢文やラテン語などの普遍的な知的言語を俗語に翻訳しながら、新しい言語を作り上げた。日本の場合は、明治時代に、あらためて俗語(口語)にもとづく書き言葉を作らねばならなかった。「言文一致」と呼ばれるものですが、それはやはり小説によって実現されたのです。・・・言文一致とは感性的・感情的・具体的なものと、知的で抽象的な概念とをつなぐことなのです。・・・近代小説はいわば音声や挿絵なしに独立したわけですが、それは書き手にも読者にも大きな想像力を要求するものでした。・・・近代小説の特質は何といっても、リアリズムにあるのです。つまり、物語(虚構)であるのに、それがリアルであるかのように見えさせるにはどうすればよいか、それが近代小説の取り組んだ問題です。・・・しかし、視聴覚的なメディアがでてくると、そのような必要はなくなります。・・・日本の場合、マンガが広がったことは、徳川時代の小説への回帰であると言えます。江戸の小説は、絵入りで、ほとんど会話だけで成り立っている。〔・・・〕

感性的な娯楽のための読み物であった「小説」が、哲学や宗教とは異なるが、より認識的であり真に道徳的であるような可能性が見出されるということでもあります。小説は、「共感」の共同体、つまり想像の共同体としてのネーションの基盤になります。小説が、知識人と大衆、あるいは、様々な社会的階層を「共感」によって同一的たらしめ、ネーションを形成するのです。〔・・・〕

今日ではもうネーション=ステートが確立しています。つまり、世界各地で、ネーションとしての同一性はすっかり根を下ろしています。そのためにかつて文学が不可欠であったのですが、もうそのような同一性を想像的に作り出す必要はない。人々はむしろ現実的な経済的な利害から、ネーションを考えるようになっています。〔・・・〕

写真が出現したとき、絵画は写真ができないこと、絵画にしかできないことをやろうとした。それと同様のことを、近代小説は映画が出てきたときにやったと思います。その点で、二十世紀のモダニズム小説は、映画に対してなされた小説の小説性という意味があると思います。〔・・・〕

しかし、小説の相手は映画だけではない。映画そのものを追い詰めるものが出てきた。それがテレビであり、ビデオであり、さらに、コンピューターによる映像や音声のデジタル化です。こういう時代に、活版印刷の画期性によって与えられた活字文化あるいは小説の優位がなくなるのは、当然、といえば当然です。〔・・・〕

政治的な目的があるなら、小説を書くより、映画を作ったほうが早いでしょう。あるいはマンガのほうがいい。…そのほうが大衆にとって近づきやすいから。〔・・・〕

インド人の作家で、 アルンダティ・ロイという人がいます。 彼女は、一九九七年イギリスのブッカー賞を受賞したのですが、それがベストセラーとなって、とても有名になった。しかし、彼女は、第一作目の小説で受賞した後、小説を書かず、インドでダム建設反対運動、反戦運動などに奔走しています。 発表する著作もその種のエッセイばかりとなった。欧米で人気が出たインド人作家は、アメリカかイギリスに移住して華々しい文壇生活を送るのが普通です。 な ぜ小説を書かないのかと聞かれると、ロイは、自分は、小説家だから小説を書く、ということはしない。書くべきことがあるときにしか書かない、とか、このような危機的時代にのんきに小説など書くことはできないという風に答えています。


ロイの言動は、文学が果たしていた社会的役割が終わったということを示唆するものではないだろうか。 文学によって社会を動かすことができるように見えた時代が終わったとすれば、もはや本当の意味での小説を書くことも小説家であることもできない。だとすれば小説家とは単なる職業的肩書きにすぎないことになります。 ロイは文学を捨てて社会運動を選んだのではなく、むしろ〈文学〉を正当的に受け継いだということができるのです。


ついでに言うと、近年、ブッカー賞というのは、ラシュディやイシグロを含めて、ほとんどマイノリティあるいは外国人がもらっています。それは先にアメリカと日本に関して述べたのと同じ現象です。 これはもう先が見えています。日本に比べて、はるかに多民族的、多文化的だから、もう少し続くとは思いますが、〈文学〉が倫理的・知的な課題を背負うが故に影響力を持つというような時代は基本的に終わっています。その残影があるだけです。〔・・・〕


今日では,そういう[哲学や宗教とは異なるが、文学には、より認識的であり真に道徳的であるような可能性が見出されるという]文学の意味づけ(擁護)はなされない。〔・・・〕現在は, まったくそのような議論がされませんが、三〇年ぐらい前までは、「政治と文学」という議論、たとえば、文学は政治から自立すべきだ、というような議論がいつもなされていました。具体的にいえば、それは政治=共産党に対して文学者はどうするのか、という意味を含んでいた。 だから、共産党の権威がなくなれば、政治と文学という問題は終ってしまう。作家は何を書いてもいいではないか。政治なんて古くさい野暮なことをいうなよ、というような感じになる。


しかし、事はそう簡単ではない。文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべきでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。 


いや、今も文学はある、という人がいます。しかし、そういうことをいうのが、孤立を覚悟してやっている少数の作家ならいいんですよ。実際、私はそのような人たちを励ますためにいろいろ書いてきたし、今後もそうするかもしれません。しかし、今、文学は健在であるというような人たちは、そういう人たちではない。その逆に、その存在が文学の死の歴然たる証明でしかないような連中がそのようにいうのです。〔・・・〕


私は、作家に「文学」 をとりもどせといったりしません。 近代小説が終わったら、日本の歴史的文脈でいえば、 「読本」や 「人情本」になるのが当然です。 それでよいではないか。せいぜいうまく書いて、 世界的商品を作りなさい。 マンガがそうであるように。実際、 それができるような作家はミステリー系などにけっこういますよ。一方、純文学と称して、 日本でしか読むにたえないような通俗的作品を書いている作家が、 偉そうなことを言うべきではない。〔・・・〕

今日の状況において、文学(小説)がかつて持っていたような役割を果たすことはありえないと思います。だた、近代文学が終わっても、われわれを動かしている資本主義と国家の運動は終わらない。それはあらゆる人間的環境を破壊してでも続くでしょう。われわれはその中で対抗して行く必要がある。しかし、その点にかんして、私はもう文学に何も期待していません。(柄谷行人『近代文学の終り』2005年)



いかにも柄谷らしくてタイヘンヨロシイ・・・ 2005年の書だが2003年の講演らしくNAMが失敗して苛立っていた時期ではないだろうか、純文学者か批評家の誰かへのアテツケのにおいもしないではない(例えば蓮實とかへの)・・・評判があまりよくないようだが、8割ぐらいはタダシイんじゃないかね



とはいえ政治に無関心の文学愛好家の方のためにプルーストでも引用してオキマス。



未知の表徴 signes inconnus(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴 signes en relief)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。


だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。


しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー génie〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの réel、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実réalité がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象 impression」された唯一の書物である。


人生がわれわれのなかに残した思想が何に関するものであろうとも、その思想の具体的形象、すなわちその思想がわれわれのなかに生んだ印象の痕跡は、なんといってもその思想がふくむ真理の必然性を保証するしるしである。単なる理知のみのよって形づくられる思想は、論理的な真実、可能な真実しかもたない、そのような思想の選択は任意にやれる。われわれの文字で跡づけられるのではなくて、象形的な文字であらわされた書物、それこそがわれわれの唯一の書物である。といっても、われわれが形成する諸般の思想が、論理的に正しくない、というのではなくて、それらが真実であるかどうかをわれわれは知らない、というのだ。


印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこびをあたえうる唯一のものなのである。


作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所[l'obscurité qui est en nous et que ne connaissent pas les autres] から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ。……(プルースト「見出された時」)




だがここでブレヒトも引用しておくべきだろう。


私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。(ブレヒト『政治・社会論集』)


ついでに次の二文も。

けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987年)

自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている…。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが……。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)


おい、わかるだろ、何がいいたいか?


いつまで西側主流メディアの甘言を目隠しして読んでるんだ?

人は、まるで恋をしているときのように、目かくしをして、新聞を読んでいるのだ。事実を理解しようとはつとめない。愛人の言葉に耳を傾けるように、主筆の甘言に耳を傾けている。on lit les journaux comme on aime, un bandeau sur les yeux. On ne cherche pas à comprendre les faits. On écoute les douces paroles du rédacteur en chef, comme on écoute les paroles de sa maîtresse. (プルースト「見出された時」)


……………………



※付記


柄谷)台湾の侯考賢の「非情城市」を見たときに、この人ははっきり主題を持っていて、この映画で台湾の運命を描いている。天皇が敗戦の演説をしているときにオギャーと産まれる私生児が台湾です。監督自身は本土から来た外省人だけど、ネーションとしての台湾の形成を描こうとしたわけです。例えば、台湾の左翼らが蒋介石によって弾圧されるんですけれども、彼らは台北の帝国大学を出た左翼であって、たとえ毛沢東が来たって弾圧されたでしょう。左翼そのものが「日本文化」なんですね。とにかく、彼の主題は明白です。僕がその映画を見に行ったときに、パンフレットみたいなのを見たら、蓮實重彦が、ここのアングルは小津の引用だとか、そういうことしか書いてないんですよ。


村上)本当ですか。


柄谷)監督は明らかに、そのような主題なしにこの映画を作らなかっただろう。技術的な問題は映画監督なら当たり前のことですよ。しかし、蓮實重彦は主題など見るのは素人だ、おれはそんなバカではないという感じで書いていた。しかし、アングルがどうのこうのなんて、そんなもの映画をつくっている人間から見たらカスみたいな話ですよ。素人が映画を見まくって覚えた技術論なんか関係ない。みんな苦労しているから、それぞれ技術をもっていますよ。批評家がそんなことを得意そうにいう筋合いはない。小説でも同じことですが。日本の映画がなぜだめかというと、主題がないからだ、あんなカスみたいな趣味的評価は全部否定しろ、主題をもつ以外に日本の映画は復活できない、と僕はいいました。小説も同じですよ。〔・・・〕


村上)主題を否定することで、何かそこに価値があるという倒錯は至るところにありますね。(柄谷行人-村上龍の対談「時代閉塞の突破口」2000年10月『NAM生成』所収)





《天皇が敗戦の演説をしているときにオギャーと産まれる私生児が台湾です》、わかるか、これがペロシ訪問で中台戦争の燃料をさらにいっそう供給された今の台湾の起源だぜ。どうするんだ、日本は。はあ? いつまで米国の属国やってんだ、はあ? 中国の反国家分裂法(2005/03/14)って知ってるか、はあ? このままだとマジで中国からミサイル飛んでくるぜ、はあ?




……………………



蓮實)エリート教育をやったほうが、左翼は強くなるんですよ。エリートのなかに絶対に左翼に行くやつが出るわけですよね。〔・・・〕

ところがいまは、エリート教育をやらないで、マス教育をやって、何が起こるかというと、体制順応というほうに皆行っちゃうけどね。(柄谷行人-蓮實重彦『闘争のエチカ』1988年)


私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考――私自身それに加わっていたといってよい――が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。90年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位――美学的なものをふくむ――である。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)


今、いろいろ書いている人(蓮實重彦、渡部直己、高橋源一郎)は、ロマンティシュ・イロニーの現代版だね。 あえて無意味なものを選んで戯れて、自己意識の優位性を確保するといった審美的姿勢だ。 

しかし保田與重郎には、上田秋成と同じく、激烈なもの、奇矯なものがある。(柄谷行人「批評的確認-昭和をこえて」中上健次との対談集『小林秀雄をこえて』所収)