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2022年10月14日金曜日

音楽の形は祈りの形式に集約される

 

この数日、音楽をいくらか集中的に聴いたのだが、結局、バッハに戻ってくるんだよな

Barbara Schlick  Bach Cantata BWV 127

Emile Naoumoff BWV127 Die Seele ruht in Jesu Händen



「魂はイエスの手にて憩う(Die Seele ruht in Jesu Händen)」ーーイエスの手に憩うつもりはないけどさ、祈りの対象は必要だよ、人間には。


私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年)


で、祈りは歌なんだよ、ナウモフのピアノの「魂は憩う」きいてたって歌声がきこえてくるよ。


歌をうたうとかさ、そういうことが大事だってことをもう一度思い出さなきゃ。大事なのは、音楽が非常にパーソナルな、個人的なものだ、一人ひとりの人間に一人ひとりの音楽があるということだからさ。-武満徹う



ピアニストでも祈りの歌がきこえてくるかそうでないかの人がいるね、名手とかに関係なしに。


ユーリ・エゴロフのロ短調BWV869はホントにすごいな


Youri Egorov plays Bach Prelude and Fugue No.24 in B Minor, BWV 869


1975年の録音とあるから、エゴロフはまだ21歳なんだけどさ、こんなのアリかね