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2023年1月21日土曜日

日本の庭(加藤周一)

 

小津安二郎は外国人の観客を期待したことがなく、日本社会のほかに彼の世界はなかったから、「日本的」な映画をつくろうとしたはずがない。ただ「映画」をつくろうとし、しかも彼自身の感受性を映画的に表現する能力を備えていたから、その映画が独創的 (小津に固有のもの)であると同時に、「日本的」(日本文化に固有のもの)になったのである。(加藤周一「藝術と現代」1975年)



この加藤周一の小津オマージュは、《最も特殊な世界は最も普遍的な世界に通じる》とする日本の庭の褒め方と同じだ。小津安二郎は映画を通して「日本の庭」を作った芸術家としてよいだろう。


以下、正確な引用か否かはわからない。ネット上で拾った加藤周一の「日本の庭」(1950年)である。



 日本の庭は、日本人が作り出した芸術の中でも、もっとも大規模で、複雑で、美しい。その美しさは、歴史、様式の変遷、技術上の細部について知られているが、なぜ庭が美しいのか、なぜ古い庭が新しいか、日本的な美しさが普遍的な美しさに通じていることは知られていない。
 例えば、近松は日本では生きていない。それは日本には、今日生きている問題を求めて、日常たえずそこへ立ち返るような古典がないことを意味している。
 戦争中に権力の強制がある時代でも、国学者の発見を蒸し返す程度しかできなかったのだから、権力の強制のない今では、日本精神や日本の古典について語られていない。自国の古典に意味を見出せないものが、他国の古典に意味を見出すことは難しい。
 筆者が庭に興味を持ち始めたのは、ある「印象」である。それぞれの時代に最も深く根ざしている芸術が、最もよく時代を超えて今日に生きている、日本人の感受性と意識の構造に、最も強く離れ難く結びついている作品が、最もよく民族的限界を越えて、普遍的な世界に生きていることは、「印象」から導ける。
 そして、芸術家は、作品を通じてある一定の「印象」を確実に与えるために、自ら所有するあらゆる手段を、自由に支配し、駆使する。
 筆者は、日本の庭に、日本的なものではなく普遍的な「印象」を受けた。

 修学院離宮と竜安寺の庭の対比である。
 修学院離宮の庭は、1)境がない。2)人は自然の中に入るのであって、庭の中に入るのではない。3)庭は庭ではない。4)自然は、古代的、牧歌的、即自的。5)自然的なものと人間的なものは区別されず、6)自然対人間の対立は意識されない。7)自然を模倣する。8)本質をとらえない。9)後水尾院は、離宮で生活していた。
 竜安寺の庭は、1)額縁の中にある。2)人は庭を見るので、庭の中に入るのではない。
3)庭は見られるものにすぎず、額縁に当たる三方の白壁は、目立たない方がよい。4)自然は、近代的、客観的、対自的。5)自然的なものと人間的なものが区別され、6)人間に対する自然として意識される。7)自然を模倣せず、8)人間的な精神的な象徴主義的な方法によって、自然の本質をとらえている。9)相阿弥は庭の中で生活しなかった。
 しかし、それら庭は宇宙ではなかった。しかし、宇宙である庭は存在した。その中に人が身を置くところのものである、その中に入ることができる、境のある世界、自然から区別され、・額縁の中に限られたものでなく、人を包み家を包み一切を包み、単に見られるものではなく、その中で動き、生き、考えることができる庭。精神にとってのある対照ではなく、唯一の宇宙である庭である。

 人は桂離宮の庭に入ることができても、建物や生け垣に遮られてその庭を見ることができない。そして、月見台の上に出て、初めて庭を見るというよりも、もう一つの中にいる自分自身を見出す。「もう一つの世界」には竜安寺の庭のような額縁がない。明らかに境されているが、その境は無限に遠くにある。風景は書院の正面に向かって開いているのでなく、書院が風景の中にある。人は風景に対しているのでなく、人は「第二の自然」の中にある。「第二の自然」は「もう一つの世界」であり「第二の人生である夢」である。そこには、池の水、島、林、田園風景、芝生、並木、苔、芝生などの自然の素材の美しさや、石組み、敷石の幾何学、建築の形式、屋根の曲線、柱の直線、壁のひろがりなどの人間的な形式の美しさなど、この世のあらゆるものがある。しかも、それらがこの世の秩序とは異なる秩序の中にある。第一の現実の自然の秩序を追究し、その根源にある本質的なものを認識し、それを基にして新しく構築して理想的な現実として作り上げた秩序である。
 その夢のような非現実的な世界であるが、覚めた明晰な精神に訴えるような理性的な思考による現実の世界である。タウトは「桂では、目(視覚)が考える」、視覚的な感覚的感動を思考に転換させると言ったが、さらに遠い夢と考えるという行為が一つになっているのが桂離宮の魅力がある。
 桂離宮の庭には、月波楼の海、賞花亭の森と峠、笑意軒の田園風景、松琴亭の山水、新書院の芝生と日常生活の、五つの中心があり、さらに、その全体を一望できる古書院の月見台という一つの中心がある。五つの中心は部分は部分として、それぞれ独立の役割を果たしながら、一つ中心の全体の秩序に奉仕している。私たちはその全体の秩序、統一、調和を実際に見ている。

 桂離宮を作ったのは小堀遠州と言われているが、その弟子を含めて彼の流れをくむもう一人の小堀遠州であろう。彼らは、ダンテやバルザックのように、自然劇の作者として人間の歴史に記憶されねばならない。
 「万葉集」の主な主題の一つは自然である。万葉の詩人は、海を歌い、山を歌い、野と森と季節の移り行きを歌った。シナ文学にない繊細な感受性、インドヨーロッパ文学にない感覚的な鋭さをもって、美しい自然を描いた。その美しさは、自然そのものの中でなく、その自然を美しいものとしてとらえ、表現し、鑑賞するという日本文化そのものの中に理由がある。その美しさは、「枕草子」の感受性の鋭さ、「今昔物語」「徒然草」の観察の細かさ、「新古今集」の美的な自然哲学、能の象徴主義「花」、茶の芸術的生活「さび」に受け継がれたが、伝統として固定化され生命を失う。その後、「奥の細道」「鶉衣」「黄葉夕陽村舎詩」でよみがえりながら次第に衰えて言った。明治になって子規を通じて私小説の世界に流れ込む。しかし、日本文化固有な自然感情や自然の意識が、観察と感受性と表現力において、総合的本質的に現れた「調和」が桂離宮の庭である。
 桂離宮の古書院の月見台が支配していたのは美しい世界、つまり、目を奪うような派手で低次元の華麗さはないが心の心底から味わえる美しい世界、人を圧倒するようなこけおどしの巨大さはないが人の心にしみ通って来る力強い世界、ただ奇をてらうことを目的にした低俗な技巧はないが神業のような技巧を超えている世界である。分析的にとらえたり、法則に還元したり、精神に対立し克服すべき抵抗として素材を芸術家に提供する西欧の自然観ではなく、芸術家を包み芸術的実現の最後の目標としてある美の本質を、日本自然美の本質の全体として「調和」された世界を表現している。これは、日本的なものの中で最も日本的なものであり、最も普遍的なものである。

 エドガアー=アラン=ポオは「アルンハイムの庭」という作品で、桂離宮と同じ庭の概念を描いた。自然より自然的な第二の自然、現実の自然の美しさを人間的な形式の美しさで再構築した自然、最も人間的な精神の自己実現の場所を作り出した。主人公は莫大な遺産をつぎ込んで、最も複雑な芸術、自然の美しさと人間的な美しさをとのすべての結合を可能にする芸術、数学的な法則に支配されしかも法則を超える芸術である庭を作る。庭は、知性によって造られ、法則によって限定されているが、知性のみによっては造られず、法則の限定の内側に無限の可能性を持っている。だから、批評家は庭の持つ知性と法則の領域を超えることができないので、庭を評価することができない。庭は結果としてそこにあるだけである。ポオが言ったように「創造において燃焼する最も強い力は、その結果をもって計るほかない」のである。
 日本の庭造りは、日本の自然の美しさを、その究極まで、自然の本質そのものの美しさまで究めねばならない。その極みにおいて、最も特殊な世界は最も普遍的な世界に通じる。そして、結果である庭を残し、我々に強い印象と感動を与えることに成功した。庭の部分部分について分析することは多くあるが、庭全体の本質として語るべきことは一つ、「庭は美しい」というしかない。(加藤周一「日本の庭」1950年)