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2022年11月4日金曜日

観想的生[Βίος θεωρητικός]と実践的生[Βίος πρακτικός]

 

一九六四年にグールドがきっぱり背を向けてしまったのは、中世において実践生活[ヴィタ・アクティヴァvita activa]と呼ばれたものにあたる。彼はもう一方の極にある観想生活[ヴィタ・コンテンポラティヴァvita contemplativa]にピアノと一緒にひきこもり、そこから出ることはなかった。 「実践生活は仕事に明け暮れる日々であり、観想生活は静かな日々である。実践生活は公衆のなかで送られ、観想生活は人のいないところで送られる。 実践生活は隣人を必要とし、観想生活は神を見つめることに捧げられる。」これが十二世紀初頭、サン=ヴィクトルのフーゴーによって描き出された対比の規範的構図である。改革への熱い想いにつきうごかされ、また純粋なシンメトリーの魅惑にとらわれた揺るぎない主張だった。


スタジオでのグールドは、僧院がつくりあげた修道者なる理念とふたたび手を結んだ。すなわち世俗的欲望を棄てた生活に入り、自己完成への道を清貧、純潔、服従の精神をもってあゆむのだ。彼にとって、音楽へのかかわりは、神秘思想家たちにとっての神へのかかわりと同一であった。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』第2変奏)


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ここではシュネデールの叙述によるグールドが実際にそうであったのか否かを当面問わないままで、観想的生活[vita contemplativa]と実践的生活[vita activa]の対比をまず見る。


後者は、ハンナ・アーレントの主著『ヴィタ・アクティヴァもしくは活動的生について(Vita activa oder Vom tätigen Leben)」では「活動的生」とも訳される。だが、アーレントについてもここでは触れない。



さて、おそらく山本芳久氏の『トマス・アクィナス 理性と神秘 』(岩波新書)の試し読みのPDFだと思うが、次の記述がある。


「観想的生活」と「活動的生活」という区別は、キリスト教ではなく、古代ギリシアのアリストテレス(前三八四ー三二二年)に由来する。「観想的生活」と訳されるのは、ギリシア語ビオス テオーレーティコスΒίος θεωρητικός 、「活動的生活」と訳されるのはビオス プラクティコスΒίος πρακτικόςである。「観想(θεωρία)」とは、何らかの実践的な目的のためにではなく、純粋に世界を眺め、事柄の真相をありのままに認識しようとする知的営みを意味する。


観想(θεωρία)、つまりアリストテレスのテオーリア、これが「観想的生活」用語の起源である。

「ヤスパースにおける「唯一無比の実践」としての哲学的思索―「内的行為」と「生の実践」」(中山剛史 2015 年 PDF)にはこうもある。


たとえば,ポリスの共同体における正しい共同生活の重要性を説いたアリストテレスは,にもかかわらず「実践的生活(bios praktikos)」よりも真理を純粋に観想する「観想的生活(bios theoretikos)」のほうが最も多く神の永遠性に与することのできる幸福な生であることを強調している(アリストテレス『形而上学』1072b20―1073a1.(アリストテレス『形而上学』(下)出隆訳,岩波文庫,1961年,153―154頁)。現代では,ヤスパースの門下生であり,今日も注目を浴び続けている政治哲学者ハンナ・アーレントが『人間の条件』(1958)の中で, 「労働(labor)」と「仕事(work) 」と「活動(action)」という3つの「活動的生(Vita activa)」に着目して,とりわけ「言論(speech) 」と「行為(act)」に基づく「活動」の重要性を浮き彫りにしている(Hannah Arendt, The Human Condition, The University of Chicago Press, 1958.)。






冒頭にシュネデール引用の12世紀の聖人サン=ヴィクトルのフーゴーの言葉《実践生活は仕事に明け暮れる日々であり、観想生活は静かな日々である。実践生活は公衆のなかで送られ、観想生活は人のいないところで送られる。 実践生活は隣人を必要とし、観想生活は神を見つめることに捧げられる》を示したが、フーゴーはこうも言ってるようだ[PDF]。


精神的な眼と世界的な観照は、習慣と美徳を備えている:習慣はまさに精神の純粋さであり、美徳は観照の安定性であり、そのために神の観照が可能となり、真の意味で理解し、忍耐強く保持できる ut mentis oculis castis et mundis contemplationis habeant habitudinem et virtutem : habitudinem videlicet per mentis puritatem, virtutem autem per contemplationis stabilitatem, ut possint contemplari divina, quæ et veraciter apprehendunt et retinent perseveranter




他方、6世紀末の聖グレゴリウスはこう言ってる[PDF]。


実践的生とは、飢えている人にパンを与え、知恵のない人に知恵の言葉を教え、道を踏み外した人を正し、高慢な隣人を謙遜の道に呼び戻し、病人をいたわり、すべての人に必要なものを与え、私たちに託された人を養育することです。一方、観想的生とは、神と隣人に対する慈愛を全身全霊で保ちつつ、外的な行動を慎み、創造主の唯一の望みに身を捧げ、もはやいかなる行動も起こそうとしないことである。あらゆる心配事を軽蔑し、精神(アニムス)は創造主の顔を見たいという望みに燃える。

La vie active consiste à donner du pain à l'affamé, à enseigner les paroles de sagesse à celui qui les ignore, à corriger celui qui s'égare, à rappeler dans la voie de l'humilité le prochain qui s'enorgueillit, à prendre soin des malades, à donner à chacun ce dont il a besoin, à pourvoir à la subsistance de ceux qui nous sont confiés. La vie contemplative, d'autre part, est de conserver, de tout son esprit, la charité envers Dieu et le prochain, mais de s'abstenir (quiescere) de l'action extérieure, de s'adonner au seul désir du Créateur, de façon qu on n ait plus le goût d exeicer aucune action : ayant méprisé tous les soucis, l'esprit (animus) brûle du désir de voir la face de son Créateur




この聖グレゴリウスの定義だと実践的生は何も悪いことはない、むしろ観想的生の連中こそ神への愛にのみ己を捧げたワガママヤロウという観点が出てきてもおかしくない。



ただ一人の者への愛は一種の野蛮である。それはすべての他の者を犠牲にして行なわれるからである。神への愛もまた然りである[Die Liebe zu Einem ist eine Barbarei: denn sie wird auf Unkosten aller Übrigen ausgeübt. Auch die Liebe zu Gott.](ニーチェ『善悪の彼岸』第67番、1986年)




問題は近代以降ではないか。ニーチェは観想的生[vita contemplativa]を顕揚しつつ、こう言っている。



嘆き。現代という時代の利便性からか、観想的生は後退し、時に過小評価されることがある。現代は偉大なモラリストに乏しく、パスカル、エピクテトス、セネカ、プルタークがほとんど読まれていないこと、労働と勤勉がーーかつては偉大な健康の女神の支持者であったそれがーー時には病気のように見えることを認めなければならない。考えるための時間と考えるための静けさが不足しているため、人はもはや反対意見を考慮せず、憎むことで満足する。生活の加速度的な変化に伴い、心も目も中途半端な見方や判断に慣れてしまい、誰もが鉄道車両から土地や人々を知る旅人のようになっている。


Klagelied. - Es sind vielleicht die Vorzuege unserer Zeiten, welche ein Zuruecktreten und eine gelegentliche Unterschaetzung der vita contemplativa mit sich bringen. Aber eingestehen muss man es sich, dass unsere Zeit arm ist an grossen Moralisten, dass Pascal, Epictet, Seneca, Plutarch wenig noch gelesen werden, dass Arbeit und Fleiss -sonst im Gefolge der grossen Goettin Gesundheit - mitunter wie eine Krankheit zu Wuethen scheinen. Weil Zeit zum Denken und Ruhe im Denken fehlt, so erwaegt man abweichende Ansichten nicht mehr: man begnuegt sich, sie zu hassen. Bei der ungeheuren Beschleunigung des Lebens wird Geist und Auge an ein halbes oder falsches Sehen und Urtheilen gewoehnt, und jedermann gleicht den Reisenden, welche Land und Volk von der Eisenbahn aus kennen lernen. 


独立した慎重な知的態度は、ほとんど一種の狂気として見下され、自由な精神は、特に学者たちから信用を失い、彼の物事を見る技術、理性、蟻の勤勉さを見逃して、彼を科学の一角に閉じ込めようとする。一方、彼は孤独な場所から科学者や学者の全軍を指揮し、文化の道と目的を示すという全く異なる、より高い任務を担っている。今、歌われているような嘆きは、いつの日かその時を迎え、瞑想の天才が強力に再登場すると、自らの意志で沈黙することになるだろう。

Selbstaendige und vorsichtige Haltung der Erkenntniss schaetzt man beinahe als eine Art Verruecktheit ab, der Freigeist ist in Verruf gebracht, namentlich durch Gelehrte, welche an seiner Kunst, die Dinge zu betrachten, ihre Gruendlichkeit und ihren Ameisenfleiss vermissen und ihn gern in einen einzelnen Winkel der Wissenschaft bannen moechten: waehrend er die ganz andere und hoehere Aufgabe hat, von einem einsam gelegenen Standorte aus den ganzen Heerbann der wissenschaftlichen und gelehrten Menschen zu befehligen und ihnen die Wege und Ziele der Cultur zu zeigen. - Eine solche Klage, wie die eben abgesungene, wird wahrscheinlich ihre Zeit haben und von selber einmal, bei einer gewaltigen Rueckkehr des Genius' der Meditation, verstummen.

(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』第282番、1878年)


やがて私たちは、自己侮辱と罪の意識なしには、観想的生(つまり、思索や友と歩むこと)へ至りえない地点に到達するのかもしれない。ーーかつては逆で、仕事には良心の呵責があった。良い生まれの者は、仕事の必要に迫られると、それを隠した。奴隷は、自分が何か軽蔑されるようなことをしているという圧迫のもとで働いていた。「すること」それ自体が、軽蔑に値することだった。

Ja, es könnte bald so weit kommen, dass man einem Hange zur vita contemplativa (das heisst zum Spazierengehen mit Gedanken und Freunden) nicht ohne Selbstverachtung und schlechtes Gewissen nachgäbe. — Nun! Ehedem war es umgekehrt: die Arbeit hatte das schlechte Gewissen auf sich. Ein Mensch von guter Abkunft verbarg seine Arbeit, wenn die Noth ihn zum Arbeiten zwang. Der Sclave arbeitete unter dem Druck des Gefühls, dass er etwas Verächtliches thue: — das „Thun“ selber war etwas Verächtliches. 

(ニーチェ『悦ばしき知』第329番、1882年)



結局、観想的生と実践的生(活動的生)の問いは、何よりもまずパララクスの問題に還元される。観想的生が強調される環境や時代においては、実践的生の効用を言わねばならず、実践的生ばかりが強調される環境や時代においては、上のニーチェのように言わねばならない。



以前に私は一般的人間理解を単に私の悟性[Verstand]の立場から考察した。今私は自分を自分のでない外的な理性[äußeren Vernunft]の位置において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点[Gesichtspunkte anderer] から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差[starke Parallaxen] (パララックス)を生じはするが、それは光学的欺瞞[ optischen Betrug]を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある。(カント『視霊者の夢(Träume eines Geistersehers)』1766年)


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冒頭に掲げたシュネデール解釈におけるグールドのコンサート批判(参照)では、音楽の分野においてあまりにも観想的生が忘れられているという観点のものである。


ピィロン、プロティヌス、聖アウグスティヌス以来、何世紀ものあいだ繰り返し示されてきた内的生活の概要はサン=ヴィクトルのフーゴーの手で体系化された。道は「熟察」を起点として出発する。これは相矛盾する探求、 すなわち世界と自己と神にそそがれる眼差しである。次に「観想」がくる。 これは確固とした真理の概念であり、そこには痛みがない。観想は「同意(コンセンサス)」によってなされる。グールドの演奏においては、たえずある種の肯定の表明がなされ、しだいに力を強めてゆく。 同意の対象の姿が見えないならばそれにつれて同意は緊迫したものとなり、同意が幸不幸の感情から発するものであればあるほど同意は強まる。グールドは嫌う(モーツァルト、ロマン派、ヴィルトゥオーゾのピアノ曲) 自由を手に入れ、その結果、愛着(ギボンズ、シュトラウス、フーガ形式)には軽やかな強度が加わった。最後に「脱我(エクスタシス)」がやってくる。魂は肉体から離れ、そのとき心眼があらわれる。魂は運び去られrapitur、 やがて神の喜悦が訪れるのだ。

「観想(コンテンプラチオ)」の最初の段階は「瞑想(メデイタチオ)」である。三分法的表現を好むフーゴーは、これを定義して「あらゆるものごとについて様態と原因と理由を探る不断の考察、しかるに様態とはそれがあるところのもの、原因はなぜそれがあるか、理由はいかにそれがあるかをいう」としている。


三種類の瞑想がある。被造物についての瞑想、書物についての瞑想、生活習慣についての瞑想である。最初の瞑想は賛嘆の念から、第二の瞑想は読書から、 第三の瞑想は慎重さから生まれる。おそらくグールドにとって、「被造物についての瞑想」と「生活習慣についての瞑想」は痛みをともなうものであっただろう。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド ピアノソロ』第2変奏、1988年)




観想的生、つまりテオリアの原点は、シンプルに言えば「祈り」であるだろう。



私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年)


そして現在、芸術家は職業つまり実践的生になってしまった。


「社会的な存在形態としては、映画監督は映画を撮る職業だから映画を撮っているにすぎない。そしてそのことによって、すべての職業が屈辱である」と、大島渚氏は著書に書いていますが、作曲家である私もその苦い意識から遁れようはないのです。

作曲家という表現行為が否応なく職業化して制度に組み込まれていく。〔・・・〕


音楽を創る者と、聴かされる大衆という図式は考えなおされなければならないでしょう。しかもそれはきわめて積極的にされなければならない。これまで、疑うことなく在りつづけたこの図式は、別の新たな関係の前に破壊されるでしょう。そうでなければ文化はすべて制度に組み込まれて因習化し、頽廃へ向かうしかない。(武満徹-川田順造往復書簡『音・ことば・人間』1980年)