なんだい? ボクらの世代が1990年に虚妄になったのは充分自覚的だがな、引用したばっかりじゃないか。 |
冷戦の論理に拠って立つ日本の戦後史は虚妄となった。それは立場はさまざまであっても多くの知識人たちの戦後史であった。(中井久夫「阪神間の文化と須賀敦子」初出2000年『時のしずく』所収) |
で、新たな問いはこの今、2023年だよ。1990年以降の世代、仮に1990年に18歳としたら、今年50歳以下の世代だね、シツレイだが虚妄になったんじゃないかい、米国覇権の崩壊で。どう思う? きみたちはいわゆる退行の世代だよ |
私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、21世紀に見る。そして21世紀は2001年でなく、1990年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収) |
原理を問わず、既成のイデオロギーの掌の上を巧みに泳ぐことに専心した世代だね。エビデンス主義はその派生物。政治社会的には、自由と民主主義の相剋に不感症かつ世界資本主義という非イデオロギー的イデオロギーの奴隷であることに無自覚な世代だということだな。 |
現代の民主主義とは、自由主義と民主主義の結合、つまり自由ー民主主義である。それは相克する自由と平等の結合である。自由を指向すれば不平等になり、平等を指向すれば自由が損なわれる。 現在、自由ー民主主義は人類が到達した最終的な形態(歴史の終焉)であり、その限界に耐えつつ漸進していくしかない、と考えられている。しかし、当然ながら、自由ー民主主義は最後の形態などではない。それを超える道はあるのだ。(柄谷行人『哲学の起源』2012年) |
人々は自由・民主主義が勝利したといっている。しかし、自由主義や民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている (『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。 それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。〔・・・〕 |
自由主義と民主主義の対立とは、結局個人と国家あるいは共同体との対立にほかならない。そして、個と類という回路のなかでのこうした思考が取りうる形態は、個人主義か、全体主義か、個がそのまま全体であるといったモナドロジーか、ヘーゲル的な有機体論かの いずれかである。「原理的」に考える者は、必ずこの四つのうちのどれかを取ることになる。この意味で、思想が取りうる形式はコジェーヴがいったように、ヘーゲルの体系のなかに尽くされている。それゆえ、またヘーゲルにおいて歴史は終ったといわねばならなくなる。 だが、それは歴史を原理あるいは理念の実現として見るからである。そうした原理は、歴史的な資本主義経済の発展の中で、そとに生じ且つ変動する諸階級の闘争の結果として実現されたものであり、またつねにそとに属している。資本主義が「終り」を無限に endlessly先送りするものである以上、「歴史の終焉」などありはしない。マルクスがいったように、「共産主義」とは「現実の諸条件」がもたらす「現状を止揚する現実の運動」としてしか無いとするならば、さらに「共産主義」とは「個と類」という回路のなかに閉じこめられた思考に対する否定にあり、すなわち類(共同体)に属さないような個の単独性と社会性にあるとするならば、それもまた「終り(目的)」なき闘争としてしか無い。(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収) |
とはいえ虚妄になったってオベンキョウし直せばいいのさ。1990年以降、ボクらの世代でもーーそのほんの一握だがーー、勉強し直した連中はいるよ。 |
ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。 |
今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない。(中井久夫「私の「今」」初出1996年『アリアドネからの糸』所収) |
柄谷の言い方ならこうだね。
私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考――私自身それに加わっていたといってよい――が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。90年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位――美学的なものをふくむ――である。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年) |
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柄谷が言っているのは、冷戦時代においては「脱構築」の思考がそれなりにインパクトがあったが、冷戦後、世界資本主義の下では、まさに資本の論理を体現するものでしかなくなった、ということだ。なぜなら、《資本とは自己増殖する貨幣》(柄谷行人『トランスクリティーク』[参照])であり、絶えざる「自己脱構築機械」だから。実際、冷戦時代に活躍した、例えば「現代思想」に依拠したほとんどの思想家や批評家、あるいは文学者は、冷戦終焉後、機能しなくなった。経験論に閉じ籠ったり、美学に逃げた。今でもそういうヤツがほとんどだけどさ。きみたちもそうならないように早いとこ勉強し直したほうがいいぜ。
何はともあれ新自由主義の言説、つまり市場原理主義の言説は2023年を契機に変貌してくれることを願ったほうがいいんじゃないかね[参照]。
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