さて前回ヤボな話をしてしまったが、ここでは前々回の中井久夫の「匂いの記号論」に引き続き、バルトのにおいをめぐる記述である。私にとってこれこそ、痛みとともに《どっと心に戻ってくる》(須賀敦子)ものだ。何度も引用してきた文だが、ここにふたたび掲げる。
◼️幼年期のにおいの回帰 |
プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その肌理〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それはにおいである。 Chez Proust, trois sens sur cinq conduisent le souvenir. Mais pour moi, mise à part la voix, moins sonore au fond que, par son grain, parfumée, le souvenir, le désir, la mort, le retour impossible, ne sont pas de ce côté-là ; mon corps ne marche pas dans l’histoire de la madeleine, des pavés et des serviettes de Balbec. De ce qui ne reviendra plus, c’est l’odeur qui me revient. (『彼自身によるロラン・バルト』1975 年) |
|
バイヨンヌ、バイヨンヌ、完璧な町。河に沿い、響きゆたかな周囲(ムズロール、マラック、ラシュパイエ、ベーリス)と空気の通じあっている町。そして、それにもかかわらず閉じた町、小説的な町。〔・・・〕幼い頃の最初の想像界。スペクタクルとしてのいなか、匂としての“歴史”、話しかたとしてのブルジョワジー。(『彼自身によるロラン・バルト』1975年) |
過去のうちで、私をいちばん魅惑するのは自分の幼年期である。眺めていても、消えてしまった時間への後悔を感じさせないのは幼年期だけだ。なぜなら、私がそこに見いだすものは非可逆性ではなく、還元不可能性だから。すなわち、まだ発作的にときおり私の中に存在を示すすべてのものだからである。子どもの中に、あらわに私が読み取るもの、それは、私自身の黒い裏面、倦怠、傷つきやすさ、さまざまの(さいわいに複数の)絶望への素質、不幸にもいっさいの表現を断たれた内面的動揺。(『彼自身』) |
◼️失われた時の記憶・幼年期の身体の記憶 |
ある兆で私は自分が家の敷居をまたいで、幼児期の郷里に入ったことを知らされる。それは、道の脇の松林、家の中庭に立つ棕櫚の木、地面に影をおとして人間の顔のような表情を映し出す独特の雲の高さ。そこから南西部の大いなる光が始まる。高貴でありながら同時に繊細で、決してくすんだり淀んだりしない光(太陽が照っていないときでさえ)。それはいわば空間をなす光で、事物に独特の色あいを与える(もう一つの南部はそうだが)というより、この地方をすぐれて住み心地のよいものにするところに特徴がある。明るい光だ、それ以外にいいようがない[Je ne trouve pas d'autre moyen que de dire : c'est une lumière lumineuse]。その光はこの土地でいちばん季節のいい秋にみるべきだ(私はほとんど「聴くべきだ」といいたい。それほど音楽的な光なのだ)[Il faut la voir, cette lumière (je dirais presque : l'entendre, tant elle est musicale), à l'automne, qui est la saison souveraine de ce pays ]。液体のようで、輝きがあり、心を引き裂くような光、というのも、それは一年の最後の美しい光だから[liquide, rayonnante, déchirante puisque c'est la dernière belle lumière de l'année] |
⋯⋯私の身体というのは、歴史がかたちづくった私の幼児期なのだ[mon corps, c'est mon enfance, telle que l'histoire l'a faite]。その歴史は私に田舎の、南部の、ブルジョワ的な青春を与えてくれた。私にとって、この三つの要素は区別できない。ブルジョワ的な生活とは私にとって地方であり、地方とはバイヨンヌである。田舎(私の幼児期)とは、きまって遠出や訪問や話の網を織りなすバイヨンヌ近郊のことだ。 |
こうして、記憶が形成される年頃に、私はその《重大な現実 grandes réalités》から、それらが私にもたらした感覚のみを汲みとっていった。匂いや疲れ、声の響き、競争、光線など [des odeurs, des fatigues, des sons de voix, des courses, des lumières]、現実のうち、いわば無責任なもの、後に失われた時の記憶[ le souvenir du temps perdu] を作り出すという以外に意味のないものばかり(私がパリで過ごした幼年期はまったく異なるものだった。金銭的困難がつきまとい、いってみれば、貧しさの厳しい抽象性をおびていて、その頃のパリの《印象》はあまり残っていない)。私が、記憶をとおして私の中で屈折した通りの南西部について語るのは、「感じる通りに表現するのではなく、記憶している通りに表現すべきである」というジュベールの言葉を信じているからだ。 |
⋯⋯たとえば、私の記憶の中で、ニーヴ河とアドゥール河にはさまれたプチ=バイヨンヌと呼ばれる古い一角の匂いほど重要なものはない。小さな商店の品物がすべていり混じって、独特の香りを作り出していた。年老いたバスク人たちが編むサンダルの底の縄(ここでは《エスパドリーユ》という言葉は使わない)、チョコレート、スペインの油、暗い店舗や細い道のこもった空気、市立図書館の本の古い紙。これらすべては、今はなくなってしまった古い商いの化学式のように機能していた(もっとも、この一角はまだ昔の魅力の一端をとどめてはいるが)、あるいはもっと正確にいうと、今現在その消失の化学式として機能している。匂いを通じて私が感じとるもの、それは消費の一形態の変移そのものである。すなわち、サンダルは(悲しいことにゴム底になってしまって)もう職人仕事ではなくなったし、チョコレートと油は郊外のスーパーで買い求められる。匂いは消えてしまった。あたかも逆説的に、都市汚染の進行が家庭の香りを追い出してしまったかのように。あたかも《清潔さ》が汚染の陰湿な一形態であるかのように。 |
⋯⋯私は子供のころ、バイヨンヌのブルジョワジーの家庭と数多く知り合いになった(当時のバイヨンヌはどこかバルザック的な雰囲気があった)。彼らの習慣、しきたり、会話、生活様式も知ることができた。この自由主義的ブルジョワジーは偏見こしありあまるほどもっていたが、資本の方はあまりなかった。この階級のイデオロギー(まったく反動的な)とその経済的ステータス(ときに悲惨な)とのあいだにんは一種の不均衡があったのだ。社会的、政治的分析は粗い濾器のように機能し、社会的弁証法の《機微 subtilités》は逃してしまうので、こうした不均衡は決して取り上げない。 |
ところが、私はこうした機微ーーあるいはこうした「歴史」の逆説ーーを、表現こそできなくても、感じ取っていたのだ。私は南西部をすでに《読んでいた》。ある風景の光やスペインからの風が吹く物憂い一日の気怠さから、まるまる一つの社会的、地方的言説の型へと発展していくそのテクストを追っていたのである。というのは、一つの国を《読む》ということはそもそも、それを身体と記憶によって、身体の記憶によって、知覚することだからである[c'est d'abord le percevoir selon le corps et la mémoire, selon la mémoire du corps]。私は、作家に与えられた領域は、知識や分析の前庭だと信じている。有能であるよりは意識的で、有能さの隙自体を意識する[plus conscient que compétent, conscient des interstices même de la compétence] のが作家である、と。それゆえ、幼児期は、私たちが一つの国をもっともよく知り得る大道なのである。つまるところ、国とは、幼児期の国なのだ[Au fond, il n'est Pays que de l'enfance]。 |
(ロラン・バルト「南西部の光 LA LUMIÈRE DU SUD-OUEST」1977年『偶景』所収) |
◼️享楽の身体 |
私に快楽を与えたテクストを《分析》しようとする時、いつも私が見出すのは私の《主体性》ではない。私の《個体》である。私の身体を他の身体から切り離し、固有の苦痛、あるいは、快楽を与える与件である。私が見出すのは私の享楽の身体である。 Chaque fois que j'essaye d'"analyser" un texte qui m'a donné du plaisir, ce n'est pas ma "subjectivité" que je retrouve, c'est mon "individu", la donnée qui fait mon corps séparé des autres corps et lui approprie sa souffrance et son plaisir: c'est mon corps de jouissance que je retrouve. |
そして、この享楽の身体はまた私の歴史的主体である。なぜなら、伝記的、歴史的、神経症的要素(教育、社会階級、小児的形成、等々)が極めて微妙に結合しているからこそ、私は(文化的)快楽と(非文化的)享楽の矛盾した働きを調整するのであり、また、余りに遅く来たか、あるいは、余りに早く来たか(この余りには未練や失敗や不運を示しているのではなく、単にどこにもない場所に招いているだけだ)、現に所を得ていない主体、時代錯誤的な、漂流している主体として自分自身を書くからである。 |
Et ce corps de jouissance est aussi mon sujet historique; car c'est au terme d'une combinatoire très fine d'éléments biographiques, historiques, sociologiques, névrotiques (éducation, classe sociale, configuration infantile, etc.) que je règle le jeu contradictoire du plaisir (culturel) et de la jouissance (inculturelle), et que je m'écris comme un sujet actuellement mal placé, venu trop tard ou trop tôt (ce trop ne désignant ni un regret ni une faute ni une malchance, mais seulement invitant à une place nulle) : sujet anachronique, en dérive (ロラン・バルト『テキストの快楽』1973年) |
◼️私の痛み |
私の享楽あるいは私の痛み[ma jouissance ou ma douleur](ロラン・バルト『明るい部屋』第11章、1980年) |
疑いもなく享楽があるのは、痛みが現れ始める水準である[Il y a incontestablement jouissance au niveau où commence d'apparaître la douleur](Lacan, Psychanalyse et medecine, 1966) |
昔スワンが、自分の愛されていた日々のことを、比較的無関心に語りえたのは、その語り口のかげに、愛されていた日々とはべつのものを見ていたからであること、そしてヴァントゥイユの小楽節が突然彼に痛みをひきおこした[la douleur subite que lui avait causée la petite phrase de Vinteuil] のは、愛されていた日々そのものをかつて彼が感じたままによみがえらせたからであることを、私ははっきりと思いだしながら、不揃いなタイルの感覚、ナプキンのかたさ、マドレーヌの味が私に呼びおこしたものは、私がしばしば型にはまった一様な記憶のたすけで、ヴェネチアから、バルベックから、コンブレーから思いだそうと求めていたものとは、なんの関係もないことを、はっきりと理解するのであった。(プルースト「見出された時」) |
……………
バルトの「失われた記憶=身体の記憶」とは「享楽の記憶」と言い換えうる。 |
||
ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる[Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011) |
||
より厳密に言えば、幼年期の身体の記憶=享楽の記憶とは「身体の出来事の記憶」である。 |
||
享楽は身体の出来事である[la jouissance est un événement de corps](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
||
幼年期のにおいは身体の出来事の代表的なもののひとつである。この享楽なる身体の出来事は、反復=回帰する、ーー《反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]》(Lacan, S17, 14 Janvier 1970)。フロイトラカンにおいて回帰の別名はレミニサンスであり、これがプルーストの「失われた時のレミニサンス」に相当する。
ーー《二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それはにおいである[De ce qui ne reviendra plus, c’est l’odeur qui me revient].》(ロラン・バルト『彼自身』) |