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2022年8月15日月曜日

「考えきれない重し」と「口にしちゃいけないこと」

 

中井久夫の神戸新聞「清陰星雨」、三ケ月に一度の連載、20余年続けたコラムの最後は、77歳、2012年3月24日の「信頼の基盤が揺らぐ」である。

中井は終戦前後の記憶から語り出している。そして、

以来、私は食糧難、悪性インフレを何とか切り抜け、迂回路を通って医学部を卒業し、最終的には精神科医になった。

今日まで自分の体験の基礎は、ほぼ揺らぐことがなかったように思う。


だが、

今度の東日本大震災をきっかけにそれが揺らいだ。77歳になって、ぼつぼつ「軟着陸」であればよいなと思う頃である。その時に、体験の基礎ととでもいうべきものがこんなに揺るがせられるとは予想していなかった。


引き続いて、

振り返ってみると、日本の自然をずいぶん信頼していた。明治の三陸大津波は、絵をみたことだけはある。子どもの時、富士山が活火山ということは知っていたけれど、噴火は江戸時代の過去と思っていた。実際、鉄道で通る時に、美しいね、と言うだけである。


3・11以後、何かが違う。何かが起こるかもしれないという感覚がある。日本の自然は恐ろしい顔をむきだした。原子炉の状況もチェルノブイリまでは行くまいと思っていたが、どうも違うらしい。日替わりで情報が時には根本から変わり、何が何だかわからなくなることがしばしばあった。


以前、「チェルノブイリの子供たち」という本を読んで、東京の中央線で不覚にも泣いたことがある。しかし、まさかチェルノブイリが日本で起こるとは思っていなかった。通り一遍の知識もなかったことを悔やんでいる。

私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。


最後にはこうある。

私の中では東北の大震災は突然の破滅的事態という点では戦争と結びつく。無残な破壊という点では戦災の跡を凌ぐ。原発を後世に残すのは、戦勝の可能性がゼロなのに目をつぶって戦争を続けるのと全く同じではなかろうか。



原発の評価についてはここでは問わないでおこう。今、この文を読んで最も強い印象を受けるパラグラフは次の箇所だ。


《私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。》


私は2022年のこの今、同じような感慨をいっそう強く抱いている。この10年間のあいだであっても、まだどこか信頼していたのだ、日本の学者たち、あるいは官僚や政界のなかにも、数は少ないにしろまだ誰かいるだろうと。でもこれがガラガラと崩れ去った。これは世界的に、少なくとも西側の学者や政治家たちについても似たようなものだ。この数ヶ月、日々それに苛立っている、そう、「考えきれない重し」に圧迫され続けている・・・


と言えば極論か。私は他方で、蓮實重彦曰くの「まぁ、世界とはその程度のものです」という感覚を持ちつつ生きている面がある。この別の顔が考えきれない重し」の底にあると言ってもよい。あるいは古井由吉曰くの「口にしちゃいけないこと」を口にしたくなることがあるのだ。


本当のことを言うとね、空襲で焼かれたとき、やっぱり解放感ありました。震災でもそれがあるはずなんです。日常生活を破られるというのは大変な恐怖だし、喪失感も強いけど、一方には解放感が必ずある。でも、もうそれは口にしちゃいけないことになっているから。(古井由吉「新潮」2012年1月号又吉直樹対談) 

近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。

その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。同時にそのとき、文学がよみがえるかもしれません。僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉「すばる」2015年9月号)