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2022年11月9日水曜日

善人であり続けたい方は読むべからず

 この論文はとってもタメになるね、結論部分にはこうある。


ウォール街、 ナチス、そしてディープ・ステートの犯罪 2022年7月29日

Wall Street, the Nazis, and the Crimes of the Deep State

David A. Hughes July 29, 2022

結論


現代の自由民主主義諸国におけるナチスの不吉な要素の再出現は、第三帝国の最悪の要素が1945年に敗北したのではなく、むしろ、最終的な復活に備えて密かに潜伏していたことを示す説得力のある証拠である。その中心はCIAである。CIAは、このような事態を想定してウォール街によって設立された。 

Conclusion

The sinister reemergence of Nazi elements in contemporary liberal democracies offers compelling evidence that the worst elements of the Third Reich were not defeated in 1945, but were, rather, secretly incubated in preparation for their eventual return. The lynchpin for this has been the CIA, set up by Wall Street with such an eventuality in mind. 〔・・・〕


ほぼすべての学者を含むほとんどの市民が「深層国家(ディープステイト)」とその活動の全容に気づかないままであるが、現代の社会の現実は、基本的に「深層国家」の活動によって決定されているのだ。

While most citizens, including nearly all academics, remain oblivious of the “deep state” and the full extent of its operations, contemporary social reality is fundamentally determined by “deep state” operations. ……


………………



次のものは本日ツイッターで出回っている全体を通した訳(いくらか割愛している部分もあるようだが)➡︎Alzhacker「ウォール街、 ナチス、そしてディープ・ステートの犯罪」(2022年7月29日)



内容は、私がしばしば引用してきた小林秀雄=ヒトラーの拡大版と言ってもよいが、ナチスシステムが、とくにこの2年間、世界であまりにも露骨に顕在化したというものだ。


ヒットラーの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた。と言うより寧ろ、その確信を決して隠そうとはしなかったところに現れたと言った方がよかろう。〔・・・〕


大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。うそだったということよりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。

大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」1960年ーー「大ボラであればあるほど巧く釣れる大衆」)



つまり羊脳系の「善人」の方々が陰謀論と言ってきたことの内実が具体的に書かれている。


このまま善人であり続けたい方は読むべからず。


私は善人は嫌ひだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである。(坂口安吾『蟹の泡』1946年)

善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。(坂口安吾『続堕落論』1946年)

最近、人間として最も劣悪な種族は鈍感な種族ではないかと思うようになった。この種族は、(いわゆる)善人にすこぶる多い。それも当然で、善人とはその社会における価値観に疑問を感じない人々なのだから。(中島義道『人生に生きる価値はない』)



……………



※追記


原文がネットに落ちていたから貼り付けておくか。今も続く核心はここだよ、


◼️大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい(ヒトラー)

国民大衆の心は本質的に、意識して、故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落させられるものであり、したがって、彼らの心情の単純な愚鈍さからして、小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲となりやすい[mithin bei der primitiven Einfalt ihres Gemütes einer großen Lüge leichter zum Opfer fällt als einer kleinen]。というのは、彼ら自身、もちろんしばしば小さな嘘をつくのだが、しかし大きな嘘をつくのはなにしろあまりにも気恥ずかしく感じてしまうからである。そのような大きな嘘は彼らの頭にはとても入り込めないし、したがって不名誉極まる歪曲をするような、まったく途方もない厚かましさは他人の場合でも可能だなどと信じえないだろう。それどころか、このことについて説明を受けてさえも、なお長く疑い続け、動揺するだろうし、そして少なくとも、なにかひとつくらいの理由はやはり真実だと受け取るだろう。したがって、実際極めてずうずうしい嘘からは、常になおなにかあるものが残り、続いていくだろう。以上は、この世のあらゆる大嘘つきや、大嘘つき団体が底の底まで知っており、したがって卑劣にも利用している事実なのである。

…da die breite Masse eines Volkes im tiefsten Grunde ihres Herzens leichter verdorben als bewußt und absichtlich schlecht sein wird, mithin bei der primitiven Einfalt ihres Gemütes einer großen Lüge leichter zum Opfer fällt als einer kleinen, da sie selber ja wohl manchmal im kleinen lügt, jedoch vor zu großen Lügen sich doch zu sehr schämen würde. Eine solche Unwahrheit wird ihr gar nicht in den Kopf kommen, und sie wird an die Möglichkeit einer so ungeheuren Frechheit der infamsten Verdrehung auch bei anderen nicht glauben können, ja selbst bei Aufklärung darüber noch lange zweifeln und schwanken und wenigstens irgendeine Ursache doch noch als wahr annehmen; daher denn auch von der frechsten Lügenvereine dieser Welt nur zu genau kennen und deshalb auch niederträchtig zur Anwendung bringen. (ヒトラー『我が闘争(Mein Kampf)』第10章、1925年)



いかにもフロイト的文だが[参照]、ここではむしろ、ニーチェとプルーストを引用して補足しておこう。

最もよく見られる嘘は、自分自身を欺く嘘であり、他人を欺くのは比較的に例外の場合である。Die gewöhnlichste Lüge ist die, mit der man sich selbst belügt; das Belügen andrer ist relativ der Ausnahmefall. (ニーチェ『反キリスト』第55番、1888年)

人がうそをついていることに気づかなくなるのは、他人にうそばかりついているからだけでなく、また自分自身にもうそをついているからである。ce n'est pas qu'à force de mentir aux autres, mais aussi de se mentir à soi-même, qu'on cesse de s'apercevoir qu'on ment, (プルースト「ソドムとゴモラ」1922年)