続き。エドワード・ヤン「輝かしい夏の日」(『牯嶺街少年殺人事件』)
次の2つの映像はだいぶ間合いがあって現れる。
だが2番目の映像の直後に、前回のお盆を持って階段を上がる女の映像が唐突に現れる。ワカルカイ? これ以上は言わないよ。
次のもとってもいいね。
女が裂け目の光のなかで宙吊りになってるという感じで、ーー《リビドーは、空虚の色。裂け目の光のなかで宙吊りになっている[libido(…) est couleur-de-vide : suspendue dans la lumière d'une béance]》(ラカン『フロイトの欲動』E851, 1964年)
中学高校時代のノスタルジーに襲われるよ、
暁方ミセイの「蕾の割れた梅の林から、糸のように漂いやってくる、/五百年前の我が兄子、千年前の我が妹子、」って感じだよ、冒頭のなんか特に。
3番目のは「丘のうなじがまるで光つたやうではないか/灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに」(大岡信) ってのかね、お尻のほうのうなじだけど。