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 確かにイマージュとは幸福なものだ。だがそのかたわらには無が宿っている。そしてイマージュのあらゆる力は、その無に頼らなければ説明できない[oui, l'image est bonheur mais près d'elle le néant séjourne et toute la puissance de l'image ne peut s'exprimer qu'en lui faisant appelil ](ゴダール『(複数の)映画史』「4B」1998年)  | 
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 前回、上のゴダール文に絡めて付加的に次の二文を引用した。  | 
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 イマージュは対象aを隠蔽している[l'image se cachait le petit (a).](J.-A. Miller, LES PRISONS DE LA JOUISSANCE, 1994)  | 
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 対象aは無である[le petit (a) (…) est le rien](lacan, E817, 1960)  | 
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 この無としての対象aは去勢であり、享楽である。  | 
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 この無は去勢である[ce rien est le -φ](J.-A. Miller, La logique de la cure, 1993)  | 
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 私は常に、一義的な仕方で、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している[cet objet(a)...ce que j'ai pointé toujours, d'une façon univoque, par l'algorithme (-φ).] (Lacan, S11, 11 mars 1964)  | 
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 享楽は去勢である[la jouissance est la castration](Lacan parle à Bruxelles, 26 Février 1977)  | 
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 したがって「イマージュは享楽を隠蔽している」となる。より厳密に言えば、「イマージュは斜線を引かれた享楽を隠蔽している」である。  | 
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 われわれは去勢と呼ばれるものを、 « - J »(斜線を引かれた享楽)の文字にて、通常示す[qui s'appelle la castration : c'est ce que nous avons l'habitude d'étiqueter sous la lettre du « - J ».] (Lacan, S15, 10 Janvier 1968)  | 
こう示すと、語感的にはごくフツウになってしまう、イマージュが享楽に支えられてるなんてアタリマエだろ、と。
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 ところで享楽の去勢とは享楽の喪失のことである。  | 
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 享楽の喪失がある[il y a déperdition de jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)  | 
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 去勢は享楽の喪失である[ la castration… une perte de jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011)  | 
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 で、喪失の別名は穴(トラウマ)である。  | 
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 享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)  | 
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 現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)  | 
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 つまりゴダール曰くの《イマージュのあらゆる力は、無に頼らなければ説明できない》とは蚊居肢散人の脳内では、「イマージュのあらゆる力は、穴に頼らなければ説明できない」となる。こうすると語感的には、はるかにエロっぽくなる。無や喪失、去勢よりも、あるいは享楽よりもずっといい。 みなさんも映画のイマージュを見るときにはこの図を想起しつつ眺めてるとまた別の味わいがあるので是非試みてください。 ここでは『映画史』からひとつ貼り付けておきませう。 見出された穴です。そうか、穴が歩いてるんだな、という具合になります。 蚊居肢散人の好みのイマージュ、Alain Robbe-Grilletの L'Immortelleなんかいっそうそう見えます。  | 



