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2022年10月24日月曜日

米国の公式政策ネオコンの帰結


Wikipediaの「新保守主義 (アメリカ合衆国)」の項目の冒頭にはこうある。


アメリカ合衆国における新保守主義(英: Neoconservatism、ネオコンサバティズム, 略称:ネオコン)は、政治イデオロギーの1つで、自由主義や民主主義を重視してアメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想。1970年代以降に米国において民主党のリベラルタカ派から独自の発展をした。それまで民主党支持者や党員だったが、以降に共和党支持に転向して共和党のタカ派外交政策姿勢に非常に大きな影響を与えている。


アメリカ新保守主義の呼称

「Neoconservatism」の直訳として「新保守主義」が使用されている。この言葉は形容矛盾であるが、元祖ネオコン思想家の一人であるノーマン・ポドレツによれば、「ネオコンは元来左翼でリベラルな人々が保守に転向したからネオなのだ」として、伝統主義などを提唱する旧来の保守派である「PaleoConservatism(パレオコンサバティズム。旧保守主義、原始保守主義)」と区別している。


噂のWikipediaーーつまりその記述を過信しては決してならないので、ノーマン・ポドレツ曰くとされる「ネオコンは元来左翼でリベラルな人々が保守に転向したからネオなのだ」の原文を探してみたが、直接的には見当たらないとはいえ、次の論文にほぼ似たようなことが書いてある。


➡︎Norman Podhoretz, THE NEO-CONSERVATIVE ANGUISH OVER REAGAN'S FOREIGN POLICY May 2, 1982


というわけでネオコンってのは左翼起源なんだな。左翼崩れの保守主義者をネオコンと呼びうるのだ。



3か月ほど前、半信半疑の形で西部邁の「アメリカは左翼国家の見本」発言を引用したが、やっぱり彼はとても鋭いところをついてるんだな。


まず、「自由・平等・博愛」の理想主義を叫び、次にそれのもたらす「放縦・画一・偽善」に堪りかねて「秩序・格差・競合」の現実主義に頼ろうとし、それが「抑圧・差別・酷薄」をもたらすや、ふたたび元の理想主義に還らんとする、そういう循環を今もなお繰り返している代表国はどこかとなると、誰しも「アメリカ」と答えるにきまっています。 つまり、 アメリカは左翼国家の見本なのです。


それもそのはず、 「左翼主義」 (leftism) とは近代主義の純粋型にほかなりません。 歴史感覚の乏しい北米大陸で純粋近代主義の壮大な(もしくは狂気の沙汰めいた) 社会実験が行われつづけた、あるいはそれを行うしかない成り行きであった、とみるべきなのです。 今もアメリカは、他国に(あろうことか日本占領のGHQ方式、つまり「総司令部」のやり方を模型として)「ネーション・ビルディング」(国民あるいは国家の建設、 nation building)を押しつけようとしたり、自国の「再構築(リメーキング)」を企画したりしております。 アメリカは左翼国家であると断言できない者は、近代主義の本質が「歴史の設計」を可能とみる「理性への信仰」にあることをわきまえていないのです。 (西部邁『昔、言葉は思想であった -語源からみた現代-』2009年)



これは結局、自由主義と民主主義のあいだの相剋にも大いに関係ありだね。


現代の民主主義とは、自由主義と民主主義の結合、つまり自由ー民主主義である。それは相克する自由と平等の結合である。自由を指向すれば不平等になり、平等を指向すれば自由が損なわれる。(柄谷行人『哲学の起源』2012年)

自由主義と民主主義の対立とは、結局個人と国家あるいは共同体との対立にほかならない。そして、個と類という回路のなかでのこうした思考が取りうる形態は、個人主義か、全体主義か、個がそのまま全体であるといったモナドロジーか、ヘーゲル的な有機体論かのいずれかである。「原理的」に考える者は、必ずこの四つのうちのどれかを取ることになる。この意味で、思想が取りうる形式はコジェーヴがいったように、ヘーゲルの体系のなかに尽くされている。それゆえ、またヘーゲルにおいて歴史は終ったといわねばならなくなる。


だが、それは歴史を原理あるいは理念の実現として見るからである。そうした原理は、歴史的な資本主義経済の発展の中で、そとに生じ且つ変動する諸階級の闘争の結果として実現されたものであり、またつねにそとに属している。資本主義が「終り」を無限に endlessly先送りするものである以上、「歴史の終焉」などありはしない。マルクスがいったように、「共産主義」とは「現実の諸条件」がもたらす「現状を止揚する現実の運動」としてしか無いとするならば、さらに「共産主義」とは「個と類」という回路のなかに閉じこめられた思考に対する否定にあり、すなわち類(共同体)に属さないような個の単独性と社会性にあるとするならば、それもまた「終り(目的)」なき闘争としてしか無い。(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収)




自由主義やら民主主義やらの理念シニフィアンを曖昧に使ったらダメだよ。「ウクライナの民主主義のために!」とかね。ウクライナのネオファシズム、ネオナチを応援してるんじゃないかと僅かでも疑う知力がないとね



人々は自由・民主主義が勝利したといっている。しかし、自由主義や民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている (『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。


それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。


歴史的にいって、アテネの民主主義(デモクラシー)は貴族支配(アリストクラシー)に対立するものである。それは異質な且つ外国とつながる貴族の支配の否定である。また、それが奴隷を除外していることはいうまでもない。このデモクラシーが独裁者(僭主)を生み出すことがあるとしても、それは貴族支配とは別である。デモクラシーのみがそのような独裁者を可能にするのだから。ある意味で、プラトンのいう哲学者=王とは、そのような独裁者である。

(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収)



自由主義も同様。中身がスカスカなんだよ、巷間で理念用語として使っているこのシニフィアンは。



ああ、世には、ふいご以上のはたらきをしていない大思想が、なんと多いだろう。それらは、物を吹きふくらませ、その内部をいよいよからっぽにする。

Ach, es giebt so viel grosse Gedanken, die thun nicht mehr als ein Blasebalg: sie blasen auf und machen leerer. 


君は自分が自由だというのか? わたしが君にききたいのは、君を支配している思想であって、君がくびきから逃れたということではない。


君はくびきを脱することを許された者であるのか。世には、他者への服従の義務を投げ捨てたことによって、自分のもつ価値の最後の一片を投げ捨ててしまった者が少なくないのだ。


「何かから自由である」ということなど、ツァラトゥストラにはどうでもよいのだ。君の眼が私にはっきり告げるべきことは、「何のための自由か」ということなのだ。

Frei wovon? Was schiert das Zarathustra! Hell aber soll mir dein Auge künden: frei wozu?(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部「創造者への道」1883年)




……………


話を戻せば、ジェフリー・サックスのいうように、米国の公式政策ネオコンによって、ウクライナ戦争起こっちまったんだよなあ、特に代表的なネオコン工作員ヌーランドのような連中が暗躍して。



◼️ウクライナは最新のネオコン大災害(ジェフリー・サックス)

Ukraine is the latest neocon disaster

By Jeffrey Sachs June 28, 2022

ネオコン運動は、1970年代にシカゴ大学の政治学者レオ・ストロースとイェール大学の古典学者ドナルド・ケーガンの影響を受けた何人かの公的知識人のグループを中心に発生した。ネオコンの指導者には、ノーマン・ポドホルツ、アーヴィング・クリストル、ポール・ウォルフォウィッツ、ロバート・ケイガン(ドナルドの息子)、フレデリック・ケイガン(ドナルドの息子)、ビクトリア・ヌーランド(ロバートの妻)、エリオット・エイブラムス、キンバリー・アレン・ケイガン(フレデリックの妻)などがいる。


ネオコンの主要なメッセージは、米国は世界のあらゆる地域で軍事的に優位に立たなければならず、いつの日か米国の世界または地域の支配に挑戦する可能性のある地域の新興勢力、特にロシアと中国に立ち向かわなければならない、というものである。この目的のために、米国の軍事力は世界中の何百もの軍事基地にあらかじめ配置され、米国は必要に応じて選択の戦争を導く準備をしなければならない。国連は、米国の目的に役立つときだけ、米国が利用するものだ。


このアプローチは、ポール・ウォルフォウィッツが2002年に国防省のために書いた防衛政策ガイダンス(DPG)で初めて明言されたものである。この草案は、1990年にドイツのハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー外相が、ドイツの統一に続いてNATOの東方拡大を行わないことを明確に約束したにもかかわらず、米国主導の安全保障ネットワークを中・東欧に拡大することを求めたものである。

ウォルフォウィッツはまた、アメリカの選択戦争を主張し、アメリカが懸念する危機に対して、単独でも、独立して行動する権利を擁護した。ウェスリー・クラーク将軍によれば、ウォルフォウィッツはすでに1991年5月、イラク、シリア、その他の旧ソ連の同盟国でアメリカが政権交代作戦を主導することをクラークに明言していたという。

ネオコンは、2008年にジョージ・W・ブッシュ・ジュニアの下で米国の公式政策となる以前から、ウクライナへのNATO拡大を唱えていた[The neocons championed NATO enlargement to Ukraine even before that became official US policy under George W. Bush, Jr. in 2008.]。彼らは、ウクライナのNATO加盟が米国の地域的・世界的支配の鍵になると考えていたのである。ロバート・ケーガンは、2006年4月、ネオコンのNATO拡大のケースを詳述している。

「ロシア人と中国人は、[旧ソ連の「カラー革命」]には何の自然さもなく、世界の戦略的に重要な地域における西側の影響力を促進するために、西側が支援したクーデターに過ぎないと考えているのだ。彼らは間違っているのだろうか?西側民主主義諸国によって促され、支持されたウクライナの自由化の成功は、同国をNATOやEUに編入するための前哨戦、つまり西側の自由主義覇権の拡大に過ぎないのではないか?」

ケイガンは、NATOの拡大がもたらす悲惨な意味合いを認めている。彼はある専門家の言葉を引用して、"クレムリンは「ウクライナのための戦い」の準備を真剣にしている "と言っている。ソ連崩壊後、米ロ両国は慎重な緩衝材と安全弁として、中立的なウクライナを求めるべきだった。しかし、ネオコンはアメリカの「覇権」を求め、ロシアは防衛と部分的には自国の帝国主義的自負のために、この戦いに挑んだのである。この戦争は、オスマン帝国に対するロシアの圧力に対抗して、イギリスとフランスが黒海でロシアの弱体化を図ったクリミア戦争(1853-6年)のような色合いを帯びている。


ケーガンは、妻のビクトリア・ヌーランドがジョージ・W・ブッシュ・ジュニアの下でNATO大使を務めている間、私人としてこの記事を書いた。ヌーランドは、ネオコン工作員の代表格である[Nuland has been the neocon operative par excellence]。ブッシュ政権のNATO大使に加え、2013年から17年までバラク・オバマの欧州・ユーラシア担当国務次官補を務め、ウクライナの親ロシア大統領ヴィクトール・ヤヌコヴィッチの打倒に参加し、現在はバイデンの国務次官としてウクライナ戦争に対する米国の政策を指導している。

ネオコンの展望は、米国の軍事的、財政的、技術的、経済的優位性によって、世界のすべての地域で条件を決定することができるという、極めて誤った前提に基づいている。これは、驚くべき傲慢さと、驚くべきエビデンス侮蔑の両方の立場である。1950年代以降、米国は参加したほぼすべての地域紛争で足止めを食らうか敗北してきた。しかし、「ウクライナのための戦い」では、ネオコンはロシアの猛反対を押し切ってNATOを拡大し、ロシアとの軍事衝突を誘発する用意があった。なぜなら、彼らはロシアが米国の金融制裁とNATOの兵器によって敗北すると熱狂的に信じているからだ。

The neocon outlook is based on an overriding false premise: that the US military, financial, technological, and economic superiority enables it to dictate terms in all regions of the world. It is a position of both remarkable hubris and remarkable disdain of evidence. Since the 1950s, the US has been stymied or defeated in nearly every regional conflict in which it has participated. Yet in the “battle for Ukraine,” the neocons were ready to provoke a military confrontation with Russia by expanding NATO over Russia’s vehement objections because they fervently believe that Russia will be defeated by US financial sanctions and NATO weaponry.

キンバリー・アレン・ケイガンが率いるネオコン系シンクタンクの戦争研究所(ISW)は、ジェネラル・ダイナミクスやレイセオンといった防衛関連企業の有力者に支えられ、ウクライナの勝利を請け合い続けている。ロシアの前進について、ISWは典型的なコメントを発表している。セベロドネツク市をどちらが押さえようと、作戦・戦略レベルでのロシアの攻勢はおそらく頂点に達し、ウクライナは作戦レベルでの反撃を再開し、ロシア軍を押し返す機会を得るだろうと。

しかし、現実に起きていることは、そうではないことを暗示している。欧米の経済制裁は、ロシアにはほとんど悪影響を与えていないが、それ以外の国には大きなブーメラン効果を与えている。さらに、ウクライナに弾薬や武器を補給する米国の能力は、米国の生産能力の限界とサプライチェーンの途絶によって、深刻な打撃を受けている。もちろん、ロシアの工業能力はウクライナのそれを凌駕している。戦前のロシアのGDPはウクライナの約10倍だったが、ウクライナは戦争で工業力の多くを失ってしまった。

現在の戦闘で最も可能性が高いのは、ロシアがウクライナの大部分を征服し、おそらくウクライナを内陸に追いやる、もしくはそれに近い状態にすることであろう。ヨーロッパと米国では、軍事的損失と戦争と制裁によるスタグフレーションの影響により、不満が高まるだろう。米国で右翼のデマゴーグが台頭し(あるいはトランプの場合なら、彼は政権に復帰し)、危険なエスカレーションによって米国の色あせた軍事的栄光を回復すると約束すれば、その波及効果は壊滅的になりかねない。

このような惨事を招く危険を冒す代わりに、真の解決策は、過去30年間のネオコンの幻想を終わらせ、ウクライナとロシアが交渉のテーブルに戻り、NATOがウクライナとグルジアへの東方拡大へのコミットを終わらせ、ウクライナの主権と領土の一体性を尊重し保護する実行可能な平和と引き換えにすることである。




おい、国際政治学者たちよ、この程度のことはオベンキョウしとけよ、木瓜の花ばかり咲かしておらずにさ。で、オベンキョウしてから中国なる「右翼国家」言説に反論してみろよ



◼️解放軍報「アメリカの二重基準「ルール」は世界が乱れる源」(中国語原題:"美式"规则"成世界乱源|一,言行相悖虚成性") 鈞声署名論評 2022年7月4日

アメリカがかくも厚顔無恥で、平然と二重基準に訴えるのは、本を正せば、「アメリカだけは特別・例外」という覇権思想が脳みそに巣くっているためだ。その本質は自己優越論であり、アメリカは他の国々とは違い、「偉大であることが運命づけられ」、「世界を導かなければならない」ということにある。しかし、歴史が証明しているとおり、このイデオロギーは虚妄であるだけに留まらず、極めて有害でさえある。アメリカの著名な経済学者ジェフリー・ザックスは著書『新しい外交政策:アメリカの例外主義を超えて』の中で次のように指摘している。すなわち、各国の利益は密接に関わり合い、運命を共にしており、歴史上のいかなる時にも増して国際協力を強め、人類社会が直面するリスクと挑戦に共同で対処するべき時に、アメリカ政府は独り我が道を行き、勝手に国際ルールを破壊している。これは「アメリカ例外主義」の表れであり、自らを深刻に害し、世界にとっては非常に危険なことである。

事実が証明しているとおり、二重基準を奉じ、「アメリカは特別・例外」を行うアメリカは「ならず者国家」になるだけである。真のスタンダードに対しては、世人の胸の内には一定のはかりがある。アメリカには以下のことを勧告する。「二重基準」をやめ、国際的に公認されたルール及びスタンダードを遵守する正しい軌道に戻ることだ。さもなければ、国家のイメージを台無しにし、国際的信用が完全に失われるだけである。


◼️「ルールに基づく国際秩序」にルールと秩序の居場所はない

No place for rules and order in the 'rules-based international order'

Xin Ping 18-Oct-2022

米国が喧伝する「ルールに基づく国際秩序」は、暴力と弱肉強食を礼賛する秩序である。米国は自国の強さを語り続け、柔軟な筋肉に喜びを感じている。240年以上の歴史の中で、224年以上戦争をしており、残りの16年は戦争を仕掛けることに忙しかった。ほとんどすべてのホットスポット問題で、米国は軍事的圧力をかけ、戦争を煽り、外交交渉を妨害することに熱心である。イェール大学のデビッド・ブロムウィッチ教授は、「規範は、米国が或る瞬間に望むものから生まれる...」と率直に述べている。「私たちは最も軍国主義的な国である。自国を武装化するために使えるエネルギーをすべて使って、他国民が互いに殺し合うのを助けるために武器を売っている」。

The "rules-based international order" touted by the U.S. is an order that venerates violence and the law of the jungle. The U.S. keeps talking about its position of strength and enjoys flexing muscles. The country was at war in more than 224 years throughout its over 240 years of history, and in the remaining 16 years it was busy starting one. On almost all hot-spot issues, the U.S. is keen on exerting military pressure, war-mongering and sabotaging diplomatic negotiations. Yale University professor David Bromwich said bluntly that "the norms come from what the U.S. desires at a given moment... We are the most militarized of nations. With all the energy we can spare from arming ourselves, we sell weapons to help other people kill each other."




だいたい最近の若い政治学者はマルクスさえ読んでないんだからさ、絶望的になるよ。マルクスってのは何よりもまずシニフィアンの思想家だぜ。きみらが使う「自由主義」やら「民主主義」やら「ルールに基づく国際秩序」やらを嘲笑することを教えてくれる思想家なんだぜ。