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2022年10月23日日曜日

リトルネロ・断章の美学・暁の歌

 前回の補遺。

◼️リトルネロとシューマン

ブラックホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力。一つの楽音がきみたちにつきまとい、一つの音がきみたちの体を突き抜ける。とはいえ、一方はすでにもう一方の中にあったのだ。つまり、宇宙の力は素材の中にあったのだし、大いなるリトルネロはささやかなリトルネロの中に、大規模な操作は小規模な操作の中にあったのである。ただ、われわれは自分に十分な力があるのかどうか、確信がもてないのだ。 われわれはシステムをもたず、複数の線と運動をもつにすぎないからである。シューマン。

les trous noirs, les fermetures, les paralysies du doigt et les hallucinations de l'ouïe, la folie de Schumann, la force cosmique devenue mauvaise, une note qui vous poursuit, un son qui vous transperce. Et pourtant l'une était déjà dans l'autre, la force cosmique était dans le matériau, la grande ritournelle dans les petites ritournelles, la grande manœuvre dans la petite manœuvre. Seulement on n'est jamais sûr d'être assez fort, puisqu'on n'a pas de système, on n'a que des lignes et des mouvements. Schumann.

(ドゥルーズ&ガタリ『千プラトー』「リトルネロについて」1980年)




◼️断章の美学とシューマン

断章は(俳句と同様に)頓理である。それは無媒介的な享楽を内含する。言説の幻想、欲望の裂け目である[Le fragment (comme le haïku) est torin, il implique une jouissance immédiate : c'est un fantasme de discours, un bâillement de désir.]。

思考フレーズ[pensée-phrase]という形をとって、断章の胚種は、場所を選ばず、あなたの念頭に現れる。それはキャフェでかもしれず、列車の中かもしれず、友人としゃべっているときかもしれない(それは、その友人が話していることがらの側面から突然出現するのだ)。そういうときには、手帳を取り出す。が、その場合書きとめようとしているものは、ある一個の「思考」ではなく、何やら刻印のようなもの、昔だったら一行の「詩句」と呼んだであろうようなものである[non pour noter une « pensée », mais quelque chose comme une frappe, ce qu'on eut appelé autrefois un « vers ».]

何だって? それでは、いくつもの断章を順に配列するときも、そこには組織化がまったくありえないとでも? いや、そうではない、断章とは、音楽でいう連環形式のような考えかたによるものなのだ(『やさしき歌』、『詩人の恋』)[le fragment est comme l’idée musicale d’un cycle (Bonne Chanson, Dichterliebe)]。個々の小品は、それだけで充足したものでありながら、しかも、隣接する小品群を連結するものでしかない。作品はテクストの外[hors-texte]にしか成立しない。


断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはだぶんシューマンである。彼は断片を「間奏曲」と呼んでいた[L’homme qui a le mieux compris et pratiqué l’esthétique du fragment (avant Webern), c’est peut-être Schumann ; il appelait le fragment « intermezzo »]


彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、挿入されたもの[intercalé]であった。しかし、何と何の間に挿入されていたと言えばいいのか。頻繁にくりかえされる中断の系列以外の何ものでもないもの、それはいったい何を意味しているのか。


断章にもその理想がある。それは高度の濃縮性だ。ただし、(“マクシム〔箴言、格言〕”の場合のように)思想や、知恵や、真理のではなく、音楽の濃縮性である。すなわち、「展開」に対して、「主調」が、つまり、分節され歌われる何か、一種の語法が、対立していることになるだろう。そこでは《音色》が支配するはずである。ウェーベルンの《小品》群。終止形はない。至上の権威をもって彼は《突然切り上げる》のだ! [Le fragment a son idéal : une haute condensation, non de pensée, ou de sagesse, ou de vérité (comme dans la Maxime), mais de musique : au « développement », s’opposerait le « ton », quelque chose d’articulé et chanté, une diction : là devrait régner le timbre. Pièces brèves de Webern : pas de cadence : quelle souveraineté il met à tourner court!](『彼自身によるロラン・バルト』1975年)



◼️ ウェーベルン、ーーひとつの幸福をたった一回きりの息吹で

ウェーベルンの作品九)これらの小曲の短かさが、すでに彼らの弁疏として充分に説得的なのだが、反面、この短さがかかる弁護を必要としてもいる。 かくも簡潔に自己表現するためには、どれほどの抑制が必要かを考えてみたまえ。


ひとつひとつの眼差しが一篇の詩として、ひとつひとつの溜息が一篇の小説〔ロマン〕としてくりひろげられるにたりるのである。一篇の小説をただひとつの身振りによって、ひとつの幸福をただ一回の息吹きによって表わす[Jeder Blick läßt sich zu einem Gedicht, jeder Seufzer zu einem Roman ausdehnen. Aber: einen Roman durch eine einzige Geste, ein Glück durch ein einziges Aufatmen auszudrücken:]


かかる凝集は、それにふさわしい自己耽溺[Wehleidigkeit]をたちきったところにしか、見出されない。 これらの小曲は、音によっては、ただ音[Töne]を通じてのみ言い表わしうるものだけが表現できるのだという信念を保持しているひとだけが理解できるのである……(シェーンベルク「ウェーベルン作品九のスコア序文」Arnold Schoenberg, Vorwort zu Sechs Bagatellen op.  9, 1924)




◼️音、沈黙と測りあえるほどに

私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)




◼️瞬間の体系

プルーストが選んだ形式、それはまさに『失われた時』の形式です。小説でしょうか。エッセーでしょうか。どちらでもありません。あるいは、同時に両方でもあります。私が第三の形式と呼ぶものです。la forme qu’il a choisie : c’est celle-là même de la Recherche. Roman ? Essai ? Aucun des deux ou les deux à la fois : ce que j’appellerai une tierce forme.〔・・・〕


睡眠から発した作品(第三の形式)は「時間」の(時間の論理[クロノジー])の解体という挑発的な原理に基づいています。ところで、それは非常に現代的な原理です。 バシュラールは《出来の悪い持続の偽りの恒常性を魂から取り除く》ことを目指すこの力をリズムと呼んでいます。この定義は『失われた時』にとてもよく当てはまります。この作品の努力は、贅沢なものですが、伝記の偽りの恒常性から思い出された時間を救い出すことに捧げられているからです。 ニーチェは、もっと簡潔に、《世界を細分して、全体を大事にすることをやめなければならない》といっています。ジョン・ケージは、音楽作品の未来を予言して、《いずれにせよ、全体は解体することになろう》と述べています。こうした揺れ動きは浮かぶがままの無秩序な連想というわけではありません。 プルーストはいささか残念そうに述べています。《私が気ままで偶然的な連想に身を委ねて私の生涯の歴史を書いていると読者は考えるにちがいありません。》ところが、それは、バシュラールの言葉をもう一度取り上げるならば、リズムなのです。 もっと複雑にいえば、《瞬間の体系》(これもバシュラールの言葉ですが)が連なって、しかも、照応し合うのです。


Issue du sommeil, l'œuvre (la tierce forme) repose sur un principe provocant: la désorganisation du Temps (de la chronologie). Or, c'est là un principe très moderne. Bachelard appelle rythme cette force qui vise à « débarrasser l'âme des fausses permanences des durées mal faites », et cette définition s'applique très bien à La Recherche, dont tout l'effort, somptueux, est de soustraire le temps remémoré à la fausse permanence de la biographie. Nietzsche, plus lapidairement, dit qu'« il faut émietter l'univers, perdre le respect du tout », et John Cage, prophétisant l'œuvre musicale, annonce : « De toute manière, le tout fera une désorganisation. » Cette vacillation n'est pas une anarchie aléatoire d'associations d'idées: «Je vois, dit Proust avec une certaine amertume, les lecteurs s'imaginer que j'écris, en me fiant à d'arbitraires et fortuites associations d'idées, l'histoire de ma vie.» En fait, si l'on reprend le mot de Bachelard, il s'agit d'un rythme, et fort complexe: des « systèmes d'instants» (encore Bachelard) se succèdent, mais aussi, se répondent. 

(ロラン・バルト《長い時にわたって、私は早くから寝たものだ》1978年)




◼️母の写真と暁の歌

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『暁の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…

Pour une fois, la photographie me donnait un sentiment aussi sûr que le souvenir, tel que l’éprouva Proust, lorsque se baissant un jour pour se déchausser il aperçut brusquement dans sa mémoire le visage de sa grand-mère véritable, « dont pour la première fois je retrouvais dans un souvenir involontaire et complet la réalité vivante ». L'obscur photographe de Chennevières-sur-Marne avait été le médiateur d'une vérité, à l'égal de Nadar donnant de sa mère (ou de sa femme, on ne sait) l'une des plus belles photos au monde g il avait produit une photo surérogatoire, qui tenait plus que ce que l'être technique de la photographie peut raisonnablement promettre. Ou encore (car je cherche à dire cette vérité), cette Photographie du Jardin d'Hiver était pour moi comme la dernière musique qu'écrivit Schumann avant de sombrer, ce premier Chant de l'Aube, qui s'accorde à la fois à l'être de ma mère et au chagrin quej'ai de sa mort ;je ne pourrais dire cet accord que par une suite infinie d'adjectifs…

(ロラン・バルト『明るい部屋』第28章、1980年)