ニーチェは明治20年に自由を罵倒してるだよ、無責任とかデカタンスとか言いつつ、さ。 |
今日のために生き、きわめて迅速に生き、 ――きわめて無責任に生きるということ、このことこそ「自由」と名づけられているものにほかならない。制度を制度たらしめるものは、軽蔑され、憎悪され、拒絶される。すなわち、人は、「権威」という言葉が聞こえるだけでも、おのれが新しい奴隷状態の危険のうちにあると信じるのである。それほどまでにデカタンスは、私たちの政治家の、私たちの政党の価値本能のうちで進行している。だから、解体させるものを、終末を早めるものを、彼らはよしとして本能的に選びとる・・・ |
Man lebt für heute, man lebt sehr geschwind – man lebt sehr unverantwortlich: dies gerade nennt man »Freiheit«. Was aus Institutionen Institutionen macht, wird verachtet, gehaßt, abgelehnt: man glaubt sich in der Gefahr einer neuen Sklaverei, wo das Wort »Autorität« auch nur laut wird. Soweit geht die décadence im Wert-Instinkte unsrer Politiker, unsrer politischen Parteien: sie ziehn instinktiv vor, was auflöst, was das Ende beschleunigt... |
(ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」第39節『偶像の黄昏』所収、1888年) |
どう思う、「自由」が好きなきみたち? 制度や権威を軽蔑し、憎悪し、拒絶するのが習い性になっているインテリくんたち? ニイチエは制度なき社会は力への意志なる欲動の暴力が爆発するって言ってるけどさ |
私は、ギリシャ人たちの最も強い本能、力への意志を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力 [unbändigen Gewalt dieses Triebs]に戦慄するのを見てとった。ーー私は彼らのあらゆる制度が、彼らの内部にある爆発物に対して互いに身の安全を護るための保護手段から生じたものであることを見てとった。 |
Ich sah ihren stärksten Instinkt, den Willen zur Macht, ich sah sie zittern vor der unbändigen Gewalt dieses Triebs – ich sah alle ihre Institutionen wachsen aus Schutzmaßregeln, um sich voreinander gegen ihren inwendigen Explosivstoff sicher zu stellen. |
(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」第3節『偶然の黄昏』所収、1888) |
制度や権威がなかったら大衆はしたい放題するからな、例えば「家父長制反対!」のフェミニズム宗教信者みたいに。 |
大衆は怠惰で短視眼である。大衆は、欲動を断念することを好まず、いくら道理を説いてもその必要性など納得するものではなく、かえって、たがいに嗾しかけあっては、したい放題をする[denn die Massen sind träge und einsichtslos, sie lieben den Triebverzicht nicht, sind durch Argumente nicht von dessen Unvermeidlichkeit zu überzeugen, und ihre Individuen bestärken einander im Gewährenlassen ihrer Zügellosigkeit. ](フロイト『ある幻想の未来 Die Zukunft einer Illusion』第1章、1927年) |
とくに大衆のリーダーが最悪だったらいっそうそうだろうな。 |
権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳(大衆の徳)がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー。 Und wenn sie gar die letzten sind und mehr Vieh als Mensch: da steigt und steigt der Pöbel im Preise, und endlich spricht gar die Pöbel-Tugend: `siehe, ich allein bin Tugend!` -〔・・・〕 |
ああ、あの絶叫漢、文筆の青蝿、小商人の悪臭、野心の悪あがき、くさい息、…ああ、たまらない厭わしさだ、賤民のあいだに生きることは。…ああ、嘔気、嘔気、嘔気! allen diesen Schreihälsen und Schreib-Schmeissfliegen, dem Krämer-Gestank, dem Ehrgeiz-Gezappel, dem üblen Athem -: pfui, unter dem Gesindel leben, - pfui, unter dem Gesindel die Ersten zu bedeuten! Ach, Ekel! Ekel! Ekel! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「王たちとの会話」1885年) |
21世紀の今だったらいっそう臭いんだよ、「ああ、嘔気、嘔気、嘔気!」だよ。チガウカイ?
自称インテリの蚊居肢散人なんてとっても酷い賎民の臭いがするだろ、そんなのとっくの昔から自覚的だよ。
オープンレターのたぐいの「拷問の自由」がオスキなフェミニストのオネエサンたちほどではないことを祈るがね。
人はよく頽廃の時代はより寛容であり、より信心ぶかく強健だった古い時代に対比すれば今日では残忍性が非常に少なくなっている、と口真似式に言いたがる。しかし、言葉と眼差しによる危害や拷問は、頽廃の時代において最高度に練り上げられる[aber die Verwundung und Folterung durch Wort und Blick erreicht in Zeiten der Corruption ihre höchste Ausbildung](ニーチェ『悦ばしき知』23番、1882年) |
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欲動ってのは家畜化しないとダメなのさ。
荒々しい「自我によって飼い馴らされていない欲動蠢動 」を満足させたことから生じる幸福感は、家畜化された欲動を満たしたのとは比較にならぬほど強烈である[Das Glücksgefühl bei Befriedigung einer wilden, vom Ich ungebändigten Triebregung ist unvergleichlich intensiver als das bei Sättigung eines gezähmten Triebes.] (フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』第2章、1930年) |
欲動蠢動、この蠢動は刺激、無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである [la Triebregung …Regung est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute](ラカン, S10, 14 Novembre 1962) |
「欲動の自由」を家畜化して初めて共同体民・国民は、「精神の自由」を確保できるんだ。
権威とは、人びとが自由を保持するための服従を意味する[Authority implies an obedience in which men retain their freedom](ハンナ・アーレント『権威とは何か』1954年) |
ここでの「権威」は支配の論理・抑圧の論理の「権威主義」ではなく「良性の権威」だ。 |
個を越えた良性の権威へのつながりの感覚(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収) |
見たらすぐわかるだろ、米NATOの政治主体の「権威主義」と露国プーチンの「権威」の相違が。
Jano66@Jano661 2022/08/30 【プチ字幕】2018年のプーチン |
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で、繰り返すが、自由が好きなきみたちはどう思うんだい? 極寒の自由、極貧の自由、飢餓の自由が好きかい?
まだ序の口だぜ、このたぐい。
…………
とはいえプーチンは「良性の権威」どころか「悪性の権威」かもよ、でもよく我慢してるとは思うね、米国の権威主義を。ロシアにはすぐキレそうな人物いっぱいいるからな、上層部に。ヤバイ国には違いないね。蚊居肢散人?のような「家畜化されていない自由な欲動」もってるやつが多いから、プーチン引退後はすぐに例のボタン押しちゃうさ。