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2023年1月24日火曜日

自分をあばくことで他をもほじくり返し、わき見もしないで自分をしらべる作家

 

他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)


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私には今後これ以上のしごとは出来ないと言ってよい。〔・・・〕

作家はその晩年に及んで書いた物語や自分自身の生涯の作品を、どのように整理してゆく者であるか、あらためて自分がどのように生きて来たかを、つねにはるかにしらべ上げる必要に迫られている者である。〔・・・〕

私といふ作家はその全作品を通じて、自分をあばくことで他をもほじくり返し、その生涯のあいだ、わき見もしないで自分をしらべ、もっとも身近かな一人の人間を見つづけてきたのである。(室生犀星「杏っ子」後書、1957年)



《自分を取調べる》こと、あるいは《自分をあばくことで他をもほじくり返し、その生涯のあいだ、わき見もしないで自分をしらべ、もっとも身近かな一人の人間を見つづけてきたのである》、この自己分析は容易ではない。一見そうしているように見える作家でもほとんどの場合、自己正当化に陥ってしまっていると感じることが多い。晩年になれば枯淡の境地に嵌まり込むのがほとんどの作家の姿だ。



「枯淡」は衰えの美称にすぎず、「老成円熟」は積年の習慣の言い換えにすぎないだろう。(加藤周一「老年について」 1997)



晩年の犀星が完璧に自己をほじくり返していると言うつもりはないが、枯淡にも円熟にも逃げなかった作家であるのは間違いない。



平静な、「晩年」という言葉に伴いやすい沈静したもの、安らかなもの、生活の流れて行く日々といったものは、衝突を避けて行く老年の知恵といったもののないのとともにそこにはなかつた。むしろ犀星において、それらと反対のところに彼の老年の知恵はあったといつていい。それはもう一度、『打情小曲集』、『愛の詩集』、『性に眼覚める頃』、『結婚者の手記』を通して五十年生きてきた命の中心のものを、七十になんなんとしてもう一度最後に生き返すことであつた。世俗の場合しばしば文学者について見てさえ、老年の知恵とか老熟とかいうことは繰り返しにつながつてくる。あるもの、ある然るべきものの繰り返し、人生上また芸術上の金利生活者ということがそこに出てきがちであるのに対して、この作家は、無一文の一人もの青年さながらの姿で、創造的一回的なものとしてこの生き返しにすすんで行った。上辺の形では、それは老年の知恵の逆だつたとさえいつていい。〔・・・〕


くり返して、生き返しは繰りかえしではない。むろん蓄積はある。それは大きい。しかし創造は、現在にいたる蓄積を一擲してでなくて、全蓄積をそのまま踏み台にしての一歩前進である。『杏つ子』において犀星はほとんどデスペレートにそれを試みた。〔・・・〕

(『結婚者の手記』と比較して)『杏つ子』で問題はここからずつと進んでいる。家庭をまもるなとも破壊しろともいうのではない。ただ作者は、わが家庭と家族とをしらべ、新しい条件下で人間の間題をとらえようとした。『復讐の文学』、『巷の文学』、『あにいもうと』、『神々のへど』の時期を経たものとしてそれをしたのである。作者はもはや小説、虚構ということにかまつていない。ほとんど自伝の体を取り、芥川龍之介、菊池寛などを本名で出し、物語りの展開から道草を食つて、あるいは食いすぎて、さまざまに感慨と意見とを存分に書きこんでいる。子を育てようとする人の親の、特に父親でもあるものの誠意と愚かさとを極限まで描き切ろうと作者はしている。何がこの間に経過して、それが何を残したかを、学者のようにしらべようと作者はしている。粗雑にいえば、作品よりも人生がさきというのがこれを書いている作者の姿である。それだから、大部分の家庭小説のいわゆる大団円はついに現れない。愚かな父親は千々に心を砕いてそれなりである。砕けつ放しである。あたつて砕けろという言い方は必ずしも誠実、計画を予想していない。この場合の平山平四郎は、あらゆる彼の誠実と計画とにおいてあたつて砕けている。そこが創造的一回的である。


こういう晩年は生活力に満ちた晩年といわなければならない。激烈な晩年、奮闘と斬り死との晩年といわなければならない。そこから無限の教えを汲み取ることができるとしても、一般的な規範、教条は、ひとかけらも引き出せぬというのが彼の晩年でありこれらの作品である。(中野重治「晩年と最後」『室生犀星全集』第十巻 後記 新潮社 昭和39年)



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「僕は正直にいっているんだがね、君に嘘を吐いて騙かす気はない、男というなまぐさいものを先ず君の前であらかた料理して、そして君をお膳の前につれてゆく、嘘の料理を食わせる父親がいたら、それが間違いのもとなんだ、僕は君への最後の友情というものがあったとしたら、僕は男だから僕の悪いところをみんな話したいくらいだよ、黙っている時ではないんだよ。」(室生犀星『杏っ子』第八章「苦い蜜」ー「みなれた顔」)


「わたくしきょう、つくづく女というものが厭になって来たんです、たった一人の男にかしずいて、何でもはいはい聞いているなんて何で引きずられているのかと思うと、それを断ち切りたい気がするわ。鎖みたいな物につながれているんですもの。」〔・・・〕


「抜け道はどこも此処も、男の側からいえば女の肉体で行き詰っているし、女の方も同様に男のそれで行き停まりだ。要は肉体を拒絶することにある。柔しいものも沢山要るが、対手方にうっかり乗らないことも必要だ。」〔・・・〕「いやはや、大へんな悪い親父になった気がするが、親切な親父というものはこのくらいの事は話さなければならないものだ、或る意味で凡ゆる親父というものは、娘の一生を採みくちゃにされない前に、知慧をしぼって教えることは教えて置いた方がよい、だがおれの説得はもうだいぶ遅れている。」(第九章「男ーーくさり」)


平四郎はもはや娘としてではなく、市井の女としての彼女をじろりと見た。そこに思慮分別を超越した人間としての、一個の物質に見入った。そしてこれは皆がこうなるのではなく女がそのために、いつもその生涯の大半を失っているからだ。どれだけ多くの女の人が此処で叫び声をあげられないで、荒縄でぐるぐる巻きにされて、おっぼり出されている事か、そのあたりに見よ、一個のきんたまを持った男が控えているだけである。この恐るべき約束事はふだんの行いに算えられている。(第十二章「唾」ー「荒縄」)


(母りえ子は)「別れなさい、なにを手間取っているの。」別れなさいの一点張りであった。〔・・・〕平四郎はそのことでは、いっさい、自分から口を切らなかった。意地悪いとでもいえばいえるその黙殺は、やらせるだけやらせろという肚であった。人生はやってやり抜くことだ、打っ倒れるまで食っ付くものは食っ付かせて置くのだ、どうせ女は損だ、どんな大きな損をどのように小さくまとめようとしてもすでに遅い、残念だがおおきい損を背負ってから、くたびれ切って引き上げるのがせいぜいだろう、これは父親でも、亭主でもとどめることは出来ない。損をした人が自分で損というものの下積みで、喘いで動けなくなるまでのことだ、ここで映画とか小説の種取りとかが表口で待ち受け、そのバカ女を引捕らえて料理するのだ。(室生犀星『杏っ子』第十二章「唾」ー「荒縄」)