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2022年11月3日木曜日

愛国者は嘴の黄色い未熟者

 半年ほど前、柄谷の引用で、《サイードが『オリエンタリズム』においてアウエルバッハから孫引きした、一二世紀ドイツのスコラ哲学者聖ヴィクトル・フーゴーの『ディダシカリオン』の一節》を掲げた。


故郷を甘美に思うものはまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。

The person who finds his homeland sweet is a tender beginner; he to whom every soil is as his native one is already strong; but he is perfect to whom the entire world is as a foreign place.

(サン=ヴィクトルのフーゴー『ディダスカリコン(学習論)』第3巻第19章)



この文の前後に偶然行き当たったのでーーワケありで柄にも似合わずサン=ヴィクトルのフーゴーの言葉をいくつか拾っているなかでーー、以下に掲げる。訳し方が異なるが、上の故郷を甘美に思う者、つまり愛国者は「嘴の黄色い未熟者」ってのは名訳なんだな。



最後に異国の地が提起される。それもまた人間を修練するものである。全世界は哲学する者たちにとって流謫の地である。というのは、他方である人が言うように、「いかなる甘美さで生まれ故郷がなべての人を引きつけるのか、そして自らを忘れ去ることを許さないのかを私は知らない」。修練を積み重ねた精神が少しずつ、これら可視的なものや過ぎ去るものをまず取り換えることを学ぶこと、次いでそれらを捨て去ることができるようになることは徳性の大いなる始源である。
祖国が甘美であると思う人はいまだ繊弱な人にすぎない。けれども、すべての地が祖国であると思う人はすでに力強い人である。がしかし、全世界が流謫の地であると思う人は完全な人である。第一の人は世界に愛を固定したのであり、第二の人は世界に愛を分散させたのであり、第三の人は世界への愛を消し去ったのである。

私はといえば、幼少の頃より流謫の生を過ごしてきた。そして、どれほどの悲痛をともなって、精神がときとしてみすぼらしい陋屋の狭苦しい投錨地を後にするものか、どれほどの自由をともなって、精神が後ほど大理石の炉辺や装飾を施した天井を蔑むものかを私は知っている。

(『中世思想原点集成9・サン・ヴィクトル学派』より、サン=ヴィクトルのフーゴーの項、荒井洋一訳)


原文

CAPUT XIX
De exsilio.
Postremo terra aliena posita est, quae et ipsa quoque hominem exercet.omnis mundus philosophantibus exsilium est, quia tamen, ut ait quidam:Nescio quanatale solum dulcedine cunctos Ducit, et immemores non sinit esse sui.magnum virtutis principium est, ut discat paulatim exercitatus animusvisibiliahaec et transitoria primum commutare, ut postmodum possit etiamderelinquere. [778B] delicatus ille est adhuc cui patria dulcis estfortis autem iam,cui omne solum patria est perfectus vero, cui mundus totus exsilium est. ille mundo amorem fixit, iste sparsit, hic exstinxit. ego a pueroexsulavi, etscio quo maerore animus artum aliquando pauperis tugurii fundum deserat,qua libertate postea marmoreos lares et tecta laqueata despiciat.




世界は嘴の黄色い未熟者ばかりだから、戦争が起こるんだよ



結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀わたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである[Ultimately it is this fraternity that makes it possible, over the past two centuries, for so many millions of people, not so much to kill, as willingly to die for such limited imaginings. ]

(ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体(Imagined Communities)』1983年)


ナショナリズムは戦争だ![Le nationalisme, c'est la guerre !](フランソワ・ミッテラン演説 François Mitterrand, 17 janvier 1995



しかしどうしてこういった「一般教養」がないヤツばかりになっちまったんだろ、もはや政治学者だってネトウヨみたいなヤツらばかりだぜ、日本ってのは。