このブログを検索

2023年1月29日日曜日

さんざしの坂道を突然ふりかえる女

 

連想を破ることだ

意識の解釈をしない

コレスポンダンスも

象徴もやめるのだ

さんざしの藪の中をのぞくのだ

青い実ととび色の棘をみている

眼は孤立している


ーー西脇順三郎「夏(失われたりんぼくの実)」



◼️さんざしの坂道


「……何度私は思いうかべたことでしょう、あなたのことを、あなたと二人でこの土地をくまなく歩きまわり、あなたのおかげでたのしいものになったあの散歩のこと、その土地がいまは荒らされ、こうしているあいだも、あなたがお好きだった、そして二人であんなによく出かけた、あの道、この丘を占領するために、大きな戦闘がおこなわれているのです! たぶんあなたも、私とおなじように、想像さえなさっていなかったでしょう、私たちの手紙がいつもそこから配達されてきた、そして、あなたが病気になったときそこへ医者を呼びに行った、あの薄ぐらいルーサンヴィル、あの退屈でたまらないメゼグリーズ、そこが、いつかこんなに有名な土地になろうとは。それがどうでしょう、私の親しい友よ、アウステルリッツやヴァルミーとおなじ資格で、永久に栄光のなかにはいったのです。 メゼグリーズの戦闘は八か月以上もつづき、ドイツ軍はそこで六十万以上の兵を失い、彼らはメゼグリーズを破壊してしまったのですが、 ついにそこを奪取するにはいたりませんでした。 あなたがあんなにお好きで、私たちがさんざしの坂道と呼んでいた小道、あなたが幼いころにそこで私への恋に陥ったとおっしゃっているけれど、一方私からは、真実のところ、私こそあなたに恋をしていたと申しあげられるあの小道、そこがこのたびどれほど重要な意味をもったかは、とてもおつたえすることができません[Le petit chemin que vous aimiez tant, que nous appelions le raidillon aux aubépines et où vous prétendez que vous êtes tombé dans votre enfance amoureux de moi, alors que je vous assure en toute vérité que c'était moi qui étais amoureuse de vous, je ne peux pas vous dire l'importance qu'il a prise]。その小道をのぼりつめたところにあるひろい麦畑は、有名な三〇七高地で、あんなに何度もコミュニケに出てきたその名を、きっとごらんになったでしょう。フランス軍はヴィヴォーヌ川にかかった小さな橋を爆破させました、そういえば、この橋は思ったほど幼い時代を思いださせない、とあなたはおっしゃっていましたね、それの代わりにドイツ軍はべつのものをいくつか架橋しましたが、一年半というものは、彼らがコンブレーの半分を占拠し、 フランス軍が他の半分を固守したのです。」 このジルベルトの手紙を受けとった日の翌日、つまり私が暗闇のなかを歩いて 、こうしたすべての思出をかみしめながら、自分の足音のひびくのをきいた日の前々日、サン=ルーは、前線から帰ってふたたび前線にひきかえそうとする途中で、ほんの数分間だけ私を訪ねてくれたのだが、彼の名が告げられただけで、そのとき私ははげしく感動したのであった。(プルースト「見出された時」p 119~)



◼️女のような戦争

「ぼくには彼がたしかに気づきはじめていたと思われる戦争の一面があるのですがね」と私は彼女にいった、「それは、戦争が人間のようだということで、戦争は恋愛のようにも見られたし、 にくしみのようにも見られたが、 これからは小説のようにも物語ることができるだろう、したがって、人によっては戦術は科学であるとくりかえす向きも多いようだが、それは戦争を理解するなんのたすけにもならない、なにしろ戦争は作戦通りではないのだから、というのです。敵にわれわれ味方の計画がわからないのは、愛している女の追い求める目的がわれわれにわからないのとおなじです[Il y a un côté de la guerre qu'il commençait à apercevoir, dis-je, c'est qu'elle est humaine, se vit comme un amour ou comme une haine, pourrait être racontée comme un roman, et que par conséquent, si tel ou tel va répétant que la stratégie est une science, cela ne l'aide en rien à comprendre la guerre, parce que la guerre n'est pas stratégique. L'ennemi ne connaît pas plus nos plans que nous ne savons le but poursuivi par la femme que nous aimons, et ces plans peut-être ne les savons-nous pas nous-mêmes]。もしかすると味方の計画は、われわれ自身にもわからないかもしれません。 ドイツ軍は、一九一八年三月の攻撃で、アミアンを陥落することを目的としていたのでしょうか? その点は何一つわれわれにわかっていません。おそらく、ドイツ軍自身にもわかっていなかったでしょう。彼らがアミアン方面に向かって西に前進したという事態の起きたことが彼らの計画を決定したのでしょう。かりに戦争は科学的であるとしても、やはり戦争を描くには、エルスチールが海を描いていたやりかたのように、べつの方向から描かねばならないでしょうし、ドストエフスキーがある人の生涯を物語るように、さまざまな錯覚から、そしてすこしずつ修正されてゆく確信から、出発しなくてはならないでしょう。それにしても、戦争がすこしも作戦通りでないことはあまりにも確実です、これはむしろ医学的であり、たとえばロシア革命のような、臨床医なら回避することを望みそうな、思いもかけない偶発事をふくむものなのです。」(プルースト「見出された時」p 515~)




柿の木の杖をつき

坂を上つて行く 

女の旅人突然後を向き 

なめらかな舌を出した正午


ーー西脇順三郎「鹿門」