◼️「差異と反復」は「固着と反復」である ドゥルーズは『差異と反復』の序章で、反復の原理はフロイトの原抑圧だとしている。 |
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フロイトが、表象にかかわる「正式の」抑圧の彼岸に、「原抑圧」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前、あるいは欲動が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じる。 Car lorsque Freud, au-delà du refoulement « proprement dit » qui porte sur des représentations, montre la nécessité de poser un refoulement originaire, concernant d'abord des présentations pures, ou la manière dont les pulsions sont nécessairement vécues, nous croyons qu'il s'approche au maximum d'une raison positive interne de la répétition(ドゥルーズ『差異と反復』「序章」1968年) |
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第2章では潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]を原抑圧と結びつけている。 |
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反復は、ひとつの現在からもうひとつへ向かって構成されるのではなく、むしろ、潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成される。La répétition ne se constitue pas d'un présent à un autre, mais entre les deux séries coexistantes que ces présents forment en fonction de l'objet virtuel (objet = x). 〔・・・〕 そうしたことをフロイトは、抑圧という審級よりもさらに深い審級を追究していたときに気づいていた。もっとも彼は、そのさらに深い審級を、またもや同じ仕方でいわゆる「原」抑圧[un refoulement dit « primaire »]と考えてしまってはいたのだが。Freud le sentait bien, quand il cherchait une instance plus profonde que celle du refoulement, quitte à la concevoir encore sur le même mode, comme un refoulement dit « primaire ». (ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年) |
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フロイトにおいて原抑圧は固着のことである。 |
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「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕 ①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕 この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ] ②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期抑圧[Nachdrängen]である。〔・・・〕①の原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。 ③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ] この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )1911年、摘要) |
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この固着概念自体、ドゥルーズは第2章でフロイトに準拠しつつ、次のように記している。 |
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固着と退行概念、それはトラウマと原光景を伴ったものだが、最初の要素である。自動反復=自動機械 [automatisme] という考え方は、固着された欲動の様相、いやむしろ固着と退行によって条件付けれた反復の様相を表現している。 Les concepts de fixation et de régression, et aussi de trauma, de scène originelle, expriment ce premier élément. […] : l'idée d'un « automatisme » exprime ici le mode de la pulsion fixée, ou plutôt de la répétition conditionnée par la fixation ou la régression.(ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年) |
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自動反復 [automatisme] 概念は、フロイトの『制止、症状、不安』10章に現れる。 |
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欲動蠢動は「自動反復 Automatismus」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧において固着の契機は「無意識のエスの反復強迫」である。Triebregung […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es,(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要) |
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つまりドゥルーズにおいて反復の原理は固着なのである。「差異と反復」とは「固着と反復」である。
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晩年のラカンの現実界の症状「サントーム」概念はこの固着の反復のことである(参照)
ドゥルーズの表現なら人はみなこの固着という潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]のために反復している。愛自体、固着のせいである。
………………… ※付記
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ところで、ドゥルーズは《内在平面[Le plan d'immanence]》概念をブランショの《外部としての親密[l'intimité comme Dehors]》と等置している。 |
内在平面は、...思考において最も親密でありながら、絶対的な外部である。どんな外界よりも遠い外部、どんな内界よりも深い内部であるため、内在であり、「外部としての親密さ、窒息させる侵入となった外部、相互の逆転」(ブランショ「終わりなき対話」1966年)である。 |
Le plan d'immanence est […] le plus intime dans la pensée, et pourtant le dehors absolu. Un dehors plus lointain que tout monde extérieur, parce qu'il est un dedans plus profond que tout monde intérieur : c'est l'immanence, « l'intimité comme Dehors, l'extérieur devenu l'intrusion qui étouffe et le renversement de l'un et de l'autre » [Blanchot] |
(ドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』1991年) |
このあたりはほとんど無知な部分なのだがーー私はドゥルーズをおおむねニーチェ、フロイト、プルーストの解釈者としてのみ読むだけであるーー、この外部としての親密さ[l'intimité comme Dehors]は、ラカンの外密[Extimité]の定義とほとんど等価に見える。 |
親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960) |
外密という語は、親密を基礎として作られている。外密は親密の反対ではない。それは最も親密なものでさえある。外密は最も親密でありながら、外部にある。外密は、異者としての身体のモデルである。…外密はフロイトの 「不気味なもの」の事例と同様、否定が互いに取り消し合う場にある。 Ce terme d'extimité est construit sur celui d'intimité. Ce n'est pas le contraire car l'extime c'est bien l'intime. C'est même le plus intime. …C'est le plus intime, mais ce que dit ce mot, c'est que le plus intime est à l'extérieur. Il est du type, du modèle corps étranger. …Intimité, …c'est la zone où les négations s'annulent, comme Freud en avait pris exemple dans l'Unheimlich. (J.-A. Miller, Extimité, 13 novembre 1985) |
ジャック=アラン・ミレールはモノとしての外密を異者としての身体、不気味なものと結びつけているが、これはラカン自身が示していることである。 |
このモノは分離されており、異者の特性がある。ce Ding […] isolé comme ce qui est de sa nature étranger, fremde. …モノの概念、それは異者としてのモノである。La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
われわれにとって異者としての身体[un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976) |
固着=モノ=異者=不気味なもの=外密(外部にある親密)である。 |
不気味ななかの親密さ[heimisch im Unheimlichen](フロイト『ある幻想の未来』第3章、1927年) |
モノは異者化された[entfremdet]何ものか、私の核でありながら、私にとって異者の何ものかの形式にある[- ce das Ding,… sous la forme de quelque chose qui est entfremdet, étranger à moi, tout en étant au cœur de ce moi] (Lacan, S7, 23 Décembre 1959) |
不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要) |
ーーここでフロイトは「抑圧の過程」と言っているが、ここでの抑圧は先に示したように原抑圧=固着であり、外密としての不気味なモノは固着の過程により異者化されてエスに置き残された異者身体なる原無意識である。 |
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なおニーチェは不気味なもの実在であり、「親密な沈黙」と呼んでいることを付け加えておこう。 |
不気味なものは人間の実在[Dasein]であり、それは意味もたず黙っている[Unheimlich ist das menschliche Dasein und immer noch ohne Sinn ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第1部「序説」1883年) |
未来におけるすべての不気味なもの、また過去において鳥たちをおどして飛び去らせた一切のものも、おまえたちの「現実」にくらべれば、まだしも親密さを感じさせる[Alles Unheimliche der Zukunft, und was je verflogenen Vögeln Schauder machte, ist wahrlich heimlicher noch und traulicher als eure "Wirklichkeit". ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第2部「教養の国」1884年) |