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2022年12月30日金曜日

抑圧は誤訳


何度か示してきたがーー最近は言ってないので再度強調しておくがーー「抑圧」という邦訳、"repression"という英訳は誤訳なんだよ。Verdrängung には「抑えたり圧っしたり」の意味はない。


日本では従来 Verdrängung は「抑圧」と訳されるが、ドイツ語の語感からは「抑圧」ではなしに「追放」とか「放逐」が正しく、「抑圧」はむしろUnterdrückung(かりに上では「抑制」と訳したところの)に当る訳語である。(フロイト『夢判断』下 高橋義孝訳註 新潮文庫 P. 379)

中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。(中野幹三「分裂病の心理問題―――安永理論とフロイト理論の接点を求めて」)。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(「共同討議」トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰、批評空間2001Ⅲー1)



この中井久夫が言っているサリヴァンの解離[dissociation]自体、フロイトは何度か「抑圧」と等置している。最も典型的にそれが現れているのは、1911年のシドニーでの会議での英語にての発言だ。


精神分析は、心的解離の起源(ジャネもその重要性を認識していた)を、先天的な障害による心的統合の失敗ではなく、抑圧[Verdrängung]と呼ばれる特別な心的プロセスに求めている。(フロイト『精神分析について』1911年)


Psycho-analysis …it ascribed the origin of psychical dissociation [seelischen Dissoziation](whose importance had been recognized by Janet as well) not to a failure of mental synthesis resulting from a congenital disability, but to a special psychical process known as ‘repression' (‘Verdrängung'). (Freud, ‘On Psycho-Analysis' [in English]Transactions of the Ninth Session, held in Sydney, New South Wales, Sept. 1911)


心的解離[psychical dissociation]すなわち独語なら "seelischen Dissoziation"であり、この表現自体、フロイトは独語論文で、何度か使っている。


これ以外に性欲動の解離[Dissoziation des Geschlechtstriebes]という表現もある。

(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうるし、これに関与するどの分岐点も性欲動の解離の機縁になりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle, jede Fuge dieser verwickelten Zusammensetzung zum Anlaß der Dissoziation des Geschlechtstriebes werden(フロイト『性理論三篇』第3論文、1905年)



固着と関連付けられているが、こっちの方は厳密には抑圧ではなく、原抑圧だ。


抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[solchen Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege]。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」  1911年、摘要)



欲動はフロイトの定義上、身体的要求である。


エスの要求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


つまり固着としての原抑圧は身体的解離であり、他方、抑圧ーー後期抑圧ーーは心的解離だ。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)



要するに、抑圧されたものの回帰は、二種類ある。身体的に解離されたものの回帰(欲動の回帰)か、心的に解離されたものの回帰かだ。


前者の欲動の回帰は、もちろんラカンの享楽の回帰である。


反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである[pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.](J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)



ーージャック=アラン・ミレールが次のように言うとき、厳密には「原抑圧されたものの回帰」を言っている、《欲動的享楽における抑圧されたものの回帰[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]》(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)


他方、心的に解離されたものの回帰は「欲望の回帰」としうる。身体ではなく言語的なものの回帰だ。

欲望は自然の部分ではない。欲望は言語に結びついている。それは文化で作られている。より厳密に言えば、欲望は象徴界の効果である[le désir ne relève pas de la nature : il tient au langage. C'est un fait de culture, ou plus exactement un effet du symbolique.](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)



ラカンの欲望[Désir]はヘーゲルのBegierde にも起源があるが、基本的にはフロイトの願望[Wunsch]だ。


フロイト用語の願望[Wunsch]をわれわれは欲望と翻訳する[Wunsch, qui est le terme freudien que nous traduisons par désir.](Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME, 2016)


フロイトの願望に欲望を代入すればピッタリになる。


ことさらさりげない夢は、一貫してエロス的願望[erotische Wünsche] を隠している[Daß die auffällig harmlosen Träume durchwegs grobe erotische Wünsche verkörpern](フロイト『夢解釈』第6章E、1900年)

幻想生活と満たされぬ願望で支えられているイリュージョン[Diese Vorherrschaft des Phantasielebens und der vom unerfüllten Wunsch getragenen Illusion](フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)

性的対象として、父に愛されたい願望[Wunsch, vom Vater als Sexualobjekt geliebt zu werden](フロイト『制止、症状、不安』第4章、1926年)


というわけで、抑圧されたものの回帰は、「身体的欲動の回帰」と「言語的欲望の回帰」の二種類がある。前者が「原抑圧されたものの回帰」であり、後者が「後期抑圧されたものの回帰」だ。この区別はきわめて重要だよ。巷間ではーー学者連中においてさえーーいまだまったく区別されていないが。



なおここでは中井久夫=サリヴァンあるいはジャネの用語使いを基盤として解離 [Dissoziation]という語に焦点を与えたが、初期フロイトは分裂[Spaltung]と言ったりーー後期フロイトの自我分裂[Ichspaltung]概念参照ーー、防衛[Abwehr]、分離 [Trennung]と言ったりもしている。


われわれは意識内容の解離-分裂を想定している[wir die Annahme einer Dissoziation – Spaltung des Bewusstseinsinhaltes ](フロイト書簡 Brief an Josef Breuer und Notiz III, 1892)

堪え難い表象に対する防衛は、その情動から表象を分離することによってなされる。die Abwehr der unverträglichen Vorstellung durch Trennung derselben von ihrem Affekt geschehen; die Vorstellung war, wenngleich geschwächt und isoliert, dem Bewußtsein verblieben.(フロイト『防衛-神経精神病 Die Abwehr-Neuropsychosen』1894年)

「防衛」、つまり意識からの表象の抑圧 [ „Abwehr", der Verdrängung von Vorstellungen aus dem Bewusstsein] (フロイト『ヒステリー研究』序文, 1895年)


そして原抑圧の方は、これは比較的よく知られているだろう、排除[Verwerfung」でもある。もっともこの排除は名高い「父の名の排除」に限らない、ーー《父の名の排除から来る排除以外の別の排除がある[il y avait d'autres forclusions que celle qui résulte de la forclusion du Nom-du-Père. ]》(Lacan, S23, 16 Mars 1976)ーー父の名の排除は二次的な排除(父の隠喩の排除)であり、原点にあるのは「母の名の排除」である[参照]。


さらにこの原抑圧を最晩年のフロイトは原防衛手段[primitive Abwehrmaßregeln]とも言っている[参照]。


私は「抑圧」という語を、おおむねは「防衛」という語に頭の中で変換している。例えば「原防衛されたものの回帰」(欲動の身体)と「後期防衛されたものの回帰」(欲望の言語)と。



私は(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)防衛過程[Abwehrvorganges]概念のかわりに、後年、抑圧[Verdrängung]概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの防衛[Abwehr]という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。

Ich meine den des Abwehrvorganges [Fußnote]Siehe: ›Die Abwehr-Neuropsychosen«.. Ich ersetzte ihn in der Folge durch den der Verdrängung, das Verhältnis zwischen beiden blieb aber unbestimmt. Ich meine nun, es bringt einen sicheren Vorteil, auf den alten Begriff der Abwehr zurückzugreifen, (フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926 年)



この防衛は回避、逃避でもある。

抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年)

抑圧は逃避の試みと等価である[Einem solchen Fluchtversuch gleichwertig ist auch die Verdrängung.](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


不快に対する防衛・回避・逃避とは、欲動に対する防衛である。


欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)



以上、抑圧は主に次の語彙群を意味するのである。





………………



※追記


なおフロイトにはリビドー解離という表現もあるが、これは事実上、リビドー原抑圧である。


リビドー解離が少しずつ起こるという特徴は、喪とメランコリーにおいて同様である。おそらく同じ経済論的条件に基づき、同じ目的に奉仕する。

Der Charakter der Einzeldurchführung der Libidoablösung ist also der Melancholie wie der Trauer in gleicher Weise zuzuschreiben, stützt sich wahrscheinlich auf die gleichen ökonomischen Verhältnisse und dient denselben Tendenzen. (フロイト 「喪とメランコリー」1917年)


シュレーバーの妄想が宗教の領域(神のヒエラルキー、証明された魂、天国の前庭、下層神と上層神など)で提起した独創的な構造を見直せば、彼の一般的なリビドー解離という破局によって、いかに豊かな昇華が崩壊したかを評価することができるだろう。

ーÜberblickt man die kunstvollen Konstruktionen, welche der Wahn Schrebers auf religiösem Boden aufbaut (die Hierarchie Gottes – die geprüften Seelen – die Vorhöfe des Himmels – den niederen und den oberen Gott), so kann man rückschließend ermessen, welcher Reichtum von Sublimierungen durch die Katastrophe der allgemeinen Libidoablösung zum Einsturz gebracht worden war. (フロイト「症例シュレーバー」第3章、1911年)