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2022年9月13日火曜日

ヨーロッパに回復不能の打撃を与えるだろう「代理戦争」


◼️戦争についての観察」より

戦争こそ、明確な言語化やイメージ化を経由せずに行動化される最たるものである。四年三ヶ月にわたって不毛な会戦を反復し、ヨーロッパに回復不能の打撃を与えた第一次大戦は、双方とも一ヶ月で終わると思って始まった。日中戦争は南京陥落で終結するはずだった。


 見通しだけではない。近代の開戦理由を枚挙してみても、それが必要充分な理由であったことはかつてないのではないか。「なぜ、それが戦争になるのか」という反問に耐えないものばかりであると私は思う。不確実で、より小さな不利益の可能性のために、確実でより大きな損害を招く行為である。これは多くの犯罪と軌を一にしている。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)


戦争への心理的準備は、国家が個人の生死を越えた存在であるという言説がどこからとなく 生まれるあたりから始まる。そして戦争の不可避性と自国の被害者性を強調するところへと 徐々に高まってゆく。実際は、後になってみれば不可避的どころか選択肢がいくつも見え、被害者性はせいぜいがお互い様なのである。しかし、そういう冷静な見方の多くは後知恵である。  


選択肢が他になく、一本道を不可避的に歩むしかないと信じるようになるのは民衆だけではない。指導者内部でも不可避論が主流を占めるようになってくる。一種の自家中毒、自己催眠である。(中井久夫「戦争と平和についての観察」2005年『樹をみつめて』所収)


民族国家とはフランス革命が発明したものである。まず民族という概念を発明して、国内では徴兵制による常備軍、税制による政府官僚制、司法制度による法の支配、国外には大使館、公使館、領事館をはりめぐらし、国際条約を承認し遵守し利用し、紛争解決の手段としての外交の延長としての戦争を行う。こういうものでないと国家として相手にしないぞという強制が二百年前に成立し、民族国家システムに加入するか、植民地として編入されるかという二者択一をイギリスをはじめとする西欧「列強」が迫ったのが、十九世紀の特徴である。 東地中海と東アジアの比較的周辺部にいた国家はまがりなりに民族国家を作ろうとした。ギリシャ、タイ、エチオピア、日本くらいだろうか。「鹿鳴館文化」などはいたいけな努力である。いっぽう、大清帝国、インド・ムガール帝国、オットマン・トルコなど、衰退する多民族帝国は非常に混乱した。民族国家の体裁を作っても、うまく機能しない。常備軍というものは単一民族の神話を必要とするのだろうか。結局、民族国家およびその植民地というシーツで世界はほぼ被われるのだが、「戦争の巣」となった部分は民族国家で被うのに成功しなかった部分であることがわかる。(中井久夫「1990年の世界を考える」1990年『精神科医がものを書くとき』所収)


行動化の効用


事後的な言語化の意味と効用について述べたが、皮肉なことに、行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にして全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。


行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)





◼️われわれのなかの潜在的拷問者」より

戦争は不可欠[Der Krieg unentbehrlich]


人類が戦争することを忘れてしまった時に、人類からなお多くのことを(あるいは、その時はじめて多くのことを)期待するなどということは、むなしい夢想であり、おめでたい話だ[eitel Schwärmerei und Schönseelentum]。あの野営をするときの荒々しいエネルギー、あの深い非個人的な憎悪、良心の苛責をともなわないあの殺人の冷血[jene Mörder-Kaltblütigkeit mit gutem Gewissen]、敵を絶滅しようというあの共通な組織的熱情、大きな損失や自分ならびに親しい人々の生死などを問題にしないあの誇らかな無関心、あの重苦しい地震のような魂の震憾などを、すべての大きな戦争があたえるほど強く確実に、だらけた民族にあたえられそうな方法は、さしあたり、ほかには見つからない。(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』上  477番、1878年)


われわれが「高次の文化」と呼ぶほとんどすべてのものは、残酷さの精神化の上に成り立っているーーこれが私のテーゼである。あの「野獣」が殺害されたということはまったくない。まだ、生きておりその盛りにある、それどころかひたすら――神聖なものになっている。(ニーチェ『善悪の彼岸』229番、1886年)


最も厳しい倫理が支配している、あの小さな、たえず危険にさらされている共同体が戦争状態にあるとき、人間にとってはいかなる享楽が最高のものであるか?  戦争状態ゆえに、力があふれ、復讐心が強く、敵意をもち、悪意があり、邪推深く、どんなおそろしいことも進んでし、欠乏と倫理によって鍛えられた人々にとって? 残酷の享楽[Der Genuss der Grausamkeit]である。残酷である点で工夫に富み、飽くことがないということは、この状態にあるそのような人々の徳にもまた数えられる。共同体は残酷な者の行為で元気を養って、絶え間のない不安と用心の陰鬱さを断然投げすてる。残酷は人類の最も古い祭りの一つである。〔・・・〕

「世界史」に先行している、あの広大な「風習の倫理」の時期に、現在われわれが同感することをほとんど不可能にする……この主要歴史においては、痛みは徳として、残酷は徳として、偽装は徳として、復讐は徳として、理性の否定は徳として、これと反対に、満足は危険として、知識欲は危険として、平和は危険として、同情は危険として、同情されることは侮辱として、仕事は侮辱として、狂気は神性として、変化は非倫理的で破滅をはらんだものとして、通用していた! ――諸君はお考えになるか、これらすべてのものは変わった、人類はその故にその性格を取りかえたに違いないと? おお、人間通の諸君よ、互いをもっとよくお知りなさい![Oh, ihr Menschenkenner, lernt euch besser kennen! ](ニーチェ『曙光』18番、1881年)


残酷ということがどの程度まで古代人類の大きな祝祭の歓びとなっているか、否、むしろ薬味として殆んどすべての彼らの歓びに混入させられているか、他方また、彼らの残酷に対する欲求がいかに天真爛漫に現れているか、「無関心な悪意」»uninteressierte Bosheit«(あるいは、スピノザの言葉で言えば、《悪意ある同情》die sympathia malevolens)すらもがいかに根本的に人間の正常な性質に属するものと見られーー、従って良心が心から然りと言う! ものと見られているか、そういったような事柄を一所懸命になって想像してみることは、飼い馴らされた家畜(換言すれば近代人、つまりわれわれ)のデリカシーに、というよりはむしろその偽善心に悖っているように私には思われる。より深く洞察すれば、恐らく今日もなお人間のこの最も古い、そして最も根本的な祝祭の歓びが見飽きるほど見られるであろう。〔・・・〕

死刑や拷問や、時によると《邪教徒焚刑》などを抜きにしては、最も大規模な王侯の婚儀や民族の祝祭は考えられず、また意地悪を仕かけたり酷い愚弄を浴びせかけたりすることがお構いなしにできる相手を抜きにしては、貴族の家事が考えられなかったのは、まだそう古い昔のことではない。(ニーチェ『道徳の系譜』第二篇第三節、1887年)


いかに多くの血と戦慄があらゆる「善事」の土台になっていることか![wieviel Blut und Grausen ist auf dem Grunde aller »guten Dinge«!... ](ニーチェ『道徳の系譜』第二篇第三節、1887年)


過去には公開処刑と拷問は、多くの観衆のもとで行われた。これは、ほとんどの我々のなかには潜在的な拷問者がいるということだ。 (ポール・バーハウPaul Verhaeghe, THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)