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2023年1月19日木曜日

どうしてこんなことが想像できるのだろう?

 さてこのところ中井久夫、加藤周一、丸山真男の日本文化論のいくつかを掲げたが、次のように記す加藤周一は、2022年から引き続くこの今の出来事ーーもし彼がこの今も生きていたらーーどう反応したんだろう。


日本社会には、そのあらゆる水準に於いて、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係に於いて定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。

日本が四季のはっきりした自然と周囲を海に囲まれた島国であることから、人々は物事を広い空間や時間概念で捉えることは苦手、不慣れだ。それ故、日本人は自分の身の回りに枠を設け、「今=ここに生きる」の精神、考え方で生きる事を常とする。この身の回りに枠を設ける生き方は、国や個人の文化を創り出す土壌になる。

一方、ヨーロッパは陸続きの大陸であり、各国はそれぞれ固有の文化、歴史があり、加えて幾度の戦争を体験していることから、経験上共通の概念を取り入れる努力をしている。例えばドイツと他国の間ではヒットラーの「ユダヤ人虐殺」に関しては互いに過ちであるとの共通の認識を持っており、ドイツ人は「過去は水に流す」式の日本人の意識とは大きな違いがある。

ドイツ社会は「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は「南京虐殺」を水に流そうとした。その結果、独仏の信頼関係が「回復」されたのに対し、日中国民の間では信頼関係が構築されなかったことは、いうまでもない。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)



「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったドイツ社会、さらにはヨーロッパ社会とある。つまり強い反省をして二度と同じ事態が起こらないように祈念したEU社会ということだ。

この加藤周一はどう反応したのだろう、例えば2022年12月15日の国連総会においての「ナチズムの美化に反対する決議案」に反対したドイツをはじめとするEU諸国、日本などの50ヵ国ーー反対の反対でありナチズム美化に賛成ーーという現象を? ちなみに2021年においての同一の決議案に反対した国はウクライナと米国のみ。


結局、EU社会はナチズムを「抑圧」、あるいは「原抑圧=排除」していただけであり、「抑圧されたものの回帰」が見られた2022年だったのではないか。



抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation.  ](Lacan, S1, 07 Avril 1954)

想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)



ナチズムという歴史のスティグマは抑圧された。だが行為として呼び戻される。


ラカンは欲動の対象との関係において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]》. これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係するということである。Lacan veut penser le rapport à l'objet pulsionnel sur le modèle du refoulé. C'est ça qui passe dans cette petite description. En effet il dit : « cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ». C'est dire qu'ici, il veut impliquer le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle.  (J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)



先のラカン、上のミレールは純粋にフロイトの記述に則っている。


「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕


①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]〔・・・〕


②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕

主に①の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ]〔・・・〕



③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]


この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)



最も直接的には次の文である。


被分析者は、忘れられたものや抑圧されたものを想起するわけではなく、むしろそれを行為にあらわす。人はそれを(言語的な)記憶として想起するのではなく、(身体的な)行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに反復している。 der Analysierte erinnere überhaupt nichts von dem Vergessenen und Verdrängten, sondern er agiere es. Er reproduziert es nicht als Erinnerung, sondern als Tat, er wiederholt es, ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt.(フロイト『想起、反復、徹底操作[Erinnern, Wiederholen und Durcharbeiten]』 1914年)



結局、「抑圧されたものの回帰」の原点にあるのは、「原抑圧された欲動の回帰」であり、別の言い方をすれば「固着点への回帰」である。


現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »]  (Lacan, S16, 05  Mars  1969 )

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

※参照:「現実界の七つの定義



ナチズムという歴史のスティグマは消しがたい固着としてヨーロッパの歴史に刻印されている。その固着点への回帰が露骨に顕れた2022年だったと言えるのではないか。





https://twitter.com/Z58633894/status/1615694385131450370






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